
東京オリンピックのスポーツクライミング種目で銅メダルを獲得した野口啓代さんが、彼女の地元である茨城県龍ヶ崎市でスポーツクライミングの大会「AKIYO’s DREAM with RYUGASAK」を龍ヶ崎市と共同で開催した。
大会は3月15日、16日の2日間で行われ、小学生・中学生を対象としたユース大会となる。
野口さんは「ヨーロッパでは学校の授業でクライミングがあるほど身近なスポーツ。今後は龍ヶ崎市と協力して、日本でも学校の部活や授業で小さい頃からクライミングができる環境を作りたい」と次世代の育成やスポーツクライミングの発展の夢を語る。
茨城県・龍ヶ崎市をスポーツクライミングの聖地に
スポーツクライミングは、東京オリンピックではじめて正式種目として採用され野口さんを含む四人の日本人選手が出場。女子では野中生萌選手が銀メダル、野口さんが銅メダルを獲得している。24年のパリオリンピックでも安楽宙斗(あんらく・そらと)選手が銀メダルを獲得。新しい世代の選手が次々と誕生し盛り上がるクライミング界隈だが、今大会にかける思いを野口さんは報道陣に向けて次にように語った。
「龍ヶ崎をクライミングの聖地にしていきたいと考えています。
その一歩目となる『AKIYO’s DREAM with RYUGASAKI』は、私の地元で何か面白いことがしたいという思いとクライミングの業界を応援したいという思いが重なってユースの全国大会として開催するに至りました。JMSCA(日本山岳・スポーツクライミング協会)の公式大会ではありませんが、に日オン全国からトップクラスの選手も参加してくれており大会としての手応えを感じています。今後はユースの世界選考大会やジャパンカップなど、さらに格式の高い大会へと成長させていきたいと考えています」
野口さんは「龍ヶ崎ふるさと大使」として地元・龍ヶ崎でスポーツクライミングの普及活動にも積極的に行なっている。今回の大会でも龍ヶ崎に住む小中学生が多く参加をしている。いずれはユース大会だけでなくプロ選手たちが集まるようなシニアの日本大会や世界大会も目指したいと野口さんは語る。しかし、今後の聖地化へと拡大するにはまだまだ課題もある。
「龍ヶ崎には民間のクライミングジムがありません。クライミングをはじめてくれた子も、つくばや印西のジムに通っています。龍ヶ崎はクライミングの空白地帯。民間のジムだけでなく、今回の大会を開催したニューライフアリーナ龍ヶ崎には(常設では)小さい壁しかないので、ゆくゆくはボルダー、リード、スピードの3種目できるような大きな施設を建設していきたいです」(野口さん)
龍ヶ崎市は令和6年度より「スポーツクライミングのまち龍ヶ崎」を掲げ、まちづくりを進めている。龍ヶ崎市には野口さんだけでなく、彼女の夫で東京、パリと二大会連続でスポーツクライミングの代表になった楢﨑智亜さん、彼の弟で同じくクライミング選手の楢﨑明智さんなど、一流のクライミング選手が住んでいる。また、県内で見るとつくば市にはパリオリンピックの代表にもなった森秋彩選手がいる。実は、龍ヶ崎市を中心とする茨城県はスポーツクライミングの層が日本一レベルで高い。
その龍ケ崎市で行われた本大会は、「スポーツクライミングのまち龍ヶ崎」事業のキックオフイベントとしてして実施されたものだが、参加者は200名以上。全国各地からクライマーが集まった。キックオフイベントとして、野口さんの夢への第一歩としては大成功を収めたと言えるだろう。
野口啓代さんプロフィール
小学5年生の時に家族旅行先のグアムでフリークライミングに出会う。クライミングを初めてわずか1年で全日本ユースを制覇。その後数々の国内外の大会で輝かしい成績を残し、2008年ボルダリング ワールドカップで日本人初の優勝。通算4度(2009年、2010年、2014年、2015年)の年間総合優勝という快挙を果たし、ワールドカップ優勝も通算21勝を数える。
2018年にはコンバインドジャパンカップ、アジア競技大会で金メダルを獲得。2019年世界選手権で2位。自身の集大成、そして競技人生の最後の舞台となった東京2020オリンピックでは銅メダルを獲得。その後、現役を引退しプロクライマーとなる。現在は、自身の経験をもとにクライミングの普及に尽力。また「Mind Control」(8c+)、「The Mandara」(V12)を凌駕するような外岩の活動も行なう。
取材・文/峯亮佑