「家族と仲が悪く毎日イライラしている」「職場の上司と性格が合わなくてつらい」「恋愛がうまくいかず苦しい」。
私たちの人生には、このような乗り越えるべき「壁」がたくさんあります。その中でも最も大きな障害は「自分自身」かもしれません。なぜなら、悩みや苦しみは、「他人」が生み出しているのではなく、紛れもなく「自分」から生まれているものだから。
YouTube登録者数約70万人を誇る大人気僧侶・大愚和尚こと大愚元勝氏による累計5万部突破のベストセラー『自分という壁 自分の心に振り回されない29の方法』から一部を抜粋・編集し、自分を知り、受け入れ、変えていくためのヒントを紹介します。
その人の「発言」ではなく「行動」で評価する
■まずはなにごとも疑ってみる
不安や恐怖を感じた体験が自分のなかに積み重なっていくと、いろいろなことを信じることができないという、「不信」の感情につながっていきます。
恐怖のところでもお話ししたとおり、生きていくうえで危機やリスクを回避するためには必要不可欠な恐れがあります。人間が捕食動物などの脅威にさらされていたころは、この恐怖や不信感を持つことが慎重な行動につながり、生き延びることができていたというわけです。
現代では、突然目の前に敵が現れて襲われるようなことはほとんどありませんが、逆に私たちを精神的に脅かすものに対しての不信感は非常に重要だといえるでしょう。
会社の経営にしても、自分の人生にしても、世の中には良い人ばかりではなく、人を騙そう、陥れようとする悪意を持った人たちが少なからずいます。
現代社会には、投資詐欺であるとか、オレオレ詐欺やマルチ商法であるとか、そういった類のものがはびこっていますから、まずは疑ってみることはとても大切。昔とは意味合いが異なってはいますが、人間が生き残るためには、不信感自体は持つべき感情なのです。
■人生に必要なのはバランスの良い不信感
しかし、必要なものとはいえ、不信感が強すぎる人はどうしてもストレスが溜まりやすくなってしまいます。
つねに「この人は信用できないんじゃないか?」「自分を騙そうとしているんじゃないか?」と怯え続けることになりますので、それでは気が休まりません。
不安や恐怖が強くなりすぎるとさらに不信は増幅していきます。つまりこれは、自分に危害を加えられたり、自分がデメリットを被ったりすることに対する恐れともいえるでしょう。
気をつけなければいけないのは、人に対してずっと不信感を持ち続けて接していると、自分自身が誰からも信用されなくなってしまうことです。
「本当なのかな?」
「嘘をついているんじゃないのかな?」
そんなふうに、相手に対してつねに疑いの目を向けていたら嫌がられてしまいますよね。
不信感を持つこと自体は大切です。でも、極度な不信は疑心暗鬼な思考が強くなり、自分の心身を疲弊させるだけでなく、自分自身も相手から信頼されず、見放されてしまう可能性があるということです。
例えば、運転免許の安全運転講習会などでは「物陰から人が飛び出してくるかもしれない」という危険予測の勉強をしますよね。
じつは、この考え方は仏教の教えそのものなのです。
不信がなければ安全に車を運転することはできません。
だからといって、不信が強すぎると今度は運転すること自体が怖くなり、そもそも走り出せなくなってしまうでしょう。
仏教でいわれる〝つねに自分を観察して、自分を戒める〟というのも、このように「自分がなにかやらかしてしまわないか?」と自分自身に不信を持っていないと、それが思い上がりになってしまうということなのです。
一方で、自分や周りに対して不信を抱きすぎるとなにごとも前に進めなくなってしまいますので、なによりバランスをとることが重要になります。
■自分の頭で考え、信頼できる人と答え合わせをすること
誰かが口にしていたことを鵜呑みにして、まったく批判したり疑問を持ったりせずに言葉を受け入れてしまうことは「痴」になります。無知であるということです。
ブッダはお弟子さんたちに説法したあとに必ずこう言いました。
「今、私が話したことに疑問があったり、懸念があったりするのであれば、遠慮なく質問しなさい」
それでも誰も手を上げないのであれば、もう一度同じ質問をくり返します。そして、それを2回、3回と全員が納得するまで続けていきます。
どういうことかというと、相手がたとえブッダであったとしても、人が言ったことを盲目的に受け入れるべきではない。むしろ、疑ってかかれという教えです。
ちなみに、智慧のない人が一生懸命考えて、自分なりに合理的な判断を下したとしても、無知は無知であることに変わりはない―それもブッダの結論でした。
