かつて流行したヒットソングが耳に入ると、その時代の思い出がよみがえることがある。音楽と記憶は分かちがたく結びついているのだが、意外なことにその結びつきを後から変えられる可能性があることが最新の研究で報告されているのだ――。
音楽によって過去の記憶の印象を変えられる
歌手やミュージシャンの突然の訃報は驚かされるばかりであり、ご冥福をお祈りするしかないのだが、その人物の楽曲が思い出される機会でもある。
かつてのヒットソングであれば懐かしさと共にその時代の個人的な思い出がよみがえってきたりもするが、もちろん過去の記憶には良い思い出もあれば、あまり思い出したくない記憶もあるだろう。あるいは特に心を動かされることのないニュートラルなイベントや体験の記憶などもある。
あまり思い出したくない記憶は封印したり忘れ去ったりしたいとも思うが、偶然に耳に入ってくる曲や、あるいは訃報などのきっかけによって脳内に響くメロディーと共によみがえる記憶はコントロールしようのないものだ。
楽曲がきっかけとなってよみがえる思い出の数々は良いものばかりではないわけだが、その記憶を別の楽曲に結びつけることができるのだろうか。そしてもし結びつけることができるとすれば、ネガティブな記憶がそれほど悪い体験ではなくなったりするなど、記憶の印象を変えられたりするのか。
ジョージア工科大学とコロラド大学ボルダー校の研究チームが2024年7月に「Cognitive, Affective, & Behavioral Neuroscience」で発表した研究では、音楽は記憶を呼び起こすだけでなく、感情のトーンを変え得ることを報告している。記憶と音楽を意図的に結びつけてその記憶への感情を変えることができるというのである。
ジョージア工科大学の学生44名が参加した実験は3日間かけて行われ、初日に参加者は一連の短い感情的にニュートラルな物語を記憶する課題を行った。
翌日、参加者は3つのグループに分けられ、それぞれポジティブな音楽、ネガティブな音楽、または無音の環境下で昨日記憶した物語を思い出した。その際、fMRI(機能的磁気共鳴画像)で脳内の血流の変化がモニターされた。
最終日、参加者は今度は音楽なしで物語をもう一度思い出すことを求められた。
結果は驚くべきものであった。参加者が感情を揺さぶる音楽を聴きながらニュートラルな物語を思い出すと、音楽の雰囲気に合った新たな感情的要素を物語に取り入れる可能性が高まっていたのだ。
たとえば、ポジティブな音楽をBGMにして思い出したニュートラルな物語は、音楽が流れなくなった後でも、よりポジティブなものとして思い出されたのである。つまり音楽によって過去の記憶の印象が変わったのだ。
さらに興味深いのは、音楽を聴きながら想起する際、扁桃体と前頭葉や視覚皮質などの他の脳領域との間の接続性が強化されていることが観察され、より感情的に充実した物語の再構築に寄与している可能性があることがわかったことだ。
研究チームは音楽と神経科学を組み合わせた音楽療法にも着目しており、心的外傷後ストレス障害(PTSD)やうつ病などの気分障害を持つ人々を助ける音楽療法をどのように設計できるかに興味を持っている。
ポジティブな楽曲を聴きながら古い記憶を思い出すことは、まさにタイムマシンに乗って過去を“改変”する作業ともいえそうだ。今回の研究で明らかになった音楽に対する記憶の柔軟な可変性は、思い出の“美化”に一役買ってくれるのかもしれない。
馴染みのあるポピュラー音楽のBGMで記憶力が高まる
同じ研究チームが2024年8月に「PLOS ONE」で発表した研究もまた興味深い。
音楽は日常生活のいたるところに存在し、記憶を含む重要な認知プロセスと相互に作用する可能性に我々は常に晒されている。部屋の中や移動中に自発的に音楽を聴くことに加え、商業施設や飲食店などさまざまな日常の環境に音楽が流れているにもかかわらず、これまでの研究では音楽が記憶を改善するかそれとも悪化させるかについては、さまざまな結果が得られていてケースバイケースであるようだ。
そこであらためて研究チームは音楽と記憶力の関係を実験を通じて検証した。
48人の実験参加者は、さまざまな種類の音楽を聴きながら一連の抽象的ビジュアルを覚えるように求められた。
課題中に流された楽曲は誰もが知っているような馴染みのある音色、リズム、メロディーのパターンもあれば、逆にパターンが予測し難い楽曲もあった。
その後、参加者は記憶力をテストされたのだが、馴染みのある予測可能な楽曲を聴いた参加者は脳は新しい情報をより早く学習して記憶していた一方、音色とリズム、メロディーに馴染みがあってもパターンが不規則で予測が難しい楽曲を聴きながら課題を行った参加者は成績が低かったのである。
つまり馴染みのあるポピュラー音楽をBGMにすればデスクワークや勉強などの知的作業が捗ることになりそうだ。その一方で興味深いことに最も予測可能性が低いという特徴を持つ楽曲もまた記憶の強化が示されている。音色とリズム、メロディーに馴染みがなく、予想できないパターンの曲は脳が“無視”を決め込んで知的リソースを割かなくなるということかもしれない。
この研究は流れる音楽が視覚的学習に影響を及ぼすことと、そしてその効果は音楽の親しみやすさと規則性の相互作用によって変わることを実証しており、人間の記憶を強化するための洞察を提供するものになっている。つまり音楽によって記憶力を高める方法がいろいろと考えられるのだ。
我々の記憶に大きな影響力を持つ“音楽の力”についてあらためて考えさせられる話題が続いているのだが、たとえネガティブな思い出と結びついている楽曲であっても、何かの機会に久しぶりに新たな気持ちで聴いてみると案外良い曲であると認識を改めることがあるかもしれない。
そしてその曲で思い出されるあまり良くない思い出も、懐かしのメロディーをBGMにしながら振り返ってみると、気づかなかった意味を見出したり、その経験が自分を成長させてくれたのだと思えてくるとすれば、思いがけない幸運になるだろうか。
※研究論文
https://link.springer.com/article/10.3758/s13415-024-01200-0
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0306271
文/仲田しんじ
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