新たな1年を生きる上で顧みたい過去
さて、こうしたヤバい発言を繰り返しているのは、語り手の〈私〉なのですが、〈私〉は1人ではありません。安政の大地震を経験し、要領よく幕末を生き延びた柿崎幸緒。軍人になり、良心の欠如と空気を読む能力でうまく立ち回り、生きて戦後を迎えた榊春彦。焼け跡で闇商売を始め、暴力団組長となった曽根大吾。長崎で被爆し、京大卒業後は宗教団体に寄進された資産を運用する会社の東京支社長となり、原発導入やテレビ放送開始の裏側で暗躍した友成光宏。バブルの絶頂期を派手に遊びまくった、放火癖のある美女・戸部みどり。ネットカフェ難民だった頃に声をかけられて定期点検中の原発を渡り歩く「原発ジプシー」となり、東日本大震災を福島第一原発四号機ターピン建屋地下1階で迎えた郷原聖士。
この6人は別人ではありません。タイトルに「東京自叙伝」とあるように、東京の地霊というべき〈私〉が複数の身体に棲みつき、正史としての江戸/東京と、幻視された江戸/東京を駆け抜けるさまを描いたのが、この小説なのです。しかも、〈私〉は6人だけというわけでもありません。平将門、ジョン・レノン、三億円強奪犯人、三島由紀夫、秋葉原通り魔事件の犯人といった有名な人物でもあり、『吾輩は猫である』のモデルとなった猫、1994年の3冠馬ナリタブライアン、上野のパンダ、アザラシのタマちゃん、原発鼠などの動物でもあるのです。
6人の主要キャラクターと、そうした無数の〈私〉の意識と記憶を通して、この小説は幕末から原発事故までの長い時間の中で起きたたくさんの事件を検証し(作者が1956年生まれなので、とりわけ昭和のパートは読みごたえあり)、〈なるようにしかならぬ〉を金科玉条としてきた日本人の心性を挑発的に暴きたて、その先に待ち構えている東京壊滅の光景を幻視します。そこに救いはありません。一切ありません。でも、作者の奥泉光さんが召喚した地霊が突きつけるこうした負の遺産を深く自覚せずに、再生の道などあるのだろうかとわたしは思うのです。また同じことを繰り返すだけではないのか、と。良薬は口に苦い。その苦さを噛みしめよと、地霊は囁きます。つまり……柿崎は、榊は、曽根は、友成は、戸部は、郷原は、鼠は、わたしなのだと読後了解できる物語になっているんです。
人間は新しい年を迎えるたび、確実に何かを忘れていきます。でも、新年を迎えても、2024年さんのこと、2011年さんのこと、1945年さんのことなどなど、覚えていなければならないことはたくさんあります。昭和100年である2025年さんをお迎えして、そんなことを思った次第です。
あ、そういえば、2025年さんは戦後80年にもあたるんですよね。日本は戦争のない80年を過ごせていますが、海外に目を向ければウクライナとガザで無用な血が流され続けています。どうか、この1年を世界平和実現の年にしてくださいますように。2025年さんに祈念いたします。
文/豊崎由美(書評家)
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