
2024年11月5日に投開票が行なわれたアメリカ大統領選挙において、いわゆる激戦州を全て制するなど、民主党・ハリス副大統領に圧勝したトランプ氏。その有力な政治資金提供者の一人が、EV「テスラ」社のCEOとしても知られる実業家のイーロン・マスク氏だった。
こうして選挙期間中からトランプ氏の大統領就任まで密接な関係を築いた二人だが、来年度の政府予算案への考え方の違いを契機に対立が表面化。SNS上で互いに相手を激しく攻撃する事態に発展する。
そして、大統領がマスク氏のビジネスへのサポートの取りやめに言及したことで二人の決別は決定的となり、マスク氏が率いるテスラ社の株価は1日で14%を超える急落となった。
現在も「天才」と「皇帝」の口喧嘩はメディアを賑わしているが、最強の後ろ盾を失ったマスク氏のビジネスは今後どうなってしまうのか。
三井住友DSアセットマネジメント チーフグローバルストラテジスト・白木久史 氏から分析リポートが到着したので、概要をお伝えする。
◎個別銘柄に言及していますが、当該銘柄を推奨するものではありません。
1:決別する「天才」と「皇帝」
テスラ社のマスクCEOとトランプ大統領の決別が決定的になった。マスク氏は大統領選挙をトランプ大統領とともに二人三脚で戦い、トランプ氏の勝利後は大統領の最側近の一人として政府効率化省(DOGE)の初代長官に就任して、政府機関の大胆なリストラに辣腕をふるってきた。
しかし、大規模減税を含む来年度の政府予算案をめぐり二人の溝が深まり、互いにイライラを募らせる中でマスク氏が「トランプが大統領選挙で勝てたのは私のおかげ、恩知らずめ」と言い放ち、トランプ大統領も「マスクはおかしくなった(Crazy)」「政府支出を削減する一番簡単な方法は、マスクのビジネスへの補助金支出や契約をやめることだ」と応じたことで、「天才」と「皇帝」の決別は決定的となった。
二人のこうした対立はメディアで生々しく報じられ、これを受けて6月5日のNY株式市場ではテスラ株が14%下落し、1日で同社の株式時価総額約22兆円が吹き飛ぶ結果となった(図表1)。
■政治とビジネスの「抜き差しならない関係」
古今東西、政治とビジネスは密接な関係にあることが少なくなかった。例えば、三菱グループは明治維新後に日本政府との緊密な関係をテコに、軍事輸送を含む海運、鉱業、金融、不動産業など幅広いビジネスに進出し、日本を代表する財閥グループに発展したと伝えられている。
また、米国の石油王と言われたジョン・D・ロックフェラーは、20世紀初頭にかけて巨額の政治献金や積極的なロビー活動で規制を回避し、米国の石油市場で独占的な地位を築いたとされている。
また、ロシアの新興財閥(オリガルヒ)で石油王と呼ばれ、英プレミアリーグのチェルシーの元オーナーとしても知られるロマン・アブラモビッチ氏は、旧ソビエト連邦崩壊後に政権中枢に食い込み、格安で国営企業の払下げを受けたことで、巨万の富を得ることに成功したとされている。
巨額の予算と許認可権を有する政治の力は、ビジネスマンにとっては垂涎の的といえそうだ。このため、トランプ大統領の就任式には、かつて辛辣なトランプ批判を繰り返したメタ社のザッカーバーグCEOを始め、錚々たるビジネスマンが勢揃いした。
そんなビジネスマンの中でも突出してトランプ氏に接近し、その関係性を内外にアピールしていたのが他ならぬマスク氏だった。
大統領選挙での勝利への論功行賞への期待もあって、テスラ株は大統領選挙後の「トランプトレード」で急騰。一時は大統領選挙前日(2024年11月4日)に比べて約97.6%上昇する時期もあった(図表2)。
2:天才マスクの「ウルトラC」
かつて、大統領選挙で民主党のヒラリー・クリントンやジョー・バイデンを支持していたマスク氏が、どうしてトランプ大統領に肩入れするようになったのか。
マスク氏の本心は彼自身以外は分からないので、あくまでも仮説にはなるが、彼のビジネスをとりまく状況を見ていくと、「政商」としてトランプ大統領と抜き差しならない関係を結ぶことで、
(1)EVビジネスの政策変更リスク、
(2)中国政府による国産EV振興策への対抗、そして、
(3)宇宙開発事業(スペースX)の受注拡大という、
3つの課題に対処しようとしていたように思えてならない。
(1)EVビジネスの政策リスク
EVシフトは気候変動問題に取り組むバイデン政権の主要政策目の一つだった。しかし、化石燃料の活用促進を目指すトランプ政権が誕生すると、EVシフトを促すこうした政策は大きく軌道修正される可能性が高まっていた。
また、テスラが得意とされる自動運転の開発・普及にあたっては、規制緩和が重要とされていた。
このため、マスク氏はトランプ大統領と密接な関係を築くことで、トランプ氏が勝利した場合の自社に不利な政策変更の回避と、自動運転に関わる規制緩和を新政権に働きかける意図があったように思われる。
(2)中国政府の国産EV振興策への対抗
スラの2024年の世界販売台数は約179万台ですが、うち、中国市場での販売台数は米国の約74万台に次ぐ約65.7万台に達している(図表3)。また、同社の上海ギガファクトリーは2023年には年間90万台を超えるEVを生産しており、同社最大規模の生産拠点の一つとして重要な輸出拠点ともなっている。
