
「テクノロジースタートアップの創業者」といえば、何だかんだで資力に恵まれた実家のあるお坊ちゃんかお嬢ちゃんというイメージを持っている人は少なくないのではないか。
親の援助で大学を卒業し、そこから労働者としての経験を経ることなくスタートアップを立ち上げたCEO。そのような人物が「自分は有色人種で、周囲から理不尽な差別を受けていた」と演説をしても、巷の庶民の心には響かないのではないだろうか。なぜなら、彼は生まれながらにして平均以上の資力を持っている「『ドラえもん』のスネ夫」もしくは「『キテレツ大百科』のトンガリ」だからだ。
DEI(「Diversity(多様性)」「Equity(公平性)」「Inclusion(包括性)」のこと)が庶民からの十分な支持を得るに至っていないのは、結局はこのような現象が発生しているからではないか。しかし、世界を見渡してみると「貧困家庭出身の有色人種の女性がイギリス・ロンドンでテクノロジースタートアップを設立し、ロンドン市から賞金を得た」という映画のような実話に出くわすこともある。
求職者向け音声アシスタントを開発したEarlybird AI
去年7月、筆者は@DIMEでイギリスの求職者向けAI音声アシスタントを開発・運営する『Earlybird AI』についての記事を配信した。
80万ドルを資金調達!元ホームレスが開発した「就労支援AI音声アシスタント」が照らす希望の光
スタートアップの創業者の大半は、敢えて悪意のある言い方をすれば「恵まれた人」である。 豊かな家の子供として生まれ、一流大学に入って卒業できるまでの資力のある人々...
これは、仕事を探している人が音声アシスタントと会話をすることでその人のプロフィールを聞き出し、求職アドバイザーに情報が共有されるという仕組みを持ったプラットフォーム。求職者はスマホアプリ『Earlybird』から、24時間365日いつでも音声会話に臨める。
ここで言う「求職者」とは、より良い職場を探しているエンジニアやスキルを持った高度人材ではなく、失業者や低賃金労働者である。したがって、上記の「求職アドバイザー」は「ソーシャルワーカー」と表現したほうが妥当かもしれない。
求職者とAIアシスタントが会話することで得られた個人情報は、AIがまとめた上でソーシャルワーカーの勤務時間中に送信される。後日ソーシャルワーカーと求職者が面談を行う際、Earlybirdが抽出した情報が貴重な資料になるのだ。
旧態依然の方法では、ソーシャルワーカーは求職者の話を聞きながらメモを取るという作業をしなければならない。それでは求職者の話を聞くための労力・集中力がメモ取りのために削がれてしまう。したがって、面談の際は求職者1人に対してソーシャルワーカー2人(そのうちの1人は書記)という体制で実施することもあるが、それは余計なマンパワーを割り振らなければならないという意味でもある。
ロンドン市主催のピッチイベントで優勝
筆者が去年7月にEarlybird AIの記事を執筆した時点で、このスタートアップはプレシードラウンド80万ドルの資金調達に成功したばかりだった。
同時に、Earlybird AIはロンドン市主催のピッチコンテスト『No Wrong Door』に参加し、ファイナリスト15社の中に入った。記事の配信時点では、このコンテストの決勝は行われていなかった。
その後、Earlybird AIは優勝3社のうちの1社に選ばれ、ロンドン市から5万ポンド(約970万円)の賞金を獲得するに至った。
No Wrong Doorはロンドン市長サディク・カーン氏が多大なエネルギーを注いでいるイベントである。カーン氏はパキスタン系2世で父親はバスの運転手、母親は裁縫業者(いわゆる「お針子」。女性に対する雇用が少なかった時代、裁縫は糊口をしのぐ数少ない手段だった)という労働者家庭の出身だ。そのような経歴の市長が企画するピッチコンテストには、「労働者の生活水準向上」というコンセプトが組み込まれている。
CEOはホームレスを経験
Earlybird AIのCEO、Claudine Adeyemi-Adams氏も貧しい家庭の出身である。
その上、一時期はホームレス状態に陥り、親戚宅のソファの上や不潔なB&Bで過ごしていたという。「ホームレス」とは、必ずしも「路上生活者」を指す言葉ではないことに注意が必要だ。
イギリスではB&Bにしか身の寄せどころのない人の増加が社会問題になっている。これは日本で言うところの「ネットカフェ難民」である。Adeyemi-Adams氏はそのような過酷な環境下で勉学に励み、大学進学を果たしたのだった。
ホームレス経験者が立ち上げたスタートアップは、失業者に十分な給与を約束する雇用を分配すると同時にソーシャルワーカーの「働き方」にも光を当てた設計になっている。ソーシャルワーカーに健全な就労環境を与えなければ、失業者を救うどころではなくなるからだ。
筆者の記事配信からしばしの間が空いた頃、Earlybird AIはソーシャルワーカー向けのプラットフォーム『Earlybird WorkScribe』をローンチした。これは求職者との面談の際に収録した音声記録を基に、AIが議事録やその人に関するレポートを自動作成する機能を有したものだ。
ソーシャルワーカーは、メモ取りだけでなくレポートを作る時間もまるまるショートカットできる。Earlybird AIは、このプラットフォームを使えばソーシャルワーカー1人あたり月70時間を節約できると主張している。
AIは人類に何をもたらすか?
日本でも「議事録AI」が注目されつつあるが、Earlybird WorkScribeが示している方向性こそ「議事録AIの在り方」ではないかと筆者は考える。
今やAIは人の会話を認識し、その中で最も重要な意味を帯びる部分を仕分けるまでに至った。では、その機能をどのように活用するのか。我々人類は、AIとの「知恵比べ」に日々臨まされているのだ。
AIは、今も進化し続けている。これを「恐ろしいもの」と取るか、「人類の希望」と取るかは各人で分かれるだろう。しかし、AIをより良い形で利用しようという動きは確かにあり、それを実施している人たちが未来への道を切り開いているのだ。
【参考】
Earlybird AI
Mayor announces winner of innovation challenge to help more Londoners into work-Mayor of London
文/澤田真一