ヒャダインが90年代のコギャルから現代の「ギャルマインド」までを分析! 社会の目を気にせず、自分らしく生きるギャルの精神は、時代を超えて受け継がれてきた。 令和の今、改めてギャルから学ぶことは?
なぜ今、「ギャルマインド」なのか?
最近「ギャル」という言葉が広義になっていると感じます。10代20代前半の派手な女性を指すだけではなく「ギャルマインド」といったように精神面に注目がいっている風潮です。ある企業ではギャル講師を招聘して上司と部下を一同に集め、全員ギャルマインドでタメ口会議を行なうなどしているとのこと。おそらくギャル=「社会の目を気にせず自分と仲間を優先して言いたいことを言い、やりたいことをやる」といったことでしょうか。同調圧力が強い日本においては異端のメンタリティゆえ、ギャルファッションや独特なメイクで異端を演出していたのでしょうか。そのビジュアルはいつだって強烈でした。さて温故知新、昔のギャルを思い出して考察してみましょう。
まず、90年代初頭に爆誕した「コギャル」。クラブに入れない未成年女子をスラングとしてコギャルと呼んでいたのが始まり(諸説あり)らしいです。日焼けした肌、茶髪、LAファッションなど飯島愛さん的なファッションアプローチでした。日焼けは後にガングロへと変化していきますが、80年代後半のリゾートブームの名残があったのでしょうか。小麦色信奉。そして、安室奈美恵さんのファッションを真似する「アムラー」の登場。これ、おもしろいのが安室奈美恵さんの音楽性は全くギャル文脈ではなかったんですよね。小室哲哉プロデュースの「大人にあてがわれた曲を歌う」というギャルの自発性とは真逆。ほかにも当時「deeps」という伊秩弘将プロデュースのギャルユニットが出てきたのですが、これも自発的ではない音楽性でした。しかし、厚底ブーツや小麦色の肌、眉毛の形など安室奈美恵さんのビジュアルのみを吸い上げてギャルはどんどん先鋭化していき、ついにみんな大好き「ヤマンバギャル」が出てきます。
ガングロから美白へ受け継がれる精神性
ガングロ、金髪、つけまつげ、ラインストーンシールなど、もはや山姥のコスプレ大会のような渋谷のコギャルがサークルを作りパラパラをしたり、道端でだべっている様子を大人たちは嘲り笑っていたのが記憶にあります。ギャルの中でも先鋭化したヤマンバギャルは、今でいうトー横キッズのように虐待や貧困に起因したものも多く、ただおバカなことをしている子どもなわけじゃなかったのですが、彼女たちの「大人の常識」への反骨精神は後のギャルマインドの礎となった可能性はあります。男ウケするためのメイクやファッションからの脱却、「チョベリグ」や「MK5」などギャル用語を作り上げるといった新社会の創造など、ある意味かつての学生運動のモチベーションとも似たものを感じます。
そして2000年代、ギャルのカリスマが爆誕します。そうです、浜崎あゆみさんです。ギャルが抱える孤独や恋愛観を生々しくも巧みな言葉で歌詞に綴ったあゆのCDはミリオンにつぐミリオン。ビジュアル面でもアニマル柄や黒あゆ、動物のしっぽのアクセサリーをつけたら大流行。ギャルが文化を動かしている時代でした。プリクラにギャルサー、『egg』に『小悪魔ageha』、ガラケー専門サイトでの携帯小説などギャルカルチャーは隆盛を極めます。ギャルの不良少女性は影を潜め、ギャルのおバカタレントの活躍もありギャル=陽気なやつらといったイメージに変遷していきます。
その後美白ブームに伴い、従来のギャルは消滅していくのですがその精神性は失われることはなく、2020年代になってもにこるんやみちょぱ、ゆうちゃみやみりちゃむといった平仮名系モデルタレントに引き継がれ、さらに「ギャルマインド」という無形の概念に昇華していくわけです。多様性が叫ばれる昨今、ようやくギャルマインドと時代が合致したのかもしれません。昔から「人と違う」ことを具現化してきたギャルに学ぶことは多いのではないでしょうか。読者の皆さんもギャルマインド、いかがですか?
文/ヒャダイン
ヒャダイン
音楽クリエイター。1980年大阪府生まれ。本名・前山田健一。3歳でピアノを始め、音楽キャリアをスタート。京都大学卒業後、本格的な作家活動を開始。様々なアーティストへ楽曲提供を行ない、自身もタレントとして活動。
※「ヒャダインの温故知新アナリティクス」は、雑誌「DIME」で好評連載中。本記事は、DIME1月号に掲載されたものです。