
未来オムニプレゼンスは、カトウとスズキによって運営されるSFプロトタイピングカンパニーだ。彼らの使命は、クライアントからの依頼に基づき、未来を「予測」するのではなく、未来を「創る」ことにある。
今回のクライアントは、国内外で一定のシェアを誇る寝具メーカー「ネムリノユメ株式会社」の藤原社長。マットレスや敷布団の上に人が横になり、掛け布団を掛けるという長年大きな変化がないベッドの在り方に、一石を投じるようなラディカルなアイディアの必要性を感じていた。というのも、参入ブランドが増え既に業界は飽和しており、10年後、20年後を見据えた全く新しい方向性を模索しなければ生き残れない、という危機感があった。
しかし、寝具一筋で経営してきた藤原社長には、その固定観念を打ち砕くようなインパクトのあるプロダクトの創造に限界があった。そんな折に耳にしたのが、SFプロトタイピングで未来の生活を鮮明に描く「未来オムニプレゼンス」である。彼は意を決して、彼らにアプローチした。
ここから先は、依頼を受けた未来オムニプレゼンスが“未来の寝具”をめぐって紡ぎ上げた物語である。
CASE022 未来寝具のある光景
10年後のある朝。東京湾岸エリアに建つタワーマンションの一室で、若きビジネスパーソンのタカシは、近未来型の寝具「エアリー・ドームベッド」に横たわっていた。これは、ネムリノユメ株式会社が従来の掛け布団やマットレスに頼らない新アプローチとして構想中の製品だ。
最大の特徴は、ベッドと天蓋が一体となり、風向・風圧・空気圧を調整して“感触”を生み出すという点。通常の寝具であれば、肌に触れるのはマットレスや掛け布団だが、この「エアリー・ドームベッド」では、あえて掛け布団を排し、空気の流れと気圧制御を用いて人体を包み込む発想を取っているのだ。ユーザーが欲しい“重み”を、圧力としてピンポイントで生み出せる。また、温度や湿度の調整も自在であり、まったく新しい“快眠”を作り出すのである。
タカシは今までよりもすっきりと目が覚めた心地よさを感じながら、昨夜選んでおいた設定を思い出した。今朝は「陽の暖かな草原」を再現してくれるよう設定していたはずだ。天蓋内部に内蔵された香りと音のシステムが作動し、かすかな鳥のさえずりとグリーン系のアロマが静かに広がっている。空気圧を変化させることで、頬や腕に触れる風がまるで優しいそよ風のように身体を撫で、柔らかな暖かさとともにタカシの脳はゆっくりと覚醒状態へ移行していく。
「……これが、掛け布団なしで寝る感覚か」
タカシはまだ夢見心地の表情を浮かべながら呟いた。寝汗や寝起きの体温調整もスムーズで、急激な寒暖差がないため、想像していたよりも遥かに快適だという印象を持つ。
この寝具の背景には、ネムリノユメ社が一貫して抱えてきた問題意識がある。つまり、「どれほど多機能で高品質なマットレスや掛け布団を開発しても、ユーザーはそのメンテナンスや季節ごとの入れ替えに苦労し、結局は負担を感じてしまう」という事実だ。家事負担を減らす目的で寝具に投資をしても、カバーの洗濯や布団の干し替えは必須で、さらにスマホアプリやウェアラブルデバイスとの煩雑な連携の操作まで要求されると、「眠ること自体がストレスになる」という本末転倒な状況が生まれかねない。
だが、この「エアリー・ドームベッド」は、空気の流れや圧力をコントロールするだけで温度調整を行い、天蓋は蚊帳の役割も果たし外敵(虫)を遠ざける。掛け布団を干す必要もなく、基本操作はエアコンのリモコンのようにシンプルだ。実際、昨夜タカシはリモコンで「日向の草原」プリセットを選んだだけだった。天蓋内の空間は完璧に制御されており、暑い夏でも涼風を循環させ、寒い冬でも温かい空気層を維持することで快適さを保つ。まさに「ベッドの概念を根本から変える」アプローチだといえる。
睡眠をデザインする──タカシとユウジの会話
その日の夕方、タカシは友人のユウジと近所のカフェで落ち合い、最近興味を持った睡眠テックについて熱心に語り合っていた。ユウジもまた、最新のテクノロジーには目がない。
「俺も最近、エアリー・ドームベッドって聞いたことあるんだよね。まだプロトタイプ段階らしいけど、『身体に直接触れる寝具』をなくして、空気と音と香りで快適性を生み出すって発想はすごいよな」
タカシは嬉しそうに頷く。