つまり、テスラにとって中国は最も大切な販売・生産拠点であるとすることができる。そんなテスラは、国産EVビジネスの振興を推進する中国政府からすればライバルに他ならない。
このため、いつ理不尽な「干渉」や「意地悪」を受けてもおかしくない状況にある。このため、マスク氏はトランプ大統領の最側近の座を勝ち取ることで、「テスラに手を出すとトランプ大統領が黙ってないよ」といったけん制を効かせることができると考えていたのではないか。
(3)宇宙開発事業(スペースX)の受注拡大
マスク氏の手掛ける宇宙開発事業(スペースX、非上場)は、ロケットの打ち上げや国際宇宙ステーション(ISS)への輸送、衛星インターネットサービスの提供など、米国防総省やNASAから計約220億ドル(約3兆1680億円)の契約を獲得していると伝えられている。
また、スペースXの衛星通信事業であるスターリンクは、米連邦通信委員会(FCC)から8億8550万ドル(約1275億円)の補助金を受けている。
さらに、米国の次世代ミサイル防衛網である「ゴールデンドーム計画」では、スターリンクが提供する衛星コンステレーション(大量の人工衛星を通信回線でリンクさせる運用形態)による大容量の高速通信網が、中核テクノロジーの一つとして注目されている。
米議会予算局(CBO)はゴールデンドーム計画の費用が20年間で約8310億ドル(約120兆円)に達すると試算しているが、マスク氏とすれば是が非でも受注したいプロジェクトだと言えそうだ。
こうした大規模な国家プロジェクトに有利な条件で参入するには、大統領をはじめとする政府との特別な関係が極めて重要とマスク氏が考えていたとしても、決しておかしくない。
3:天才マスクの蹉跌(さてつ)とテスラの今後
トランプ政権発足当初はDOGE初代長官として華々しい活躍を見せたマスク氏も、次第に意見を異にするホワイトハウス内の他のメンバーに主導権を奪われ、徐々に存在感を低下させた挙句、ついにはホワイトハウスから離れることになった。
そんな矢先、来年度の連邦予算案ではテスラが関わるEVや太陽電池関連の補助金などが撤回されたことで、マスク氏としては心中穏やかではいられなかったように思われる。
■EVシフトの失速、中国製EVの台頭、政治との距離感も裏目に
こうなると気がかりなのは、今後のテスラ株の行く末だ。というのも、EVシフトは世界的に減速が鮮明で、2024年のEVの販売は低価格車が大きく伸びる中国(約640万台、前年比約19%増)を除けば、米国(約120万台、前年比約+9%増)や欧州(約220万台、前年比ほぼ横ばい)では伸び悩んでいるからだ。
事業環境が厳しさを増す中で、テスラ社の販売は頭打ちが鮮明となっている。2024年の世界販売台数は約179万台に留まり(前年約181万台)、10年以上ぶりに前年比で販売台数が減少に転じた(図表4)。
さらに、2025年に入るとマスク氏の政治関与への強い反発から「反テスラデモ」が全米各地で頻発し、2025年第1四半期の生産台数は36万2615台(前年同期比16%減)、販売台数は33万6,681台(前年同期比13%減)へと減少している。
こうしたテスラの苦境に拍車をかけているのが、中国製EVによる価格破壊の動きだ。巨額の補助金と人民元安をテコに世界戦略を進める中国のEVメーカーだが、最近は中国国内の不景気もあって最大手のBYDが22品目で最大34%の値下げを発表するなど、EV業界における価格競争の更なる激化が伝えられている。
販売低迷と価格競争の激化などから、テスラの2025年第1四半期決算は売上高が前年同期比約9.2%減、営業利益は約65.9%の減益となった。
そんなテスラ株は今期予想株価収益率で約153.7倍の水準で取引されている。もちろん、天才ビジネスマンとされるマスク氏の活躍には今後も期待したいところではあるが、トランプ大統領との決別が今後のビジネス展開の障害となりかねない可能性を考えると、現在の株価評価を維持するためには「新たなウルトラC」が必要になってきているように思えてならない。
まとめとして
SFファンとして知られるマスク氏は、自らが開発する生成AIを「グロック(Grok)」と名付けた。この「Grok」という言葉は、ロバート・A・ハインラインのSF小説「異星の客」に登場する火星語で、「本質を理解する」という意味の架空の言葉だ。
このSF小説の中で、火星探検団の生き残りで火星人に育てられた主人公のマイクは、宇宙人譲りの並外れた知性で地球人たちを驚愕させるが、その人知を超えた能力があだとなり、迫害の末に殺害されることで物語は結末を迎える。
超人的な発想で斬新な事業を次々と立ち上げ、若くして世界一の金持ちに登り詰めた「天才」マスク氏も、その常人離れした能力ゆえに破滅を招くことがないか、今回の顛末を見るにつけ心配せずにはいられない。
◎個別銘柄に言及していますが、当該銘柄を推奨するものではありません。
構成/清水眞希