
トランプ大統領が「TACOトレード」という言葉に怒り心頭だという。
この「TACOトレード」、英経済紙のコラムニストが考えた“TACO(Trump Always Chickens Out、トランプはいつも逃げる)”という造語に由来しており、トランプ関税の妥協を見越してリスクをとる手法が「TACOトレード」理論というわけだ。
金融市場で話題を集める「TACOトレード」だが、「米中の対立は終わった」とばかりに手放しでリスクオンに走るのは、やや気が早い、という指摘もある。
今回は、そんな「TACOトレード」を分析したリポートが三井住友DSアセットマネジメント チーフグローバルストラテジスト・白木 久史氏から届いたので、概要をお伝えする。
1:市場で話題のTACOトレード理論とは
金融市場で「TACOトレード理論」が話題になっている。これは「Trump Always Chickens Out(トランプはいつも逃げる)」の4語の頭文字をとったもので、フィナンシャルタイムズのコラムニストであるロバート・アームストロング氏が考えた造語だ。
アームストロング氏は自身のコラムで、トランプ大統領が通商交渉で妥協する可能性に賭ける「TACOトレード理論」が金融市場で有効に機能している、と指摘している。
負けず嫌いで知られるトランプ大統領だが、5月28日の会見時に記者から「TACOトレード」という言葉についての「受けとめ」を聞かれた際には、「むかつく質問だ(Nasty question)」と怒りをあらわにした。
■市場の狼狽に逆張りする「TACOトレード」
4月2日にトランプ大統領による高率の相互関税の発表をきっかけに大きく調整した世界の株式市場は、4月9日にトランプ政権が「相互関税の90日間の一部発動停止(上乗せ分、除く一律関税)」を決めたことをきっかけに反発に転じた。
そして、その後もパウエル米連邦準備制度理事会(FRB)議長の解任要求をトーンダウンさせたり、対中関税の大幅引き下げを決めるなど、当初見せていた強硬姿勢を大きく後退させる妥協を繰り返すたびに、株価は大きく反発することになった。
全世界を相手にした高率の相互関税の発動により、一時は高値から約20%下落して「弱気相場入り」目前まで追い込まれたS&P500種指数だったが、トランプ政権の度重なる妥協を受けて大きく切り返した結果、年初来のパフォーマンスで一時プラス圏に浮上するまで回復してきた。
こうして振り返ると、4月以降の世界の株式市場では、アームストロング氏が指摘する「TACOトレード理論」が有効に機能してきたように思われる。
リベラルな論調が支配的な主要メディアは、トランプ大統領の朝令暮改を捉えて批判的に報じる論調をよく目にする。
しかし、今後の相場展開を占う上で重要なのは、党派や政治信条にとらわれず、冷静にホワイトハウスの出方を見極めていくことにあるのではないだろうか。
というのも、トランプ関税についての妥協や延期は単なる手段の修正に過ぎず、米国の国家戦略や対中政策には微塵の揺るぎも感じられないからだ。
2:揺るぎない米国の国益と対中戦略
米国は覇権国としての地位を維持するため、米国を中心とした国際秩序に挑戦する中国の台頭を抑え込むことを最重要の国家戦略の一つと位置付けているようだ。
そして、トランプ関税に代表される通商政策も、そうした戦略実現のための「一つの手段に過ぎない」ということを認識しておく必要がありそうだ。
米国は第一次トランプ政権下で対中戦略を抜本的に見直し、2017年に取りまとめた「国家安全保障戦略(NSS2017)」で中国を「米国の安全や繁栄を侵食しようとする挑戦国(Attempting to erode American security and prosperity)」と再定義しており、対中強硬姿勢を鮮明にした。
■党派を超えて引き継がれる「対中強硬策」
その後、2020年の大統領選挙で民主党への政権交代があったが、基本的な「対中戦略」は引き継がれることとなった。そして、2022年にバイデン政権がまとめた「国家安全保障戦略(NSS)」でも、中国はロシアと並ぶ主要な競争相手として位置付けられ、対中戦略としてテクノロジーや経済力の面で米国の競争優位を維持するとともに、軍事的な抑止力を強化することが掲げられた。
そして、最近でも、5月31日にシンガポールで開催されたアジア安全保障会議で講演したヘグセス国防長官は、「インド太平洋地域が米国の安全保障上最も優先度の高い地域」「中国は同地域で明確な現状変更の意思がある」と発言している。