「寝具の調整機能が複雑だと、逆に煩わしくて使わなくなるっていう話をよく聞くだろ? あれは、実際にいくつかのベンチャーが失敗してきた理由でもあるらしい。でも、空気の制御なら、温度や湿度はもちろん、体への圧力をコントロールする機構をシンプルに作れるんだって」
ユウジは少し身を乗り出し、興味津々な様子で続ける。
「それに、寝具を干したり洗ったりする手間も要らなくなるのは魅力的だなぁ。朝の忙しい時間にシーツ替えとか地味に面倒だろ? それが減るだけで、かなりストレスフリーになりそう」
彼は目を輝かせ、まだ実物を見たことのない「エアリー・ドームベッド」に想像を膨らませる。たとえ高価でも、本当に快適な睡眠が得られるならば、投資する価値は十分にある。AIとロボティクスの進化によって、仕事や家事に費やす時間が減り、余暇や健康への関心が高まっている現代。こうした商品が人々のライフスタイルを一変させる可能性を秘めていることを、タカシとユウジは感じ取っていた。
シニア世代の視点──ミキさんの想い
同じ街に暮らすシニア世代のミキさんは、昔から睡眠に対して「お金をかけるなんてナンセンスだ」と考えていたタイプだ。ところが、最近は膝の痛みや腰痛が気になるようになり、定期的な布団の上げ下ろしや枕の高さ調整が思いのほか大変になってきた。
近所の知人から「エアリー・ドームベッド」の話を耳にしたときは半信半疑だったが、プロトタイプの展示会を見学した際に大きく印象を変えられたという。
「昔は掛け布団を干すのも、体力があったしなんとも思わなかったのよ。でも、年を取るとベランダに出るのも一苦労だし、布団やシーツって意外と重いの。毎日快適に寝られるなら、もっと生活が楽になるんじゃないかと思ってね」
ミキさんは遠く離れて住む孫にオンラインで相談すると、「おばあちゃんこそ、最新の寝具にトライしてみるのいいんじゃない?」と背中を押されたらしい。AIを使った複雑な計測や、スマホとの連携が必須というわけではなく、あくまでも空気の制御が中心。操作はリモコンやタッチパネルで簡単にできるという点が、彼女には大きな安心材料だった。
五感への刺激と演出──香りと音がもたらす新しい眠り
「エアリー・ドームベッド」で特に注目されるのは、香りと音を組み合わせて理想のシチュエーションを演出できることだ。
たとえば、脳をリラックスさせるためにヒーリング音楽を流しつつ、微かなフローラル系の香りを空気の流れと一緒に送り込むことで、まるで自然の花畑に身を委ねているような感覚を作り出す。また、朝の目覚め時には、徐々に空気圧を変化させて身体を優しく起こし、同時に小鳥のさえずりと柑橘系の爽やかなアロマで脳をスッキリ活性化するプログラムをセットすることもできる。
気分によっては、真っ暗闇の静寂を楽しみたいときもあるだろう。そんな場合は、天蓋内部の通気ファンを控えめに稼働させ、香りもごく弱めの設定にすることで、より空気に包まれる感覚を際立たせる。五感をコントロールすることで、睡眠に入る直前から目覚める瞬間までを「好きな映画を観る感覚で演出する」というのが、このコンセプトの核心なのだ。デフォルトで備わっているプリセットだけでも、「暖炉のあるログハウス」「雨上がりの高原」、中には「実家のこたつ」などのちょっとユニークなものまだ多数あり、眠りにつくという行動自体が、幸福感のあるワクワクした体験へと変わるのだ。
———以上が、依頼に基づいて作り上げられたSFプロトタイピングのストーリー全文である。
藤原社長との対話──新たなビジョンへの第一歩
数日後、ネムリノユメ株式会社の本社ビルにあるガラス張りの会議室で、未来オムニプレゼンスのカトウとスズキが藤原社長と向き合っていた。テーブルには、カトウたちがまとめたSFプロトタイプ「CASE022」のビジョンブックが広げられ、そこには「エアリー・ドームベッド」の概念図や利用シーンが詳細に描かれている。
藤原社長は、そのページをめくりながら深い感慨に耽る。
「私が求めているのは、単に『よく眠れる寝具』の延長ではないんです。寝る前に自分自身を見つめ直し、そして朝には新たな発想やエネルギーを得られる――そんな生きる力が湧いてくるような寝具。なるほど、確かに掛け布団の常識を打ち破って、風と香りで快適性を演出するアプローチなら、まったく新しい視点を与えてくれるかもしれない」
スズキが静かに頷きながら説明を加える。
