『ドラえもん』『オバケのQ太郎(共著)』『パーマン』といった大ヒットマンガを世に送り出した国民的漫画家、藤子・F・不二雄(1933-96)。作品ではなく藤子氏そのものにスポットを当て人物像に迫った書『藤子・F・不二雄がいた世界』(小学館)がこのほど発売になった。
『藤子・F・不二雄がいた世界』(小学館)
編/小学館 ドラえもんルーム
藤子氏の人となりに関係者インタビューや秘蔵写真などから迫り、貴重な原画も収録するなど資料的価値も高い一冊。一体、藤子氏はどのような人だったのか? 同書などからわかる藤子氏の人物像を、藤子氏を敬愛してやまない作家の岸田奈美さんに伺った。
真心で人と向き合うから何気ない言葉が心に残り続ける
岸田さんのエッセイには『ドラえもん』や『キテレツ大百科』などの作品に出てきたセリフが登場する。『ドラえもん』でエッセイを書いたこともあり、藤子作品の造詣が深い。
藤子氏から影響を受けない状況が考えられないことから、岸田さんは藤子氏を「小学校」と喩えるほど。同書を読んで抱いた感想を次のように明かす。
「冒頭に『本書は、藤子・F・不二雄に会いに行けるタイムマシンです』とありますが、藤子先生が描こうとしたタイムマシンが余すところなくすべて網羅されているように感じられました。まさにこの本自体がタイムマシンです」
藤子氏と一緒に過ごしてきた関係者のインタビューを通して、藤子氏が見てきたことや風景を読者も共有できる点が、同書が「タイムマシン」と表現される所以といったところだ。
インタビューで登場する関係者は誰もが、藤子氏に言われたことや藤子氏との忘れられない光景を語っている。それらは「話したくてたまらなかったけど話せる場所がなくて記憶の中に大切にしまっていたことではないでしょうか。胸に秘めた大事にしていることを話していただいていると思います」と分析する。
関係者が語る藤子氏とのエピソードはどれもほんの一瞬の光景ばかり。そのようなことが印象に残る藤子氏の人間的な魅力を、「お茶目で素直なところ」と明かす。
「みんなを楽しませるために驚かせたりホラを吹いたりするけど、嘘をついて誰かを喜ばせたりおだてたりすることはおそらくしなかったと思います。人を喜ばせるためにマンガは描いていても、人を喜ばせるために何かを言うことはしていません。真心で人と向き合っているので、藤子先生の何気ない言葉はいつまでも人々の心に残り続けているのではないのでしょうか。どんな人に対しても態度が変わらないせいか、関係者が語る藤子先生の人間像はだいたい同じでブレがありません」
岸田さんはさらに、「ただ、これを読んでも藤子先生の気持ちや考えていたことはきっと、誰にもわからないと思います」と付け加える。関係者が各自の目線から藤子氏のことを語るしかないが、没後28年経っても各自の目線から作品や作者像を語り続けてられている点には、すごさを感じるという。
子供を子供扱いせず大人も満足させる
岸田さんが初めて触れた藤子作品は『ドラえもん』。物心ついた時には子供部屋の本棚に『ドラえもん』の単行本があった。
子供の頃の楽しみは何よりも、『映画ドラえもん』のビデオを借りて家で観ること。ダウン症の弟の付き添いで病院に行った帰り、途中にあるレンタルビデオ店で『映画ドラえもん』のビデオを週に1本借りることができた。弟と一緒にできた唯一の楽しいことが、家で『映画ドラえもん』を観ることだった。
『映画ドラえもん』は第1作の『のび太の恐竜』(1980)から全部観ている岸田さん。同じ作品を何回も繰り返し観るほどだが、一番好きなのが1988年の『のび太のパラレル西遊記』から1996年の『のび太と銀河超特急(エクスプレス)』の、いわゆる「中期ドラえもん」と呼ばれる時期の作品だ。「全部観終わった後は再び『のび太の恐竜』から順番にレンタルして観始め、『のび太とブリキの迷宮(ラビリンス)』(1993)や『のび太と夢幻三銃士』(1994)にたどり着くまでが楽しみでした」と語る。
夢中になって『映画ドラえもん』を観続ける様子を見て、両親も一緒に観てくれるようになったほど。「両親は『のび太の日本誕生』(1989)が一番面白い、と言っていました」と岸田さん。『のび太とブリキの迷宮』と『のび太と夢幻三銃士』はファンタジーの要素がある子供にとっての楽しいが詰まった作品だが、『のび太の日本誕生』は怖さが垣間見える作品。何万人もの人が消えた、といった起きても不思議ではない絶妙な話が子供にとって怖く感じられた。藤子氏が大人向け漫画誌に書いたSF短編作品に見られる、少し(S)不思議(F)な要素が『ドラえもん』にも生きている。
