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バッグメーカーのエースは、推測2000万個を販売した昭和の大ヒット商品「マジソン・バッグ」の開発秘話やエピソードを公開した。
2000万個販売という伝説を打ち立てた 「マジソン・バッグ」が爆発的にヒットした理由とは?
昭和40年代、ファッショントレンドを牽引していたのは団塊世代であった。米国型民主主義教育を受けた彼らは、アメリカンカジュアルに強い関心を持ち、自由で肩の凝らないスタイルを好んでいた。
昭和42年~43年頃には、アメカジが定着し、横文字(英文字)の入ったトレーナーやスタジャンが数多く出回るようになった。
こうした背景の中、昭和43年に日本初の横文字入りカバンとして登場したのが、「マジソン・スクエア・ガーデン・バッグ」、通称「マジソン・バッグ」だ。
エースの開発部では、若者向けの新しいバッグを開発すべく挑戦を続けている。その中で、「ベーシックなスポーツバッグに横文字をプリントする」というアイデアが生まれた。
「ただ意味のない英文字ではなく、誰もが憧れる場所をデザインに取り入れよう」と考えた開発部部長は、プロレスの殿堂である「マジソン・スクエア・ガーデン」に着目。この場所は、当時、野球と並んで人気を誇ったプロレスの夢の舞台であった。
バッグ前面に大きく「MADISON SQUARE GARDEN」とプリントを施し、その下に、ボクシング、レスリング、フットボールとアメリカを代表するスポーツ名があしらわれた。
…よく考えれば、マジソン・スクエア・ガーデンでフットボールができるわけがないのだが、そこは、大らかな昭和時代ならではのご愛嬌。
「マジソン・バッグ」は中・高校生の間で通学用として人気を集め、昭和48年頃には全国的に品不足を引き起こすほどの大ブームとなった。人気の高まりと共に模倣品も出回り、本物か偽物かが学生の間で話題となることも。
昭和53年までの10年間でエース社製だけで1000万本、類似品を含めると推測2000万本以上が市場に流通した。当時の日本の人口が約1億人なので、単純計算すれば5人に1人が持っていたと言えるかもしれない。
エースが運営する入館料無料の「世界のカバン博物館」では、当時の「マジソン・バッグ」をはじめ、昭和45年の大阪万博参加を記念し製造された「万博バッグ」や、日本初の国内一貫製造スーツケース「デボネア」を展示している。
また、都電車掌鞄や国鉄救急用鞄など、昭和を彩った数々の鞄を見ることができるので、ぜひ一度訪れてみてはいかがだろう。
関連情報
https://www.ace.jp/museum/
構成/Ara