オーガニックであることとサステナブルであることは、どれくらいイコールなのだろう。
ビューティーディレクター MICHIRUさんとともにおくる、連載「Wellbeing Beauty by MICHIRU」。
第二回は日本のオーガニックコスメブランドの草分け的存在、「MiMC」の開発者兼代表北島 寿さんが考える「ウェルビーイングビューティーとは」を伺っていく。
左:MiMC開発者兼代表の北島 寿さん、右:ビューティーディレクター MICHIRUさん
MiMCの誕生と日本のオーガニックコスメの進化
日本で自然派・オーガニックコスメの認知が広がったのは、2000年代初頭。北島さんはその少し前、1990年代後半から「本格的に自然のもので化粧品をつくろう」と動きはじめていたという。
全3編の前編では当時の様子も含め、MiMCのブランド理念と起業からの変わらぬ思いを紐解いていく。
MICHIRUさんも関わった2024AWコレクションアイテム
MICHIRUさん(以下・MICHIRU):北島さんがオーガニックコスメをつくりたいと考えはじめた頃、日本では市場そのものがなかったのではと思うのですが。
北島さん(以下・北島):1990年代後半ですね。MICHIRUさんのおっしゃる通り、当時の日本では本当の意味で自然のものだけを使った化粧品は作れませんでした。“なんとなく自然派”のものは作れましたが、原材料にこだわって作ろうとすると、そのシステムもないし、原材料も手に入らない。ないない尽くしでした。
MICHIRU:その後、北島さんはアメリカに渡られたんですよね。アメリカのほうが実現できる可能性が高かったからでしょうか。
北島:自然のもので化粧品を作るならアメリカかヨーロッパでしかできないと考えていたところ、運あってグリーンカードを取得できたんです。ちょうどアメリカやヨーロッパでは、日本よりも一足早くオーガニックが台頭し始めていた時期でした。たとえばホールフーズやトレーダージョーズなどのスーパーが店舗数を増やしていたり、ファーマーズマーケットも続々と立ち上がったりしていました。
MICHIRU:私がMiMCと北島さんに出会ったのは、アメリカで立ち上げたMiMCが日本に上陸してすぐの頃でしたよね。
北島:そうでしたね。高島屋さんから出店のお話をいただいて、2010年にカウンターを立ち上げました。その頃、高島屋さんのお客様相談室には「オーガニックの化粧品はありますか」というような声が少しずつ届くようになってきていたんだそうです。
今でも忘れられないのが、学校の校長先生をされているというお客様のこと。敏感肌でどの口紅を使っても唇の皮が剥けてボロボロになってしまうと悩まれて遠方から来てくださいました。ルージュをお塗りして2時間くらい様子を見て、大丈夫なことを確認してからお買い求めいただいたのですが、「卒業式でやっと正装で生徒を送り出せる」とカウンターで泣いていらっしゃったというスタッフからの連絡がとても印象的でした。
肌にトラブルを抱えている方や、既存の化粧品が使えなかった方が救われていく様子を見て、メイクでできることは、こんなにもたくさんあるのかと。それからますますメイクのアイテムに力を入れていきました。
MICHIRU:ちょうどその頃は雑誌などでもオーガニックコスメの特集が始まった頃でした。海外のブランドがほとんどのなかで、日本のブランドとしてMiMCがあったのを覚えています。でも海外のブランドも含めて、質感も色もまだ撮影で使えるようなものはほとんどなくて……。
北島:ミネラル特有の土っぽさがありましたよね。その頃のMiMCのお客さまも今と違って肌にトラブルがあって使える化粧品がないなど、悩みを抱えて来られる方がほとんどでした。それからMICHIRUさんにカラーディレクションに入っていただけたこともあり、カラーアイテムがどんどん進化していきました。
MICHIRU:新色は通常2年くらい前から準備するんですけれど、やはりミネラルが主原料なのでなかなか実現が難しい。普通のコスメだったら簡単にできるようなことも、時間がかかります。なかには時間切れになったものもありましたよね。
北島:ありましたね。当時も今もつくりたい色を出すために、世界中で原料を探し続ける日々です。
2024AWコレクション キービジュアル。生命の輝きをダイナミックな赤で表現