「子供からすると、両親がなぜ『面白い』と思ったのかを知りたくなります。怖いと思いながらも大人に近づきたくて『のび太の日本誕生』を観ていました」
大人も子供も同じワクワクを共有できる『ドラえもん』は岸田家共通の話題となり、子供から大人への成長を促したり家族の絆を深めたりするなど重要な存在になった。
作品を通じて大人と子供がつながる。これを体現した藤子氏を「一番かっこいい」と評する。自分の書いたエッセイを読んだ小学生や中学生から送られてきた読書感想文で「楽しい」と伝えてもらった経験があるからこそ、そのすごさを体感しているそうだ。
「私と同年代や母親と同じ世代の人たちに向けてエッセイを書いたり人前で話したりすることが多いので、子供に私の書いたものが読まれて反応があるとすごく嬉しいんです。だから、子供を子供扱いせず大人が読んでも満足できる作品を書いてきた藤子先生はカッコいいですし作品力のすごさを実感します。私の目標も藤子先生です」
読むたびに「このままでいいんだよ」と肯定してくれる
「藤子作品で印象に残っているものは何か?」を尋ねたところ、『ドラえもん』の短編エピソード『ぼくの生まれた日』(1972)と『のび太の結婚前夜』(1981)の2本を挙げた。どちらも「名作」に位置づけられる有名な作品だ。
この2本に共通するのが、のび太がタイムマシンに乗って家族を見に行くこと。動機はどちらも、「愛されていたのか?」を確かめることである。『ぼくの生まれた日』はママとパパ、『のび太の結婚前夜』は奥さんになるしずかちゃんに愛されていたのかを確かめに行っている。
過去に行き祝福されて生まれてきたこと、未来に行き結婚式前日になって突然「およめに行くのをやめる!!」と言い出したしずかちゃんにパパが「あの青年(=のび太)は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことができる人だ。それはいちばん人間にとってだいじなことなんだからね」と言っていることを知り、頑張ろうと思い直してのび太は現実の世界に帰ってくる。この2作品は岸田さんが書くエッセイに大きな影響を与えてくれたものだった。
「優しくされたり愛されたりした記憶は人が生きていく上で一番の力になると思っています。これらを思い出すことは自分の幸せのほか、より良い社会を考える上でも大事なことです。そういう意味から、藤子先生の時間旅行というかタイムマシンの使い方に励まされています。人はなぜ過去に行きたくて、なぜ未来に行きたいのか?について作品を書いていきたいです」
そしてもう1つ、岸田さんの印象に残った作品が、SF中編で後に実写映画化された『未来の想い出』(1991)だった。売れなくなった漫画家が過去に戻り人生をやり直すストーリーが展開されるが、この作品から、人を惹きつけるのは切実な気持ちだということに気づかされた。
「この作品で藤子先生はタイムマシンに乗ることや過去に戻ることを書きたいわけではなく、無理だとわかっていても過去に戻りたいという切実な気持ちを書きたかったのだと思われます。現実の厳しさや先行きの暗さから目を背けることなく、『それでもやりたい』という気持ちだけを大事にしてきたので、人を感動させることができる作品を世に送り出せているのではないのでしょうか」
そして作家活動を始めてからは、藤子作品を読むたびに「このままでいいんだよ」と言ってもらえている気がしていた。同書を読み、自分がやっていることに間違いはなかったと確信が持てるようになったという。
「『このままでいいんだよ』と言ってもらえている気がしたのは、藤子作品は子供が読んでワクワクする内容でありながら、環境保護やテクノロジーとの付き合い方など子供たちに考えさせないといけないことも込められているからです」
岸田さんが書く作品は「面白い」「笑える」と言ってもらえるものが多く、本人もそういう反応を狙って書いているが、作品の裏には世の中に対する怒り、苦しみ、悲しみが必ずある。そういうものを見せても味方は増えないし社会に希望が持てないので、作品では笑いに変え、仲間を増やすことにした。藤子氏に自身の作風が肯定され、「怒ったまま、悲しいままでも楽しませたらそれでいい。きっと誰かが見てくれて、怒りや悲しみに気づいてくれる人がいる」と励まされている気になれた。