
キャデラック初のEV(電気自動車)「リリック」が今年3月に発表された。全長4995×全幅1985×全高1640mmという堂々たるサイズで2BOXスタイルの、前後に1基ずつのモーターを搭載した4輪駆動の2列5人乗りだ。航続距離は510km。右ハンドルでもちろん日本の急速充電規格「CHAdeMO」にも対応している。車両本体価格は1100万円(税込)だ。米テネシー州にあるスプリングヒル工場製で、すでにアメリカやヨーロッパなどでは販売されており、ドイツでは2023年に「ジャーマン・カーオブザイヤー」を獲得するほど評価は高い。
最新のアクティブノイズキャンセリング技術を搭載
日本仕様モデルへの評価については試乗してからあらためてレポートしたいが、個人的に注目している技術がある。それは「リリック」に装備された最新のアクティブノイズキャンセリング技術だ。EVはエンジンノイズを発生しないが故に、走行中の風切り音やタイヤノイズが目立ってくる。現状では、そこを相当に注力して対策しているEVと、それほどでもないEVは50km/hぐらいから静粛性に大きな隔たりが出てきてしまっている。静粛性は高級EVの最大の価値のひとつとなるものだから、クルマ自体の評価に直結してくる。
キャデラックはエンジン車時代からアクティブノイズキャンセリングシステムを装備して、車内の静粛性向上に積極的に取り組んできていた。その最新版がどれほど「リリック」を静かにしているのか早く実車に乗って確かめてみたい。
発表会ではゼネラルモーターズ・ジャパン株式会社の若松 格 代表取締役社長が「リリック」の販売方法についても言及していた。それによると「リリック」は値引きをしないワンプライス制で、「エージェントモデル」と呼ばれる。これはリリックだけに適用され、他のエンジン車は従来通りの販売方法が採られる。顧客はゼネラルモーターズ・ジャパンが在庫している「リリック」の中から選ぶことになるが、ディーラーとやり取りし、ディーラーに1100万円を支払うという点では従来と変わらない。
「我々のエージェントモデルは、他社さんのような直接販売でも、これまでのような間接販売でもありません」(若松社長)
メルセデス・ベンツやボルボなどの日本法人が彼らのEVを顧客から直接に支払いを受ける“直接販売”を行なっていることを指しているのだろう。しかし、若松社長のプレゼンテーションが終わってから、ゼネラルモーターズ・ジャパンのスタッフに詳細を訊ねると、顧客がディーラーに支払った1100万円はそのままゼネラルモーターズ・ジャパンに渡され、そこから一定額のマージンがディーラーに支払われることになるそうだ。この点は、メルセデス・バンツやボルボなどと変わらない。
これまでのようにディーラーは在庫やセールスパーソンを抱えずに済み、これまで以上に顧客とのコミュニケーションを取ることができるメリットがあるというのが若松社長の説明だった。ディーラーにとってみれば、在庫車を保管するスペースやコスト、値引き交渉などから解放されて身軽になれる点はメリットになる。だが、ゼネラルモーターズ・ジャパンから仕入れたクルマを顧客に新車として販売して得ていた莫大な利益がゼロになってしまうのだ。“一定額のマージン”が支払われるとはいえ、果たしてそれがディーラー経営を賄うに足る額なのか?
今までは、セールスパーソンが月に何台の新車を販売したかによって彼ら彼女らの月給が決まって、その合計額がディーラーの収支となって経営を支えていた。もちろん、そのためにディーラーはインポーターから新車を仕入れて在庫車を抱え、セールスパーソンを育成するという間接販売を行い、大きな経営コストを負担していた。
直接販売か?間接販売か?どちらならディーラーのメリットが大きくなるのか?昔からの顧客の立場からすれば、ワンプライス制は味気ない気がしないでもないが時代に則していることは間違いない。家電製品や携帯電話などワンプライス制が進んでいる商品は増えてきている。また、ワンプライス制でないとインターネット販売が広まらないだろう。
クルマは定期点検や車検など、購入後の付き合いが存在するからディーラーがなくなることはないが、新車購入の支払いをインターネット経由で行う直接販売が進めば、ディーラーの存在感が薄まってしまうのは間違いない。
ディーラーにとっては厳しい局面を迎えることになるが、別の面での試練もすでに始まっている。それは、最近のクルマの高機能化&多機能化だ。電動化や自動化、コネクティビティなど、現代のクルマには今まで存在していなかった新技術がたくさん組み込まれている。
例えば、自動化の基礎となっている運転支援技術だ。具体的には、ACC(アダプティブクルーズコントロール)やLKAS(レーンキープアシスト)などは長距離運転でドライバーの負担を減らし、安全運転に大きく寄与する。しかし、その価値の大きさや使い方などを、どれだけのセールスパーソンが顧客に説明できているだろうか?
それらは使わなければ価値がわからない。レーダーやカメラなどの高度なセンサーとコンピュータが使われているので、コストに占めている割合も高い。使わなければ宝の持ち腐れだ。「最近のクルマは高い」と言われることが多いが、高いだけの内容を備えていて、それが伝え切れていないから“高い”と言われてしまうのだ。
最新の機能を顧客自身が理解していれば良いが、筆者が取材している限り、そういう人たちはまだまだ少数だ。運転支援機能は高速道路と自動車専用道でのみ使用が認められているので、顧客を助手席に乗せて高速道路に乗り、セールスパーソンが使い方の見本を示してみる以外に、知らない人に伝える方法はないのだ。運転支援機能だけではなく、自分のスマートフォンをクルマにつなげて便利に使ったり、音声操作の利便性の高さなどをどれだけ十分に伝えられているのだろうか?
現代のクルマは高額な商品であるのにもかかわらず、その商品の魅力と実力をメーカーやインポーター、ディーラーなどが顧客側に伝え切れているとは言えず、商品と販売が乖離し始めてしまっているのだ。つまり、これまではセールスマンにとっての仕事とは「納車がゴール」だった。しかし、高機能化&多機能化して高価格化してしまった最新のクルマの場合、購入後の使い方の説明や機能のオンラインアップデイトなどによって、むしろ「納車がスタート」になっていくのである。これらは大きな変化で、ディーラーの経営自体を揺るがす事態となってしまう。それはすでに始まっているのかもしれない。
流行り言葉のように「100年に1度の大変革を迎えている自動車」と言われているが、それはクルマの中身のハードウエアが大きく変わることと併せて、売り方/売られ方も一緒になって変わっていくのだろう。
文/金子浩久(モータージャーナリスト)