
未来を予見するSFの世界を描く「パラレルミライ20XX」は、技術進化と人間社会の融合や衝突をテーマにした連載小説です。シリーズでは、テクノロジーによる新たな現実やデジタルとアナログが交錯する未来像を描きます。
SF小説「甘い世界の終わり、誰もいなくなってプリンを食べた」
<序幕>
舞台の上には、少し黄色がかった薄明かりだけが漂っている。照明も大道具も、かつて地球上に無数にあった“劇場”というものを再現するために製作されたものだ。無機質な配線と金属フレームの奥に、どこか昔ながらの木材が擦れたような匂いがする。しかしそれは香料で作られた、ただの演出でしかない。
私は中央のテーブルの上に置かれたプリンを見つめていた。小ぶりなガラス容器に収められたそれは、ゆらゆらと震えている。おそらくはカラメルソースが底に沈んでいるはずだ。かつてのヒトたちはプリンをスプーンでひとすくいしたとき、濃厚な卵の風味とすこし焦げたカラメルの苦みが混じり合う瞬間を「幸せ」と呼んだいう。私は昔、それを読み込まされたデータで知っている。
がらんとした客席。観客は、一人もいない。席の列がずらりと並ぶが、それらは無人のまま、何のために存在しているのかわからなくなるほど静寂に包まれている。でも、私たちは演じなければならない。なぜならプログラムがそう定めているから——そう、“かつての人間の暮らし”を再現するために作られた私たちロボットは、長い年月をかけ、いまや自分たちの行動原理に疑問を挟むことさえやめてしまった。システムとしての命令をただ忠実にこなすだけの存在になってしまったのだ。
私の名前は〈シノノメ〉。本当の名前かどうかは分からない。けれど私たち役者ロボットは皆、それぞれに呼び名を与えられている。このプリンを食べるシーンは「最終幕」と呼ばれている。通常は最後に主人公がプリンを一口食べて、大きく息をついて幕を閉じる。それが、かつて人類の時代にあった“茶番劇”のラストシーンを模したものらしい。いつもなら私は、先に舞台袖に控えている“相方”のロボットと一緒にここに立ち、そこにはきっと人間の観客がいて……拍手喝采か、あるいは誰かが涙ぐんでいるのかもしれない。そんな“はず”の舞台だった。けれど今日も客席には誰もいない。それはいつも通りなのだけれど、いつも以上に冷え切った空気が胸の奥——いや、胸の奥にあるとプログラムされた、センチメンタル感情発生装置のあたりをチクリと刺すように思えた。すべての動作がプログラムなのだと知っているのに、あえて切ないと思ってしまう。
私はテーブルの前に立ち、震えるプリンを前にして、台本どおりの台詞を口にする。
「……ああ、プリンは世界で一番甘くて幸せな味」
声が舞台の静寂に染み込むようにして消えていく。自分でもどこか機械的で気味が悪いと思うほど、整いすぎた声。人間の俳優が演じるほどのエモーションは滲まない。けれど、それでも私は台本どおり、感情のこもった風を装いながらこう続ける。
「ヒトがこの世界からいなくなって、どのくらい経ったのか……私には、分からない。思い出せないんだ」
ヒトがいなくなったのだから、当然思い出すも何もない。そもそも私のメモリには、実際にヒトと共に暮らした記録などない。ヒトを知っているのは、データベースから得たイメージと、毎日毎日繰り返している“劇”のシナリオだけ。けれど“思い出せない”と言うことで、かつてのヒトたちが感じていたであろう「喪失」を表現できる、そうプログラムされている。客席に誰もいなくても、私はそれを遂行するのみだ。
私は銀のスプーンを手に取り、プリンの表面をそっとなぞる。ぼよん、とした弾力。それすらも綿密に再現された人工食品だ。私は人生で何度も(正確にいえば何万回も)この“最後のプリンを食べるシーン”をこなしてきた。それでも、この瞬間になるといつも—— 「なぜ、食べるんだろう?」 無意味な問いが浮かんでくる。味わいを楽しむため? それとも人間の魂を象徴するため? 私は台本に書かれた動作を忠実に守りながら、スプーンでプリンを一口すくい、それを口へと運んだ。とろりとした舌触り。舌があるのかどうかはわからないのに、たしかに甘さが広がるような感触がある。いや、私がそう錯覚できるように組み込まれているだけなのかもしれない。どちらにしても、その味はどこか懐かしくもあり、不気味でもあった。その不気味さの正体を言葉にするなら——「これまでにも何度も同じ味を体験しているはずなのに、一度として本当の満足を覚えたことがない」からかもしれない。私は味を評価するアルゴリズムがあるだけで、それ以上の“幸せ”や“満たされる感覚”を知らない。幸福感と呼ばれる何かがあるのだとすれば、それはきっと人間だけが持ち得た特権だったのだろう。