さらに、「同盟国を中国に支配させない」と明言し、仮に抑止に失敗した場合でも「米国は戦い、決定的に勝利する準備ができている」として、対中強硬姿勢を改めて強調するとともに、同盟国に対して一層の防衛努力を呼びかけた。
こうしてみると、こと「対中戦略・中国抑え込み策」に関する限り、気候変動問題や移民政策などとは本質的に異なる、政党や会派を超えた米国の「共通認識」であることがわかる。
このため、長期的な「対中戦略」の一手段・戦術に過ぎない「トランプ関税」が妥協に追い込まれたとしても、今後も形を変えた「二の矢」「三の矢」が繰り出されることで、厳しい米中対立が継続していく可能性をみておいた方が良さそうだ。
■ホワイトハウスの放つ「二の矢」
金融市場が「トランプ関税の妥協」による安心感に浮足立つ一方、トランプ政権の行動に目を凝らしていくと、むしろ対中戦略は厳しさを増しつつあるようにも思えてくる。
例えば、中国のファーウェイが開発したAI半導体が話題となっているが、警戒感を強める米国政府は早速、米国が世界のデファクト・スタンダードを握る「半導体設計自動化支援(EDA)ソフト」の中国への供給を制限する動きを強めている。
また、今年5月6日に始まったカシミール地方におけるインドとパキスタンの紛争で、パキスタン空軍保有の中国製戦闘機・J10(殲10)がインド空軍所属のフランス・ダッソー社製ラファール戦闘機を撃墜したことが業界関係者の注目を集めている。
こうした中国製航空機の能力向上が安全保障上無視できない問題となりつつあることもあってか、米政府は航空機の重要なエンジン部品や関連テクノロジーの中国への禁輸を決めたと報じられている。
さらに、米商務省は半導体製造に用いられる化学品、精密な兵器の製造に不可欠な工作機械、そして、安全保障上の戦略物資であるブタンやエタンなどについて、対中輸出規制の強化に動いている。
ちなみに、米通商代表部(USTR)は4月17日に1974年通商法301条に基づき、中国籍及び中国製船舶の米国内の港湾への寄港時に追加の入港料を徴収することを決定したが、現在もこの措置は撤回されていない。
そして、5月30日にピッツバーグで講演したトランプ大統領は、中国が世界市場で圧倒的なシェアを誇る鉄鋼製品とアルミニウムについて、関税を現在の25%から倍の50%へ引き上げることを発表した。
こうした足元のホワイトハウスの動きを見ていくと、米中の対立構造はむしろエスカレートしているようにも見えてくる。
3:通商政策だけじゃない、トランプ政権の「三の矢」
トランプ政権による対中強硬策は、関税や輸出規制と言った通商分野に限らず、様々な形で執拗に推進されているように思われる。
例えば、トランプ政権はハーバード大学への補助金の支給や留学生受け入れ停止措置を決めたことでメディアを賑わせているが、その背景には米政府の対中戦略が見え隠れしている。
一般に、トランプ政権がハーバード大学に対して厳しい措置をとる背景には、
(1)同大の強いリベラル志向、
(2)政権の意向を無視したDEI政策(Diversity(多様性)、Equity(公平性)、Inclusion(包摂性)の頭文字をとった略称)の実質的な維持・温存、
(3)エリート層への反感、そして、
(4)反ユダヤ的な運動へのけん制、
などが指摘されている。もちろん、こうした見方を否定するつもりはないが、ハーバード大学と中国とのこれまでの関係性についても、見逃すことはできないだろう。
■ハーバード大問題に見え隠れする「米中対立
現在、ハーバード大学には世界146か国から計6751人の留学生が在籍している(2024年秋学期)。このうち、中国出身の学生は1390人(約20.6%)を占め、出身国別で最大となっている(図表2)。
さらに、こうした留学生の多さに加え、ハーバード大学は中国政府・共産党との関係性がたびたび話題になってきた。
例えば、米下院中国特別委員会の報告によれば、ハーバード大学は少数民族の弾圧に関与したとされる中国政府の準軍事組織に対して、複数回の研修プログラムを実施していたことが報告されている。
また、ハーバード大学は中国共産党との関係が指摘される香港の財団メンバーの仲介により、約3億5000万ドル(約500億円)の寄付を受け取っていたことが報じられている。
さらに、ハーバード大学の化学部学部長だった元教授は、米国政府から1500万ドルの研究費を受け取っていたにもかかわらず、優秀な研究者を中国に呼び込む中国政府の「千人計画」に参加し、さらに、約150万ドル(約2億1000万円)の資金を中国政府から受け取っていたことを隠し、虚偽の申告をしたことで連邦陪審から有罪の判決を受けている。