アップサイクルの循環から新しい化粧品が生まれる
MICHIRU:改めて、MiMCの原材料へのこだわりを聞かせていただけますか。
北島:自然のものであることはもちろん、それがサステナブルでもあること。今、MiMCでは海外で見出す原料のほとんどがアップサイクルのものになっています。今まで破棄していたもの、見向きもされてなかった自然のものの中に、有効価値があるエキスが埋もれていることがかなり多いんです。
このアップサイクルという流れの中に、化粧品の新たな質感、新たな色を見出せる可能性を感じてやみません。
また私がアメリカでブランドを立ち上げたというのもあり、日本の商社を通しては入ってこないような原料を直接持ってこられるというのもMiMCの強みであり特徴だと思っています。
MICHIRU:「あるものを使わせていただく」というアップサイクルの循環はとてもサステナブルですね。オーガニックであったり、自然のものを使っているブランドは増えてきています。ですが本質的なサステナビリティを実現できているブランドはそう多くないのではとも感じています。
北島:やはりヨーロッパやアメリカのほうが、オーガニック・ナチュラルと名乗るときにその部分をすごく見られますよね。日本の基準で作るとヨーロッパでは販売できないこともあると聞きます。
でもウェルビーイングって、国境がないものだと思うんです。求めるものが地球の健康だったり、本質的な人の健康であると思うと、ブランドとしては先を行くほうの基準に合わせていくのが本来だと考えています。
「オーガニックインナーセラムドリンク」(写真右)は、瓶容器のリサイクルを開始。ガラス容器工場とタッグを組み、着色瓶のリサイクルを実現した。
肌も人も地球も同じ目線で語る、世界で1つのブランドに
MICHIRU:サステナブルが謳われるようになる前から、環境への配慮に厚いブランドだったイメージがあります。そのマインドの原点というのは?
北島:なんでしょう。私自身が肌と人と地球を一緒に思っているところはありますね。それは私のベースが化学者であることや、化学物質過敏症になった経験から来ているものだと思います。化学者として人の健康と美しさはイコールだし、肌に良いものと地球に良いものもイコールなはずだという考えが大前提。それを象徴しているのが、起業の頃から取り組んでいる石鹸と、石鹸だけで落とせるメイクです。
MICHIRU:ブランドの軸そのものが、地球と人の両方に立っているのですね。
北島:ビジネスという枠からは少し飛び抜けているかもしれません。でも世界で1社こういう会社があってもいいかなと思うんです。
起業するときにアメリカでの化粧品研究に協力をしてくれている人たちから、「寿はメーカーを作りたいのか、ブランドを作りたいのか」と聞かれことがあります。そのとき私は迷いなく、ストーリーがあって、受け継がれていくものがあるような「ブランド」をつくりたいと答えました。
ブランドとして自然を大事にしていきたい。私たちは自然から生まれていて、人間が何かを生み出そうと思ってもすべての元は地球からの恩恵です。元素1つ生み出せないのが人類。そう思ったときに「地球と人を美しく」ということを物語にしたい。そういう会社があってもいいのではないかと思いました。それがMiMCの原点であり、ぶれることのない軸になっています。
>>次回、中編ではMiMCがこの秋踏み入れた“化粧品”の新たなステージを紹介する。
<プロフィール>
北島 寿(きたじま・ことぶき)
株式会社MIMC(エムアイエムシー)開発者兼代表取締役。化学を専門に研究していた大学院時代に化学物質過敏症になり、大学院卒業後、自然派化粧品会社に入社。その後、本物のオーガニックを知るために渡米。渡米中にミネラルメイクと出会い、MIMC.incを設立。世界で初めての日本人のためのオーガニックコスメブランド「MiMC」を立ち上げる。
MICHIRU(みちる)
メイクアップアーティスト・ビューティーディレクター/渡仏、渡米を経て、国内外のファッション誌や広告、ファッションショーやメイクアイテムのディレクション、女優やアーティストのメイクなどを数多く手がける。また体の内側からきれいになれるインナービューティを提唱するなど幅広く活躍中。本連載ではナビゲーターを務める。