「はい。多くの寝具関連ベンチャーが、身体データを複雑に計測したり、マットレスを自動変形させる技術を試みましたが、それがむしろユーザーのストレスになり、浸透しませんでした。私たちの提案は、もっとシンプルに“空気”と“香り”と“音”をコントロールするだけで、快適な睡眠環境を作り出すというものです。難解な連携アプリや細かい設定は必要なく、エアコンを操作するように扱っていただけるよう考えています」
藤原社長は感慨深げに目を細める。
「まさしく、そこが私の理想だ。寝具が複雑すぎると、せっかくの癒やしが逆に負担になる。技術を最先端にするにしても、ユーザーの手間を最小限に抑えることが重要だ。それこそが、真に革新的なアプローチだろう」
カトウはページをめくりながら言葉を継ぐ。
「藤原社長、このCASE022はあくまでSFプロトタイプですが、これから数年先、技術と社会状況が整ってくれば、実現可能性が十分にあります。人によって体型や性格、好みは様々です。掛け布団やマットレスという物理的な素材で対応し切れない個別の快・不快を、空気制御やアロマ・サウンド演出によって補う。さらに、ユーザーが毎朝、新たなアイディアやインスピレーションを得られるようなプラットフォームに育てたいのです」
その言葉に、藤原社長の瞳には期待の光が見える。
「我が社が長年培ってきた寝具開発のノウハウと、あなたたちのビジョンが結びつけば、新しい方向性が拓けるかもしれない。これはまさに、ネムリノユメ社の新たな一歩だ。やりましょう。エアリー・ドームベッドのコンセプトをさらに深掘りして、私たちなりに“未来の睡眠”を形にしてみたいと思います」
こうして、藤原社長の決断をきっかけに、ネムリノユメ社は未来オムニプレゼンスの提案した「エアリー・ドームベッド」ビジョンを自社の研究テーマに据え、より現実的な実装に向けて動き出すことになった。
エピローグ──CASE022が灯す未来
それからしばらくして、ネムリノユメ社はCASE022で提示されたビジョンをもとに、モニター向けの小規模な実験プロジェクトをスタートする。あくまでプロトタイプ段階なので、まだ市販化は遠い先だが、実際に試作ユニットを体験したユーザーからは、「身体の負担が少なく、呼吸が楽」「寝入りから目覚めまで五感が心地いい」「布団を干さなくて良いのがありがたい」など、前向きな反響が寄せられ始めていた。
ある家庭では、「まるで陽だまりの草原に寝そべっているみたい」と子どもたちが大はしゃぎし、シニア世代の祖母は「膝や腰への負担が減り、眠る前の準備が楽になった」と笑顔を見せる。さらに、クリエイターやアーティストからは「寝起きの瞬間に思わぬ閃きが生まれる」と好評の声があがり、睡眠と創造性を結びつける新たな価値にも注目が集まり出している。
未来オムニプレゼンスのカトウとスズキは、夜のオフィスで静かに向かい合い、熱い思いを語り合う。
「僕たちが描いたのは、ただ単に寝心地を追求する寝具ではなく、利用者の生活を根底から変えるようなプラットフォームだ。空気と香り、音の演出によって、人は想像以上にストレスを和らげ、また新たなインスピレーションを得られる。これが実現すれば、『眠り』は単なる休息を超えて、自己成長やコミュニケーションの起点になるはずだ」
「今まではマットレスの硬さや掛け布団の性能を突き詰めてきた業界が、ここにきて空気の流れと五感演出の領域に踏み込むなんて、まさに新時代の扉を開く瞬間だよね。CASE022のビジョンを形にするために、まだ乗り越えなければならない課題は多いけど……未来は確かに動き出していると感じるよ」
窓の外には、ビル群の光が夜空を染め、まばゆい都市の景観を描いていた。
その光の粒を見つめながら、2人は静かな確信を抱く。技術と人間性が融合した未来のライフスタイル――その重要な一端を担う「エアリー・ドームベッド」というコンセプトは、ネムリノユメ社の新たなビジョンとして大きく育とうとしている。
CASE022がもたらした“眠りのプラットフォーム”というアイディアは、今後どのような形で私たちの生活を変えるのだろうか。見上げれば、まだ星のように散りばめられた多くの可能性が光っている。ネムリノユメ社と未来オムニプレゼンスは、その光を一つひとつ掬い上げながら、人々がより深く、そして自由に眠りと向き合える世界を生み出そうとしているのだ。
果たして、掛け布団のない新しい睡眠スタイル――「エアリー・ドームベッド」をめぐる物語は、まだ終わりを迎えていない。むしろ、これから始まる新たな挑戦の第一章として、未来への希望を胸に灯し続けていくに違いない。
文/未来オムニプレゼンス