
幸せであろうとすると実際には不幸になるという皮肉な現象は「幸福のパラドックス」と呼ばれているのだが、いったいそのメカニズムはどうなっているのだろうか――。
幸福追求は自制心と意志力を消耗させる
幸せであることはある意味で忙しいことだとも言える。
連休にはどこかに出かけなければならないし、月に何度かはちょっと贅沢な外食に舌鼓を打ちたい。そして外に出る際には相応の格好をしなくてはならないし、車についてもそれなりに幸せを感じる車種でなければならない。
そして今よりもさらに幸せになろうとすれば、いろんなことを検討することになり出費も増えそうである。はたしてそうすることで本当に幸せになれるのだろうか。
■「幸せを追い求めると不幸せになる」という研究結果
新たな研究によると、習慣的に幸せを追い求めている者は自制心や意志力を消耗させてしまいその結果、不幸になる傾向が強まるという。いったいどういうことなのか。
カナダ、トロント大学スカーバラ校と韓国、全北大学校の合同研究チームが今年1月に「Applied Psychology: Health and Well-Being」で発表した研究によると、幸せになろうとすることは精神的に疲れることであり、自制心と意志力を消耗させており、その結果、誘惑に負けやすくなり、逆に幸せを感じにくくなる決断を下す傾向が強まるという。
研究チームによれば、幸福の追求は雪だるま式に大きくなるものであり、自分をもっと幸せにしようとする労力が、皮肉にも自分を本当に幸せにする意欲とエネルギーを削いでしまうのだと説明している。エネルギーが消耗した結果、安易な意思決定に流れやすくなり、不幸な結果に繋がる可能性が高まるということだ。
■「自制能力」を測る4つの実験とは?
研究チームは合計数百人が参加した4つの実験を行った。
最初に行った実験では、習慣的に幸せになろうとする者ほど、日常生活で自制心の発揮が少ないことが突き止められた。研究チームはこれは幸福追求と自制心が同じ限られたメンタルのリソースを使っているためであると説明する。つまり幸せを追い求めるほどに、自制心に振り分けるエネルギーが少なくなるのである。
2番目の実験では、参加者はさまざまな商品のリストを見せられ、自分にとって価値の高い順にランキングづけを行う作業を行ったのだが、幸福追求度合いが高い者ほど、作業に費やす時間が短いことが判明した。幸福を追い求める者ほど、こうした作業にじっくり考えて取り組む意欲が低い傾向がありそうだ。
3番目の実験では、食べると幸せを感じることを強調表現したチョコレートのCMを視聴した者は、CMを見なかった者よりもその直後に与えられたチョコレートを多く食べることが示された。幸せに結びつけられた食べ物は単純に多くの消費を促していたのである。
最後の実験では参加者に数々の日用品が提示されたのだが、一方のグループには幸福度を高める選択をするように指示され、もう一方のグループには個人的な好みに基づいて選ぶように指示された。
その後、両グループに自制能力を測る課題が与えられたのだが、幸福度を高める選択をしたグループは課題を早く切り上げてしまう有意な傾向が見られた。幸福を追求した者には作業に費やすエネルギーがあまり残っていないことが示唆されることになった。
「幸福のパラドックス」に陥らないためには?
できる限りポジティブな感情になりたいと志向するのは人情であるともいえるが、今回の研究は幸福を追求する行為を継続的に行うことでエネルギーが慢性的に枯渇し、それが日常的な自己制御の失敗につながり、個人の幸福と健康を低下させる悪循環に繋がる可能性が示唆されることになった。
■疲弊していては幸せになれない
共著者でトロント大学のサム・マグリオ氏は、常に幸せになろうとすることの弊害を、長い一日の仕事を終えて家に帰ることに例えている。精神的に疲れ果てていれば、帰宅後に掃除や洗濯など、明日の生活の満足度を上げる行為よりも、ゆっくり怠惰に過ごすことを選びがちになるだろう。
「ここでのポイントは、幸福の追求には精神的な資源が必要だということです。(幸福の追求は)ただ流れに身を任せるのではなく、自分自身の気持ちを違ったものにしようともがくことなのです」とマグリオ氏は同大学プレスリリースで説明する。
自分の思考、感情、行動を自ら制御するのは実はかなり疲れる作業であり、幸福を追い求めることとは両立しないことが今回の研究で示されることになった。
■すでに手にしている幸せに目を向けること
これまで「幸福のパラドックス」は羨ましい人々と自分を比べる「上方比較」がうまく機能しないことによるメンタルへの悪影響に起因するとも考えられていたのだが、今回の研究では「幸福のパラドックス」の原因は比較よりもむしろ疲労と消耗にあったことになる。
「とにかく落ち着いてください。常にすごく幸せであろうとしないでください」とマグリオ氏は忠告する。
「欲しいものをもっと手に入れようとするのではなく、すでに持っているものに目を向け、それが幸せをもたらすものとして受け入れてください」(マグリオ氏)
幸福が計測できる“物量”であると捉えてしまうと、より多くを求めることになって体力が消耗しお金も費やすことになる。幸せは物量ではなく心の状態なのだと定義することで、陥りやすい罠でもある「幸福のパラドックス」とは無関係でいられそうだ。
※研究論文
https://iaap-journals.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/aphw.70000
文/仲田しんじ
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