ドンが生まれるのは‟未来に希望を持つ”から
筆者:「平等が原理」とはそういうことですね。でも、社会を維持するためには、リーダーは必要ではないでしょうか?
奥野先生:はい。「ビッグマン」というアドホック(一時的)なリーダーがいます。
ビッグマンは、「酋長」のようにずっとその地位にとどまるわけではありません。世襲でも、戦いでも、投票でもなく、自然にそうなっていきます。彼らが大切にする平等主義、シェアリング・エコノミーを、誰よりも実践する人がビッグマンとなるのです。
ビッグマンにはさまざまなモノ、お金、情報が集まりますが、全部気前よくみんなにわけてしまいます。ビッグマンは、共同体の中で誰よりみすぼらしい格好をしているんです。だからこそ尊敬され、揉め事を仲裁する際など、非常にことばが重んじられます。
筆者:でも、先ほどお聞きしたように、心の底には独占欲はあるわけですよね。自分はさておき、家族には良い暮らしをさせたいと、思ったりもするのではないかと。立場を利用して、蓄財するビッグマンはいないのですか?
奥野先生:たまにいます。お金やモノを独り占めし、周囲の人に尊大な態度をとったり、やがて権力を行使しようとするかもしれません。しかし、プナンの人たちはビッグマンのそんな態度を、決して見逃しません。
彼らは、そのような穏やかならぬ行動をしたビッグマンに、不満を述べ立てることはありません。ただ、見切りを付けて、黙って離れていくのです。そして、本当にシェアリング・エコノミーを大事にしている別のビッグマンの元に行くのです。
筆者:そして、お金もものも情報も、集まらなくなるのですね。権力を持つけれど、少しでも行使しようとすると、その権力を失う。。。まだまだこんがらがっていますが、「なぜドンがうまれるか?」のヒントはそのあたりにありそうです。
奥野先生:お、どんなところでしょう?
筆者:ひとつは社会の流動性です。
たとえば、学校のクラスでは逃げ場がありませんから、ケンカが強いとか、お金があるとか、「持つ者」が権力を持ち、やがてドンになる可能性が高い。でも、プナンのように共同体とそのリーダーを自由に選択できるなら、嫌な奴に従う必要はないわけです。
奥野先生:そうですね。プナンには権力が一人に集中することを防ぐ仕組みがある。これを人類学では、誰かが作ったのではなく、無意識のうちに働いている「構造」と呼んでいます。
筆者:でも、私たちの社会はそうなっていない。ドンはすごく強欲で、権力に執着し、何でも手に入れたがる。だから、権力をチェックしたり分散させる「ルール」はあるのだけれど、社会の中に埋め込まれた構造はないため、抜け道はたくさんある。だから、権力がときに隠され、抑制できなく……あれっ?
「ドンになぜ人が従うか?」を単純化すれば、従うとよいことがあるからですよね。
奥野先生:そうですね。冒頭の芸能事務所社長とメディアの例が象徴しています。
筆者:ドンに従っていれば、学校のクラスならヒエラルキーの上位にいられる、企業やビジネスならお金が稼げる、国や自治体なら生活が潤う。あるいは、持っているものを失わずに済む。
本当は支配する側(ドン)だけでなく、支配される側も強欲で、私たちはそれを抑制できる内なる仕組みや知恵を持っていない、ということなんじゃないでしょうか?
私たちのやり方は、必ずしもネガティブなことばかりではなく、「夢」や「希望」に深く関わっているのではないかと思われます。将来に何かを得たいから、我慢したり、不正を見逃すことが、正当化される。その間に、ドンはどんどん権力を増大させていく。
奥野先生:プナンには、「将来〇〇になりたいから、今□□をしなければならない」という目的論的な思考がありません。子どもに「大人になったら何になりたい?」と聞いても、理解できず「ポカーン」としています。
筆者:ドンがうまれるのは、私たちが「未来を想像するから」なのかも! 「将来のため」という目的論思考が学校や会社、そしてドンに、人を執着させるのではないかと。
ドンに支配されないために
筆者:プナンとは違い、私的所有を前提とする私たちの社会で、ドンがうまれるのは必然なのだと思います。行き過ぎた権力の行使を、抑制する方法は何だと思いますか?
奥野先生:「他者を知る」ことだと、私は思います。
極論すれば私たちは、学校に行って勉強し、会社でお金を稼ぐことが「絶対的な善」、だとされる世界で生きてきました。ひとつのレギュレーションのなかで社会が作られているが故に、そこから外に出られず、望まないドンの影響から逃れられないのではないでしょうか?
しかし、その世界を一歩出れば、まったく違う世界が広がっています。プナンの例からもわかるとおり、それはまぎれもない現実です。
筆者:私はビジネスの世界、資本主義のど真ん中に生きています。フリーランスなので、会社の枠組みで支配されることはありませんが、ビジネスの世界で力を持つ人の考え方に影響されることはある気がします。
でも、近所のおじいちゃん、おばあちゃんとか、子どもの学童のコミュニティとか、すごく身近に違う世界があるとも感じます。プナンの森でフィールドワークすることは難しいですが、そんな軸の違う世界を体験し、学ぶことはできます。
奥野先生:確かに、他者から学ぶ機会は、身近にたくさんあるでしょう。
他者のやり方を知らず、自分の世界のドンをすべてにおいて絶対視すると、暴走させてしまいます。物事を一元的にみることはとても危険です。
気をつけてほしいのは、他者をヒントにするとき、「自分の当たり前」で彼らを見ると、本質を見誤るということです。あくまで、彼らがしていることを、そのまま見て学ぶ態度が大切なのではないでしょうか?
取材・文/ソルバ!