高知の山本志穂美社長は60クラブ唯一の女性トップ
それ以外で変わり種と言えるのは、今季J3に初参戦する高知ユナイテッドの山本志穂美社長。現時点では唯一の女性社長であり、長年寮母として選手の食事の世話をし続けてきた人物というから、他のトップとは一線を画している。
山本社長はもともと21歳で夫とともに輸入車販売会社を立ち上げた経営者。社業とともに2人の子供を育てる母親でもあったという。その彼女が高知の前身・南国高地FCの選手たちと出会ったのが2013年。そこから熱心なサポーターになり、自身が保有するアパートを選手に提供し、食事のサポートもするようになった。その努力が買われ、2024年から経営トップに推されたというのだ。
30年以上のJリーグの歴史を遡っても、女性社長は2020~2022にかけて長崎の社長を務めた高田春奈さん(前WEリーグチェア)など数人だけ。山本社長は稀有な存在だ。J3の場合、運営規模も小さく、「地元の関係者が力を合わせてクラブを成長させていかなければならない」という共通意識が強い。このため、クラブのために尽力してきた情熱的な人材が担ぎ上げられる流れになりやすいのだ。
今季の高知は98年フランス・2002年日韓両W杯の日本代表だった秋田豊監督を招聘。初参戦のJ3で旋風を巻き起こそうとしている。現場の戦いを含めて、クラブ、そして山本社長のアクションが楽しみだ。我々も注目していくべきだろう。
鹿児島の徳重剛社長は「リアル・サカツク」を実践中
もう1人、変わり種の社長を挙げるとしたら、今季再びJ3に参戦することになった鹿児島ユナイテッドの徳重剛社長。もともとは公認会計士公認として国内最大級の会計事務所「有限責任監査法人トーマツ」に勤務していたが、故郷・鹿児島にJリーグクラブを作ろうと30歳で会社を辞め、2010年に前身の「FC KAGOSHIMA」を創設。ライバルチームだった「ヴォルカ鹿児島」との統合を経て、2014年に現在の鹿児島ユナイテッドを立ち上げ、2016年にJ3昇格を実現させたのだ。
その後は2019年のJ2初昇格を経て、2020~23年まで再びJ3での戦いを強いられたが、2024年に2度目のJ2昇格を達成。今季は再度J3 からの再出発を余儀なくされてしまった。それでも新シーズンは98年フランスW杯の日本代表だった相馬直樹監督を迎え、再起を図っている。
徳重社長は「リアル・サカツク」の人生を突き進んできたということになるが、下部リーグにはそういった野心を持つ経営者が何人もいる。本田圭佑も関東社会人リーグ2部のEDO ALL UNITEDの発起人となって、クラブの成長を後押ししている。彼らは親会社やスポンサー企業などから出向した社長とはやはり覚悟が違うのではないか。「自分が金を集め、選手に年俸を払い、強いチームを作っていくんだ」という意気込みは非常に強いはず。鹿児島の動向は注視していきたい。
2025年は大宮アルディージャがレッドブルに買収され、今季からRB大宮として新たなスタートを切るという大きなニュースがあった。この先も資金力あるオーナーが経営参画し、自ら社長として手腕を振るう例が出てきそうだ。その一方で小クラブを自ら育てていく個人オーナー社長も出現するだろう。
選手出身社長がどのようなリーダーシップを発揮するかを含め、数年後にJリーグ社長の構図がどう変化していくのか。興味深く見守っていきたい。
取材・文/元川悦子
長野県松本深志高等学校、千葉大学法経学部卒業後、日本海事新聞を経て1994年からフリー・ライターとなる。日本代表に関しては特に精力的な取材を行っており、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは1994年アメリカ大会から2014年ブラジル大会まで6大会連続で現地へ赴いている。著作は『U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日』(小学館)、『蹴音』(主婦の友)『僕らがサッカーボーイズだった頃2 プロサッカー選手のジュニア時代」(カンゼン)『勝利の街に響け凱歌 松本山雅という奇跡のクラブ』(汐文社)ほか多数。