小学館IDをお持ちの方はこちらから
ログイン
初めてご利用の方
小学館IDにご登録いただくと限定イベントへの参加や読者プレゼントにお申し込み頂くことができます。また、定期にメールマガジンでお気に入りジャンルの最新情報をお届け致します。
新規登録
人気のタグ
おすすめのサイト
企業ニュース

チャンスをつかむために必要なものとは?藤田俊哉、川口能活、福西崇史、ジュビロ磐田のOBたちが就活生に贈るメッセージ

2024.12.31

 2023年J2で2位に入り、悲願のJ1昇格を果たしたものの、2024年は18位でフィニッシュし、再び2部降格を強いられたジュビロ磐田。97・99・2002年に3度のJ1タイトルを獲得するなど圧倒的な強さを誇った絶頂期を知るサポーターから見ると、エレベータークラブ的な状況に陥っている現状から何とかして脱してほしいという思いも強いだろう。

 2025年は再びJ2から再スタートすることになったわけだが、勝負事というのは人生同様に浮き沈みがあるもの。難しい時期だからこそ、クラブに関わる人々の言葉は多くの人々に響くはずだ。

1年でJ2降格も、苦境に立ち向かう磐田スタッフの言葉は重い

 まさにそんなタイミングだった12月11日、磐田の藤田俊哉スポーツダイレクター(SD)、川口能活GKコーチ、黄金期を知るOBの福西崇史氏の3人がJリーグトップパートナーであるアイデム主催の就活生・若手社会人向けオンラインセミナーに参加。「壁を乗り越える力」をテーマに、プロフェッショナルとしての仕事への向き合い方を熱っぽく語った。

2003年夏に半年間だけオランダ・ユトレヒトへ移籍した頃の藤田SD

「一瞬一瞬が勝負」と自身の経験を踏まえて強調する藤田SD

 最初に登場したのは藤田SD。彼は94~2003年夏と2004年~2005年夏まで長きにわたって磐田に在籍。背番号10をつけて黄金期を支えたキーマンだった。

 その後、オランダ1部・ユトレヒトを経て、名古屋グランパス、ロアッソ熊本、ジェフユナイテッド千葉でプレーし、2011年末に現役を引退。その後は指導者に転身し、オランダ1部・VVVフェンロでコーチを経験した。さらにはイングランド2部のリーズ・ユナイテッドで強化部の仕事に携わり、日本サッカー協会でも技術委員会の一員として欧州組をサポート。その経験が買われ、2022年に磐田SDに抜擢され、現在に至っている。

「自分のプロ入り当時を振り返ると、筑波大学を卒業してすぐの94年の開幕・鹿島アントラーズ戦でデビューしたものの、いきなり負傷。約1か月間の欠場となり、好スタートとはいかなかったですね。学生とプロの環境やレベルの違いにも戸惑い、適応するまでにかなり時間もかかりました。

 当時のハンス・オフト監督から『トシヤは89分間ゲームにいない選手』だと見られ、厳しいことも言われたけど、ボールを持たない時の重要性を認識してから自分自身も大きく変化した。97年の初優勝に至るまでの期間が一番壁の高さを感じました」と彼は若かりし日々を述懐していた。

「その経験を踏まえ、今の若いビジネスパーソンに言えることは?」という問いに、藤田SDはこう答えていた。

「一瞬一瞬が勝負。いつ来るか分からないチャンスのために心も体もつねに整えておくことが一番重要なんです。僕の場合はそれをもっともっと突き詰める必要があった。日本代表で活躍できなかったのもコンディションが整わないことが多かったから。そこは心残りですね」と彼は神妙な面持ちで言う。

 誰にでもチャンスは訪れるが、それをつかめるかつかめないかはその人次第。細部にこだわることの重要性はかつて日本代表を指揮した岡田武史監督(現FC今治会長)も口癖のように話しているが、藤田SDは選手時代、そして引退後の人生でその大切さを強く感じる場面が少なくないのだろう。

「SDという仕事はシンプルに言うと、チームを強くするための全てに携わること。フットボール面で全てを網羅し、方向性を見出していくことなんです。結果が出ないことも覚悟してやっていますけど、『こういう時があったから強くなれた』といつか思えるようにみんなで力を合わせてやっていくしかない。それがまさに今ですね」と苦しい胸の内も吐露したが、仕事人生はつねに葛藤と苦境の連続だ。その厳しさを彼は改めて若手ビジネスパーソンたちに伝えたかったはず。参加者もそれをしっかりと受け止めたのではないか。

2006年ドイツW杯の集合写真。藤田SDもこの場に立ちたかったはずだ。

川口・福西両氏はコロナ禍に早稲田大大学院でリスキリング

 続いて川口GKコーチと福西氏が登場。彼らは司会者を含めて鼎談形式で話を進めていった。

 川口GKコーチのことは説明不要だろうが、98年フランス・2002年日韓・2006年ドイツ・2010年南アフリカと4度のワールドカップ(W杯)に参戦した名守護神で、日本人GKとして初めて欧州移籍にチャレンジした人物でもある。2018年末の引退後はJFAで指導者キャリアをスタート。2021年夏の東京五輪代表GKコーチを務め、鈴木彩艶(パルマ)、谷晃生(町田)らを大きく伸ばしている。そして2023年から古巣の磐田で赴き、今季はかつて日本代表で共闘した川島永嗣らを後ろからサポートするという重要な役割を担った。

 一方の福西氏は95~2006年まで磐田でプレー。藤田らとともに黄金期を築いた一員だ。日韓・ドイツ両W杯にも参戦し、川口と共闘している。引退は藤田、川口より早い2008年末。そこからは解説者として活躍する傍らで最高峰の指導者ライセンスも取得。2018年には南葛SCで指揮を執ったこともある。

 2人に共通するのは、2022年4月に早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に入学し、1年がかりで修士論文を書いたこと。リスキリング(学び直し)の大切さについては昨今、国内外で重視されているが、元日本代表の2人がそれを実践したというのは特筆すべき点と言っていい。

「コロナ禍があって、自分自身がどうしていくべきかを考えた時に大学院の話が出てきて、せっかくだから行ってみようという気持ちになり、自分がやっていたボランチについて研究しようと思ったんです。それで面接の時に目の前の席に座っていたのが能活。ホントビックリしました」と福西氏は言う。

 川口GKコーチも「僕も『フクがいる』と驚きました」と笑う。そのうえで「年代別代表の海外遠征に行くたびに、世界各国がどういう形でGKを輩出しているのかにすごく興味が湧いて、学術的に何かを証明できたらいいなと考えるようになったんです」と学び直しの動機を口にした。

2006年ドイツW杯・クロアチア戦に先発した福西氏と川口氏(左の2人)

@DIMEのSNSアカウントをフォローしよう!

DIME最新号

最新号
2024年12月16日(月) 発売

DIME最新号は、「大谷翔平研究!」。今年を象徴するDIMEトレンド大賞の発表や、Aぇ!group、こっちのけんと他豪華インタビューも満載!

人気のタグ

おすすめのサイト

ページトップへ

ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号 第6091713号)です。詳しくは[ABJマーク]または[電子出版制作・流通協議会]で検索してください。