
書評家・豊崎由美さんが話題の本をメッタ斬りにする連載「トヨザキ社長の正直書評。」“金の斧(読まなきゃ、損!)”、“ 銀の斧(買って読んで)”、“銅の斧(図書館で借りて読んで)、“鉄の斧(読んだら、損!)”の4段階評価で、忖度なしに切れ味鋭くレビューします。
■連載/売れてる本をメッタ斬り!トヨザキ社長の正直書評。
今回のターゲットは『生殖記』
朝井リョウ『生殖記』(小学館)
■評価基準
金の斧 読まなきゃ、損!
銀の斧 買って読んで
銅の斧 図書館で借りて読んで
鉄の斧 読んだら、損!
■この本の評価:銀の斧
第22回本屋大賞の最終候補(10作)に挙がっている朝井リョウの『生殖記』、売れに売れております。わたしが購入したものでも「2024年12月25日 第5刷」。10月に刊行されて約3カ月でここまでいってるんですから、小説としては破格の売れ行きといって良うございましょう。
語り手は「生殖本能」
2009年に『桐島、部活やめるってよ』(集英社)で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビューして以来、第148回直木賞、第29回坪田譲治文学賞、第34回柴田錬三郎賞を受賞。硬軟軽重自在の幅広い作風で読者を飽きさせない中堅人気作家として活躍の歩みを止めない朝井氏が、今回語り手に選んだのは生殖器に宿る生殖本能です。
乳房だったり、ペニスだったり、犬だったり、猫だったり、アンティークの壺だったりと、小説の語り手は何であったってOKですし、その手の変わった語り手の小説は古今東西いくらだってありますから、特に何の感興も覚えません。加点要素にも減点要素にもなりません。「あー、そーなんだー」くらいな感じです。
で、この生殖本能たる〈私〉の宿主が1989年10月1日生まれの達家尚成(しょうせい)。家電メーカーに入社して10年、総務部総務課に配属されている30代のサラリーマンです。
〈私〉曰く、〈自分で思い切った決断や判断をしなくても大きな流れみたいなものが全てを収まるところに収めてくれると思っている〉人物。では、どうしてそんな受動的で共同体意識が低く、みんなで事にあたる際には〈手は添えて、だけど力は込めず〉みたいなやる気に欠けるキャラクターになってしまったのかということが、「生殖本能〈私〉の観察と意見」といった記述によっておいおいわかっていく――それがこの物語の骨子です。
具体例となる尚成のエピソードを、観察者である〈私〉がツッコミを入れつつ考察していくという構成になっているため、〈私〉の意見が読者の頭に入りやすい。しかも、語り口がコミカルでテンポがいいので読みやすさ倍増。さすがの朝井リョウというべき、親切設計の物語になっています。
メス個体に性的興奮を抱かない主人公
自分が他の男子とちがって〈メス個体に性的興奮を抱かないヒトのオス個体〉であると気づいて以来、異性愛者から成る共同体に擬態し、構成員としての立場を安定させることに努めてきた尚成。
――ときたら話が深刻になったり湿っぽくなったりしがちなところを、朝井氏は尚成の人格設計をそうならないように操作し、〈私〉の客観的で時に辛辣な観察と意見、軽妙な語り口によって尚成の思考を解説する姿勢をもって、深刻ではないけれど真摯で、湿っぽくはないけれど無理矢理明るくもしない絶妙な物語に作り上げているんです。
尚成の小学校から会社に至るまでの人格形成。会社での経験や立ち位置。同期生である大輔、樹との交流。そうした尚成のエピソードから〈私〉が抽出する「ここがヘンだよ、人間社会」の要素にうなずかされることしばしば。
社会は〈共同体の均衡、維持、拡大、発展、成長に貢献〉することを我々に求めてくる。でも、その共同体は異性愛者というマジョリティに仕切られていて、同性愛者は笑ってもいいという空気も、同性愛者に結婚の権利をという運動も、その時々に共同体が作ってきた〈ブーム〉にすぎない。
〈今は、結婚だけが幸福じゃないとか、ひとりでも充実した人生を見つけられるとか孤独こそ至高の贅沢だとか、そのような言説も目立ちます。でもそれはあくまで選択肢がある側の個体が生み出すその時々の流行〉という辛辣な卓見。
尚成の出身地が選挙区である議員の同性婚を否定する〈私たちは、未来を担う子どもたちに、美しい日本の姿を継承しなければなりません〉という発言に対しての、〈この演説を聞いている次世代個体の中に擬態中の同性愛個体がいるとか全く想像しないんですかね。未来を担う子どもたちとか言っていますが、その中にももちろん同性愛個体はいますし、(略)そういう個体からすると同性婚すらできない共同体に次世代個体を発生させるなんて一種の虐待だよね?〉という反論。
〈私〉が「?」を突きつけるのは、マイノリティに無神経で非理解的な傾向だけではありません。常に新しさや進歩を目指して闇雲に新商品を生み出す社会の歪み。その拡大、発展、成長レースから〈誰もイチ抜けしないよう、互いが互いを強く監視し合うように〉なっている現状。男女の役割認識。少子化。SNSで散見される〈怒りへの瞬発的な同調〉。〈私〉は「今ここにある危機」全般に対し、真摯だけれど重ったるくはない、耳や心にすんなり入ってくる声で警鐘を鳴らしてくれるんです。
「小説仕立ての啓発書」のような読み心地が残念
……あんたは偉いっ! あんたが大将! そう言いたくなるような、〈私〉の問題意識の高さと意見のまっとうさに接することができるのが、この小説の読みどころになっているのは間違いありません。ただ、それゆえに、全体としては「小説仕立ての啓発書」のような読み心地になっているのが個人的には残念。
〈その生涯が語り継がれている個体って、紆余曲折の末に最終的には共同体との関係性を再構築して世のため人のために動くことで社会的動物としての幸福度を高めていく、みたいなパターンが殆どじゃないですか。その中で、異性愛個体から無意識的な特権意識が引き剥がされる未来に最速の体感で辿り着くべくお菓子作りとダイエットを繰り返すことこそが至上の幸福である個体の歴史、一個体分くらい残しておくべきですよ、きっと〉と〈私〉が信じる個体・尚成が本物の主人公である小説も、わたしは読んでみたいなあ。
というのも、尚成は決してバカではない、どころか知りたいことがあれば図書館で本を借りて読みふけるタイプだし、鈍感なところも含めて欠点がなかなかチャーミングだから、〈私〉の意見の“ために”存在するキャラではなく、本人独りで立てる力を内に秘めているキャラだと思うんです。
あと、〈私〉が生殖本能のわりに思考のバランスが整っていて優等生っぽいことにも少し違和感が……あっ、「生殖本能なんだから、もうちょっとギラギラしてみせろよ」なんて感想はダメ? 偏見? セクハラ? インスティンクト(本能)ハラスメントになりますか?
文/豊崎由美(書評家)