「愚か者は自分だけで判断するのではなく、賢い人の言葉に耳を傾けなさい。そして、自分の考え出した答えと、賢い人の意見を照らし合わせなさい。もしそれが一致しないのであれば、自分が愚かであることを理解し、自分の考えていることを疑ってみなさい」という教えを説いているのです。
これは、「人も自分も信じるな」ということではありません。
しっかりと自分が信頼できる人、優れた人や智慧のある人を側に置き、そういった人の意見につね日頃から触れていなさい。一方で、そういった人に対しても「本当に正しいのかな?」とつねに自分自身で考えることを怠ってはいけません、ということです。
これを前提にすると、必要のない不信というのは、信じるべき人を信じられない感情ということになります。
愚かな人が自分ひとりで考えてしまうと、知らないうちに道を踏み外してしまいます。相談すべき相手、本当に信じられる人に相談しなかったがために、いつのまにか怪しい人を正しいと思い込んで騙されてしまうのです。
例えば、親は必ずしも万能であるとは限りませんが、なにか困ったことがあったときには、子どものためを思って一生懸命に助言してくれるでしょう。
そのように、あなたのことを真剣に考えてくれている人を信じられなくなったらおしまいだということです。
不信感は大事なことではあるけれども、本当に信じるべきものを信じられなければ、今度は救われないことになってしまう。
このあたりが「痴」のグループに含まれる所以で、不信という感情の難しい部分でもあります。
■「信じるべき人」の見極め方
『大愚和尚の一問一答』で「大愚和尚のことは信じていいんですか?」という質問をいただいたことがあります。
今の時代は、それこそマインドコントロールのような怪しい話もありますからね。
「いやいや、私のことも疑ってください」
これが私の答えであり、仏教の考え方のスタンスでもあります。
先ほどもお話ししたとおり、ブッダは疑問がなくなるまでお弟子さんたちに質問させました。
どんな質問も受けつけますし、どんな批判も受け入れます。
さまざまな角度から理論を崩そうとして、それでも崩せなかったとしたら、それはあなたが納得できることであり、信じるに値するものなのかもしれません。
例えば、教育と洗脳には明確な違いがひとつあります。
教育は相手の利益になるように情報を伝えていきますが、洗脳は自分の利益になるように情報を伝えます。
結局のところ、自分でしっかりと知識をつけて経験し、そして判断していくことが重要なのです。
現代社会では価値観が多様化し、玉石混交のさまざまな情報が溢れています。だからこそ、自分にとって本当に大事なものを見極めるための、良い意味での不信感が求められています。
自分自身さえも疑ってみる。
そして、他人のことも一度は疑ってみる。
そのうえで、自分の智慧を活かして、あらゆる角度から検証してみて、現時点でベストだと思えるものを選び、信じていく。
具体的な方法を挙げるとすれば、これはブッダの言葉にもありますが、その人が言っていることではなく、その人が成したことや、結果を見なさい――口先だけで行動が伴っていない人は信じるに値しないということです。
「お坊さんなのに他人を疑ってかかるという発想はどうなの?」
そんなふうにおっしゃる方もいますが、それがブッダの教えなのです。私はそれが誰の言葉であれ、一度きちんと疑ってみます。
そうすることで、本当に自分のことを思ってアドバイスしてくれる人や、本当に智慧のある人を見極められるようになるからです。
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いかがだったでしょうか?
『自分という壁 自分の心に振り回されない29の方法』は、自己との向き合い方を深く考えさせてくれる一冊です。
人生の壁に直面した時、それを他人や環境のせいにするのではなく、自分の内側を見つめ直すことで新たな道が見えてくるかもしれません。
大愚和尚のメッセージは、読む人の心にそっと寄り添い、勇気を与えてくれます。本書を通じて、人生に立ちはだかる「壁」を超える力を、一緒に見つけてみませんか?
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■著者情報
大愚元勝
佛心宗大叢山福厳寺住職。慈光マネジメント代表取締役。慈光グループ会長。佛心僧学院学長。僧名「大愚」は、大バカ者=何にもとらわれない自由な境地に達した者の意。 駒澤大学、曹洞宗大本山總持寺を経て、愛知学院大学大学院にて文学修士を取得。 僧侶、事業家、作家・講演家、セラピスト、空手家と5つの顔を持ち、「僧にあらず俗にあらず」を体現する異色の僧侶。
YouTubeチャンネル「大愚和尚の一問一答」
構成/DIME編集部