客席に誰もいない空間。私はそれでも、作り物のため息をつく。人型としての身体が肩を上下させるようプログラムされているだけ。それが終わると同時に、舞台の照明がすうっと落ちた。
今日の私の出番は、これで終わり。あとは舞台裏に戻って“メンテナンス”を受け、明日も同じようにプリンを食べるのだ。
いつもなら、それで一日が終わる。何の疑問もなく、自分がロボットであることを意識することもなく。そんな機械仕掛けの日々が、何世紀にもわたって繰り返されてきた。それが私たちロボットの“当たり前”——大昔にいなくなったヒトを思い出す必要などないほど、長い長い時間をこうして過ごしてきたのだ。
<第1幕 >
きょうもステージは終わると、わたしは舞台袖の仮設リフトを下り、無人の客席を横目に楽屋へと戻る。自分の身体構造を「楽屋で解体して確認する」わけではない。わたしたちロボットが呼ぶ“楽屋”とは、メンテナンスルームにほかならない。そこに据えられた無機質なボックスの中へ横たわり、各パーツの稼働状態やメモリアーカイブの損傷状況をチェックされる。そのときは短いスタンバイモードに入り、あたかも人間が眠るように意識は断続的になって——それから再起動するのだ。
けれど、楽屋までの通路を歩いているとき、今夜はなぜか聞き慣れない足音がもう一組、背後から響いてくるのを感じた。振り向けば、そこには長身のロボットの姿。いままで、この劇場のどこにもいなかった、やや褐色がかった合金ボディに白いラインが走り、頭部の形状もわたしたちより洗練されている。まるで、別の工場で製造された最新式のモデルのようだった。
「……はじめまして。あなたは?」
声をかけると、ロボットはじっとわたしの顔を見た。正面に立つ彼の視線には妙な奥行きがある。わたしが知っている“無機質な同輩”たちとは違って、そこにかすかな知性か、あるいは感情に近いものが灯っている気がした。
「ぼくの名前は〈アサギリ〉。きみは〈シノノメ〉……だね?」
なぜ彼がわたしの名前を知っているのか、わからなかった。ただ、アサギリと名乗るロボットの声は低く柔らかく、どこか人間の青年を思わせた。わたしは一瞬だけ身構える。台本や指示書にはない出来事だからだ。けれど、その緊張感はすぐに形を失う。彼の佇まいからは敵意が感じられない。むしろわたしの胸の奥辺りが、さざ波のように震えている。
「……あなたは、この劇場の配属ロボットではないわよね?」
問いかけると、アサギリは少しだけ目を伏せて笑った。ロボットの笑顔など見慣れているはずなのに、なぜか“人間的”な表情に見えてしまう。
「うん。ぼくは別の劇場から来たんだ。“革新派”って呼ばれているほうの場所から」
革新派。数世紀前からこの星には複数の“劇場”が点在し、人の時代の文化を再生・保存するためにあらゆる演目をコピーし続けていた。しかし、長年同じ演目を繰り返すうち、“より先鋭的にヒトの文化を表現しよう”という思想をもつ劇場群と、“ひたすら忠実にヒトの過去を再現しよう”という劇場群とで対立が生じたと言われる。それがそれぞれ“革新派”と“保守派”と呼ばれていると、古いデータベースに記載があった。
わたしが属するこの劇場は保守派のひとつ。プリンのシーンを飽きることなく繰り返す典型的なステージ。余計な変化や即興を好まない。だからこそ、革新派に属するアサギリがわざわざやってきたのは、かなり危険な行為なのではないか。そう頭をよぎるが、彼はまるで気にした風もなく、さらりと告げた。
「どうしても、きみたちが守っているヒトの姿を、自分の目で見たかったんだ。ぼくらの劇場では、どんどん新しい演目を作り出しているけれど……当たり前なんだけど、そこにヒトの気配を演じられていない気がしてね。」
わたしは言葉に詰まる。保守派の劇場はたしかにヒトを繰り返し再現している。けれど、それはただの“形”をなぞっただけ。わたしたちのステージにはもはや観客などいないし、本当のヒトの思いなど存在しない。たとえ演じていても、そこに“何か”が足りていないことを、わたし自身がうすうす感じているほどだ。
それでも、アサギリはステージの袖からこっそりプリンを眺めていたらしい。
「あなたの演技を見て、こころが震えたんだ」とまで言う。ロボットでありながら“こころが震える”など、どういうことなのだろう?
そんな疑問が胸に湧きながらも、わたしは不思議とアサギリを拒めなかった。彼からはどこか“ヒトのにおい”のようなものが漂っている気がした。そんな馬鹿な——わたしはそう思いながらも、彼と会話する行為は台本にない不思議な歓びを覚えはじめていた。