「家族と仲が悪く毎日イライラしている」「職場の上司と性格が合わなくてつらい」「恋愛がうまくいかず苦しい」。
私たちの人生には、このような乗り越えるべき「壁」がたくさんあります。その中でも最も大きな障害は「自分自身」かもしれません。なぜなら、悩みや苦しみは、「他人」が生み出しているのではなく、紛れもなく「自分」から生まれているものだから。
YouTube登録者数約70万人を誇る大人気僧侶・大愚和尚こと大愚元勝氏による累計5万部突破のベストセラー『自分という壁 自分の心に振り回されない29の方法』から一部を抜粋・編集し、自分を知り、受け入れ、変えていくためのヒントを紹介します。
座禅を組まなくても瞑想はできる
瞑想をする際に、どのようにして「集中」「観察」「気づき」の3つを行うべきか。その方法論はさまざまです。
仏教でも〝瞑想のやり方〟については重要視されています。
最終的には自分の心をしっかりと制御することが目標となりますが、まずは私見ではなく、正見でものごとをとらえられるようになることが大切です。
正見とは、存在や現象をありのままに見ることです。
私たちはものごとを自分の思い込みなどでねじ曲げてとらえてしまいがちで、なかなか現実をありのままに正しく認識することができません。
それぞれに「自分フィルター」を通して世の中を見ているわけで、そこには当然違いが生じます。それなのに、自分が見ていること、自分が感じていることが、正しいことであり、それがあたかも「客観的なもの」だと思い込んでしまう。
このズレがあることを認識できないと、お互いの考え方の違いが理解できず、争いやいざこざが生まれてしまうのです。
そうならないためには、真理を見極める認識力―すなわち智慧が求められます。
この智慧を開くために行うことが瞑想にほかならないのですが、瞑想を行いやすい環境そのものを整えることも、方法論として併せて提唱されてきました。
それはいわゆる「戒律」と呼ばれるもので、例えば渋谷のセンター街の真ん中で「瞑想しなさい」と言われても、さすがに騒々しくて集中できませんよね。自分の心に集中し、まじまじと自分自身を省みるためには、さまざまな刺激が五感に飛び込んでくるような状況は極力避けなければなりません。
みなさんも仕事や勉強をしなければならないときに、ついついネットサーフィンしてしまったり、スマホでSNSをチェックしたりしていませんか?
自分自身の心が、あっちに行ったり、こっちに行ったり……。
思い当たるフシがあれば、揺らぎにくい環境を整えることの必要性を充分に理解していただけるでしょう。
どのような食事、どのような生活、どのようにして一日を送れば瞑想しやすい状態がつくられるのか。
それこそ衣食住を含めた生活サイクルから見直していくことが仏教の戒律であり、お寺でライフスタイルそのものを提供する瞑想が、私も勧めている「テンプルステイ」と呼ばれるひとつの方法なのです。
■現代に通ずる無意識を鍛えるトレーニング
五感を通じて、体の中に取り入れた情報を、自分でどのように解釈していくか。
そのプロセスを追いかけることこそが修行なのです。
はるか昔のインドで修行僧たちが行っていたことをまとめた『清浄道論』という一冊の本があります。そのなかから、当時のトレーニング法を少しご紹介しましょう。
現代では人が死ぬと丁寧にお葬式をして埋葬することが当たり前となっていますが、昔のインドでは山に遺体がそのまま捨てられていることが珍しくありませんでした。
そこで修行の一環として、山へと赴き、転がっている死体が腐敗していく様子を延々と見つめるということが行われていました。
ちょっと信じられないかもしれませんが、これもまた瞑想方法のひとつとして数えられるのです。
腐敗していく様を眺めながら「自分がどういう心境になるのか?」を自分自身で観察する――私たちが想像する瞑想とはかけ離れていますが、集中するための技法は無数にあり、このように狂気じみたものも多々ありました。
さすがに死体の観察は現代では成し得ない瞑想方法ですが、じつはその意図するところは、私たちの日常にも引き継がれていたりします。
例えば、野球部ではノックといって何回も何回も走らせてはボールを取らせるポピュラーな守備練習があります。
これによって実践的な守備感覚を養う効果があるとされていますが、ボールのバウンド、スローイングのタイミング、そういったものを頭ではなく体で反射的に行えるように反復訓練させているわけです。
仏道修行もまさに同じで、善き選択をしたり、善き言葉を話したり、善き行いをしたり―無意識でも善き生き方ができるように稽古をすることなので、スポーツや料理などと同じように、無意識でも体が動くような心のトレーニングをしているにすぎません。
仏教はなにか神秘的な体験をさせるわけではないのです。
むしろ、滝に打たれたり、何日も飲まず食わずで山中を歩き続けたり、超越的な強さを身につけたかのように錯覚させたりする行いを、ブッダは苦行として否定しました。
そういった行為自体が間違っているとまではいいませんが、「そんなことをしたところで覚りは開けない」というのがブッダの考えであり、私も「座禅を組むことが瞑想ではない」「カタチだけ座禅をしたところでなにも変わりません」とはつねづね申し上げています。
逆に、座禅という形式にこだわりすぎず、自分の心に集中する方法を自分なりに見つけていけばよいと思うのです。
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いかがだったでしょうか?
『自分という壁 自分の心に振り回されない29の方法』は、自己との向き合い方を深く考えさせてくれる一冊です。
人生の壁に直面した時、それを他人や環境のせいにするのではなく、自分の内側を見つめ直すことで新たな道が見えてくるかもしれません。
大愚和尚のメッセージは、読む人の心にそっと寄り添い、勇気を与えてくれます。本書を通じて、人生に立ちはだかる「壁」を超える力を、一緒に見つけてみませんか?
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怒り、悲しみ、不安、嫉妬、後悔――。あなたを苦しめるネガティブな感情との向き合い方、上手な手放し方を身につける方法とは?長年にわたり数多くの人々の悩みや苦しみと向き合ってきた禅僧である大愚和尚が、仏教の思考法に基づき、自分の心との向き合い方、負の感情の手放し方を伝授する必読の一冊!
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■著者情報
大愚元勝
佛心宗大叢山福厳寺住職。慈光マネジメント代表取締役。慈光グループ会長。佛心僧学院学長。僧名「大愚」は、大バカ者=何にもとらわれない自由な境地に達した者の意。 駒澤大学、曹洞宗大本山總持寺を経て、愛知学院大学大学院にて文学修士を取得。 僧侶、事業家、作家・講演家、セラピスト、空手家と5つの顔を持ち、「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶。
YouTubeチャンネル「大愚和尚の一問一答」
構成/DIME編集部