
中国の人工知能研究所であり、オープンソースの大規模言語モデル開発を手がけるディープシーク(DeepSeek、深度求索)。2025年1月20日にDeepSeek-R1、およびDeepSeek-R1-Zeroがリリースされ、米国の金融市場におけるAI関連株の急落という事態を招いた。
そんな中国製AIが市場に与えた影響と現状、さらに今後の市場動向に関するリポートが三井住友DSアセットマネジメント チーフグローバルストラテジスト・白木 久史 氏から届いたので概要を紹介する。
◎個別銘柄に言及していますが、当該銘柄を推奨するものではありません。
1:米ハイテク株を直撃、赤い彗星ディープシーク
先端半導体の輸入が制限される中、中国発のAIベンチャー企業ディープシークが米国にひと泡吹かせたことで、世界の株式市場に激震が走った。
中国政府が成果を積極的にアピールしたこともあって、ディープシークの登場は中国ハイテク株が大きく反発するきっかけとなったが、奇襲にひるんだ米ハイテク株は対照的に冴えない展開が続いている。
一方、科学が発達する以前は「不吉な出来事の前兆」とされた彗星のように、市場の不安心理を大いにかきたてた赤い彗星ディープシークだったが、その後の顛末はなんともモヤモヤとした状況になっている。
実際、中国製AI「ディープシーク」の登場は、世界のハイテク業界と金融市場に大きなインパクトをもたらした。というのも、ディープシークの性能は米オープンAIなどが開発した最先端の大規模言語モデル(LLM)と同等であるにもかかわらず、エヌビディア製の最先端AI半導体は使わず驚異的な低コストで開発された、と報じられたからだ。
さらに、主要なアプリストアでのダウンロードランキングで全米1位を獲得したこともあって、世界はディープシークの話題で持ちきりとなった。
米ハイテク株が上昇をけん引してきた株式市場に与えた影響は大きく、ディープシークが大々的に報じられた直後の1月27日のニューヨーク株式市場では、エヌビディア株は1日で約17%下落し、同社の時価総額の約5900億ドル(約91兆円)が吹き飛んだ。
また同日には、ナスダック市場全体でも時価総額の約1兆ドル(約154兆円)以上が消失することになった。
■攻守逆転の様相を見せる米中ハイテク株
まさに「ディープシーク・ショック」と呼ぶにふさわしい状況となり、その後の米ハイテク株の調整局面入りを決定づけるイベントとなったのは記憶に新しいところだ。
そして、米ハイテク株から逃げだした資金の一部は、香港に上場する中国ハイテク株へと向かったようだ。香港ハンセン・テクノロジー株指数はディープシーク・ショック前の水準から3月6日に付けた直近高値の6068.77ポイントまで、1月半ほどの間に約35.8%も上昇した(図表1)。
まさに、AI開発競争における米中の好守逆転を印象付ける出来事にも感じられるが、その後のディープシークにまつわる顛末をつぶさに追っていくと、事態はそんなに単純でないことに気づかされる。
2:ディープシークとフェイクキャンペーン
低コストでありながら高スペックを実現した「驚異の最先端AI」として世界の話題を独占したディープシークだったが、そのデビュー当初より指摘されていたのが「蒸留(他社のLLMをモデルに学習することで学習プロセスを効率化・簡略化する開発手法)」と呼ばれる開発手法や、他社データへの不正アクセスに関する疑惑だった。
そんなディープシークの「神話」を揺るがす出来事が続いている。
シンガポール当局は2月27日にシンガポール人2名、中国人1名について、エヌビディア製の最先端半導体を不正に入手・輸出したとして詐欺罪で起訴した。なお、不正に取得・輸出されたエヌビディア製半導体はAIサーバーに搭載され、マレーシア経由で中国のディープシークに渡った可能性が指摘されている。
■疑惑続出のディープシーク、崩れる神話、はがれるメッキ
半導体業界やAIの技術動向などの調査・分析を行なう米独立系調査会社のセミアナリシスでは、「ディープシークはAI開発のために少なくとも5億ドル相当の半導体を購入し、エヌビディア製半導体のH800を約1万個、H100を約1万個、H20を約3万個を保有している」と報じられている。
こうした調査結果が正しいのであれば、ディープシークが最先端の半導体を使用せず、低コストで最先端のAI開発に成功したとする説明は、相当に「盛った話」であった可能性が高まる。
さらに、他社AIから利用規約に反する方法でデータを取得し、蒸留とよばれる手法でLLMを開発していたのだとすれば、低コストで高スペックのAIを開発したその「高い技術力」についても、疑念を抱かれてもしょうがない。
■ディープシーク・ショックを演出した?大規模フェイクキャンペーン
そんな「あやしい彗星」が世界中で旋風を巻き起こした背景には、巧みに仕組まれた偽情報キャンペーンがあった可能性が指摘されている。
東証スタンダード上場のIT企業テリロジー・ホールディングスと提携して、日本でも「ディープフェイク検知サービス」を提供するイスラエルのITセキュリティ企業サイアブラ社は、「ディープシーク:組織的な偽情報キャンペーン “DeepSeek AI: Coordinated Fake Campaign”」という調査レポートを公表している。
同社はレポートの中で、一連のディープシークにまつわるフィーバーが、
(1)最近作られた数千もの偽アカウントを起点に、
(2)中国のボット・ネットワーク(ウイルスに感染したコンピューターをネットワーク化したもの)を活用し、
(3)政府の関与の元で組織的かつ大々的に行われた「偽情報キャンペーンであった可能性が高い」、
と結論付けている。
カナダの政府情報機関であるカナダ安全情報局(CSIS)は、中国政府が不正な手段を用いて2019年と2021年のカナダの国政選挙に介入し、親中的な候補者を複数当選させたと報告している。
米中の対立関係が先鋭化する昨今、こうした情報工作は政治、経済、安全保障といった様々な分野で活発化する状況にあるようだ。
そして、安全保障とも密接に関わる最先端のAI開発の分野で、サイアブラ社が指摘したような情報工作が仮に仕掛けられていたとしても、驚くには値しないだろう。
そう考えると、私たち投資家としても、「こうした情報工作もありうべし」と心得た上で、情報の精査と投資判断を行っていく必要がありそうだ。