
コロナ禍が終わり2年目の春。2025年の「花見」の盛り上がりは、以前の水準まで回復する見込みだ。読者のなかにも、家族や友人と「花見」の計画を考えている方は多いだろう。
それにしても、なぜ日本人はなぜこれほど桜に魅了され、「花見」という一見奇妙なイベントに熱を上げるのだろう?
「花見」文化は、どのような歴史を経て、私たちのマインドに刻まれていったのか。 意外なヒントは、日本の歴史のなかで受け継がれてきた“ことば”にあった。国語学者の小野正弘先生と、「花見」のルーツと変遷を探った。
●小野 正弘
国語学者。明治大学文学部教授。専門は国語史。日本語の歴史、語彙、意味の変化を研究する。「三省堂現代新国語辞典 第七版」の編集主幹。著書に『オノマトペがあるから日本語は楽しい』(平凡社)、『日本語 オノマトペ辞典』(小学館)、『ケーススタディ 日本語の歴史』(おうふう) 、『感じる言葉オノマトペ』(角川学芸出版)、『くらべてわかるオノマトペ』(東洋館出版)など。
なぜ「花見」といえば桜?
小野先生:紫式部の「源氏物語」に「花の宴」という章があります。宮中で貴族たちが桜を愛でながら、漢詩を詠んだり、舞を舞ったりと、盛大に宴会をする様子が描かれます。桜の「花見」は、少なくとも平安時代からある習慣だったことがわかります。
筆者:「源氏物語」が1008年ですから、「花見」は日本で1000年以上も続いていることになるのですね。 でも、このころから花といえば桜のことだった、ということですよね。「花の宴」とだけ言って、桜の下での宴会を指しているわけですから。
小野先生:そうですね。でも、はじめからそうだったわけではないんです。もっと以前の花は、桜ではない花を指していました。
筆者:えっ、そうなんですか?? 日本の花といえば…菊でしょうか?
小野先生:梅です。奈良時代までの和歌を収録した「万葉集」では、花といえば梅。桜はほとんど詠まれませんでした。
「万葉集」には、太宰府で「梅花の宴」が開催され、そこで32首の和歌が詠まれたことが、記録されています。その序文(※)は、今の元号「令和」の由来となったことで有名です。
ところが、平安時代の「古今和歌集」では一転、花は桜を指すようになります。
※「令和」の出典は「初春の令月にして 気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす…」の一節。「令月」「風和」から一字ずつ取り「令和」となった。
筆者:なぜ花=梅から桜になったのでしょう?
小野先生:梅は漢詩でよく詠まれる花です。日本でも、当時の先進国である中国の文化にならって、梅を重んじたのでしょう。しかし、平安時代になると遣唐使を廃止するなど、日本固有の文化が見直されていきます。
ちなみに「梅=うめ」は訓読み認定されていますが、元々は中国語の「メイ」のような発音が日本語に馴染んだもの。元々日本にあった「和語」ではなく、中国から来た外来語「漢語」なんです。梅は中国原産で、古代に輸入された花木ですから、日本人にとって外国の花だったんですね。
もうひとつちなみに、「馬=うま」も同じで、中国語の「マー」のような発音が元になっています。馬も大陸から朝鮮半島を経て伝来したものなので、ことばとしても日本には存在しなかったんです。
筆者:へぇ! ことばっておもしろい!
「花見」が文化になった納得の理由とは?