■米政府が海外留学生に神経を尖らすワケ
ちなみに、留学生の比率が40%前後にもなるコロンビア大学と比べれば、ハーバード大学の留学生比率はスタンフォード大学やイエール大学とほぼ同水準の約25%に留まるとされている。
また、絶対数が最も多いとはいえ、留学生全体に占める中国出身者の割合は約21%に留まる。こうした数字を冷静に見れば、トランプ政権による一連の措置は、ハーバード大学やその留学生たちからすれば、とんだと「言いがかり」のようにも思えてくる。
とはいえ、トランプ政権がこうした強硬策を打ち出す背景には、厳しさを増すトランプ政権の対中姿勢に加え、AIなど先端分野で存在感を高める中国への警戒感や危機感がありそうだ。
2022年には米連邦捜査局(FBI)と英国家情報局保安部(MI5)のトップが共同記者会見を開き、中国政府がさまざまな手段を駆使して西側諸国に対するスパイ行為を活発化させていると告発している。
そして、会見の中でMI5のマッカラム長官は「過去3年間で50人の中国人留学生が中国軍と関連したスパイ容疑で追放された」と公表している。
また、直近でも、5月28日にルビオ国務長官は、「中国共産党とつながりのある中国人留学生のビザの取り消しを積極化する」と発表した。
こうして見ると、トランプ政権がハーバード大学を目の敵にしているように見えるのは、エリート層への反感や行き過ぎたポリティカル・コレクトネス(政治的な妥当性のこと、以下、ポリコレ)への反発もさることながら、米国の対中戦略や安全保障政策の観点から、米国の最先端の研究機関から中国人研究者・留学生を排除しようとする意図が背景にありそうだ。
■株価の反転とともに回復するトランプ支持率
4月初旬にトランプ関税が発表されたことで世界の金融市場が混乱。消費者のセンチメントや企業の景況感といった「ソフトデータ」が急速に悪化する中、トランプ大統領の支持率が急落した際には、世界の報道機関がこぞって大きく報じた。
私たちは日本のメディアが流す「個性的」なトランプ像を目にして、不快感を覚える人が多いかもしれない。しかし、トランプ大統領のポリコレにとらわれない率直な物言いを誠実さの表れと感じ、「ワシントン流」に染まらない振舞いにむしろ好感を抱き、そして、アメリカ・ファーストのスローガンを愛国心や強いリーダシップの表れと捉える米国人が少なくないのも事実だろう。
このため、我々からすれば意外に感じられるかもしれないが、トランプ大統領の支持率は足元では株式市場とともに回復傾向にある(図表3)。
もし、トランプ政権の経済政策による景気や株式市場への影響が今後も限定的なものに留まるなら、支持率の持ち直しを背景にトランプ政権が様々な形での「対中強硬策」をエスカレートさせていったとしても、決して不思議ではない。
米国の株式市場では「TACOトレード理論」を地で行くようなリスクオンが進んでいる。しかし、関税以外の分野での米中対立の先鋭化を見るにつけ、トランプ大統領の一連の政策変更を「TACOトレード」と一蹴して、関税以外のリスクへの目配せがおろそかになっているとしたら、いささか悪乗りが過ぎるように思えてくる。
今後も、「想定外」の米国の強硬姿勢や中国側の反発などで、再び金融市場が揺さぶられる可能性は否定できないだろう。
このため、トランプ大統領の言動や政策について「フラットな視線」で見ていかないと、思わぬ事態に足元をすくわれることになりかねない。
さらに、ここまで大きく戻してきた株式市場の水準と考え合わせれば、冷静な情報収集と分析が、より一層求められる局面に差し掛かってきているのではないか。
まとめとして
金融市場では「TACOトレード理論」が話題だ。通商政策で妥協を繰り返すトランプ大統領への悪意も感じられる一方、トレード戦略としては一定の成果を収めている。
トランプ政権は関税という短期の「戦術」が軌道修正を余儀なくされたとしても、中国の台頭を抑え込もうとする長期の「戦略」は不変と考えておくべきだろう。そして、最近のトランプ政権の動向を見ると、対中政策はむしろ厳しさを増しているように思えてくる。
何かとお騒がせのトランプ大統領だが、米国株の反転と歩調を合わせて支持率も回復傾向にある。このため、「TACO(トランプはいつも逃げる)」などと高を括っていると、思わぬ事態に慌てることになりかねないため、注意が必要だろう。
◎個別銘柄に言及していますが、当該銘柄を推奨するものではありません。
構成/清水眞希