小野先生:話を戻しましょう。日本語の中で花の代名詞は、梅から桜に代わっていった。でも、梅見(観梅)の習慣が、そのまま桜見に代わったのか、というと少し違う気もします。 梅の花は近くで見るととても可愛らしいですし、香りもよいです。でも、桜の咲き方はもっと豊かですよね。
筆者:今と昔とでは品種も違うのでしょうが、桜の花はすごく絢爛で、「咲き誇る」という感じがぴったりです。
小野先生:そうなんです。日本人が桜をどう見ていたかは、ことばからよくわかります。桜の語源は諸説ありますが、「咲く」に深く結びついていると考えられます。昔から“花といえば”どころか、咲くものといえば桜、だったわけです。
筆者:えっ、咲く→さくらになったんですか? 意外にシンプルですね。それだけに、別格感があります…。
小野先生:日本人にとって桜が特別な存在だったからこそ、「花見」も受け継がれ、発達していったのだと思います。「梅花の宴」も「花の宴」も貴族の文化でしたが、時代が下ると武士へも広がっていきました。鎌倉時代の「平家物語」には、初めて「花見」ということばが登場します。 (※すべての写本に載っているわけではないが、中世にはすでに用例があったと考えられる)
さらに下って、安土桃山時代には、豊臣秀吉が豪勢な「吉野の花見」を行った記録があります。徳川家康や前田利家、伊達政宗ら総勢5000人で、大阪から奈良の吉野山まで出かけていきました。
筆者:なるほど。確かに梅が目当てなら、そこまではしないかもしれませんね。比較的派手な桜だからこそ成り立つ、ぜいたくな「花見」のような気がします。
小野先生:はい。江戸時代に入ると、「花見」は庶民に広がっていきます。酒を飲んでどんちゃん騒ぎするような「花見」は、江戸の後期に確立しました。
筆者:現代のスタイルですね。これも歴史は200年くらいあるわけだ…。
小野先生:19世紀に作られた「花暦八笑人」という滑稽本では、飛鳥山での花見のエピソードが描かれています。お金がなく、酒もごちそうも買えない道楽者が、花見客の前で仇討ちの寸劇を演じて、一緒に盛り上がろうとするお話です。結局、本当の仇討ちだと勘違いされ、大変なことになるのですが…。
筆者:もはや、桜は関係ないんじゃないか?という。でも、バカバカしくても、ぱあっと騒ぐ、という行為は、華やかに咲いて散ってしまう桜によく似合う気がします。 平安から続く「花見」の精神はここなのかと。今年の花見は、バカになって盛大に騒ぎたいと思います。
小野先生:周りに迷惑をかけない程度にしてくださいね…。
いつの間にか消えた「桜狩り」
筆者:ところで、花を見て酒を飲む、宴会を催す、というのは日本ならではの考え方なんでしょうか? 公園で大勢が地べたに座って宴会をしている光景は、世界でも珍しいのではないかと思いますが…。
小野先生:外国のことは詳しくわかりませんが、わざわざお酒を持って出かけ、外で宴会するのは、おもしろい行為だと思います。もっと、プライベートな空間に桜を持ち込んで、楽しんでもよいような気がしませんか?
筆者:確かに、そうですね。私もお金があれば庭に桜を植えたり、たまには眺めのよい宿やレストランの個室で桜を見ながらじっくり飲みたい、なんて思います。まあ、公共の場での「花見」には、それとは別の高揚感があるように思いますが…。
小野先生:そうですね。同じ桜を見るにも、オープンな宴会とプライベートな観賞は別物で、当然後者も行われてきました。 平安時代の文献(宇津保物語)には「桜狩り」ということばが登場します。
筆者:秋の「紅葉狩り」の春バージョン、ということですかね? 「桜狩り」って物騒な感じもしますし、ちょっとピンときませんが…。
小野先生:はい。現代ではあまり使わないことばですね。
かつては人々が山に入り、気に入った桜や紅葉の枝を探し歩きに行っていたのでしょう。こちらはプライベートな草花の観賞です。
おもしろいのは、「紅葉狩り」が文献にあらわれるのは、「桜狩り」の登場から300年後の鎌倉時代末期だということ。「桜狩り」がはじめにあって、なぞらえる形で「紅葉狩り」ができたものと考えられます。しかし、本家であるはずの「桜狩り」が、現代ではほぼ消えてしまった…。
筆者:なぜだろう?「花見」文化が発達したために、桜はオープンな場でみんなで楽しむ、という意識が定着したのでしょうか。
小野先生:まさにそうで、「花見」という言葉が定着すれば、古い「桜狩り」という言葉はいらなくなる理屈です。
ちなみに「狩り」は、元々「対象を探し出して自分のものにする」という意味がありました。現代では、「狩り」というと、動物のことを思い浮かべてしまいますが、もっと広い意味だったものと思われます。
筆者:おっ、それなら現代の日本人は、すごく上手に「桜狩り」を楽しんでいますね。満開の桜をバックに自撮りして、SNSにアップするなんて、木を傷つけることなく、見事に桜を自分のものにしてるじゃないですか!?
小野先生:そうですね。自分がいいと思うものを見つけて、みんなに誇るというのは、まさに古き「狩り」の精神です。
筆者:どんちゃん騒ぎの宴会と、SNSなどを駆使して自分のために楽しむ狩り。両方楽しむのが令和流「花見」の極意ですね!
取材・文/小越建典