“推し”のユーチューバーはいるだろうか。“推し”というほどではないにせよ、ある特定のYouTubeチャンネルの最新動画の視聴がルーティンになっている人は多そうだが、SNS全盛時代を迎えてユーチューバーと視聴者の一方通行の関係はごく普通のことになっているようだ。
36%がユーチューバーに親近感を抱いている
コロナ禍では少なくない人々がリモートワークを体験したが、一人暮らしの学生や社会人の方々はおそらくこれまでにない孤独な日々を過ごしたのかもしれない。
そうした中にあってネットの視聴時間が増えていたとしても不思議ではないが、興味ある分野の面白い動画をコンスタントに配信しているユーチューバーを見つけ、日々チェックすることが習慣になっても同じくまったく不思議ではない。
そうした日々が続きある時にふと考えてみると、日々の生活の中でそのユーチューバーが最も頻繁に接触している人物であることに気づき若干の衝撃を受けるかもしれない。しかもそのユーチューバーは当然だが自分のことをまったく知らないのだ。
このような一方通行の人間関係(正確には人間“関係”とは呼べそうもない)は「パラソーシャル(parasocial)」な関係とも呼ばれており、有名人とそのファンとの関係などを指し、たとえば映画やテレビで人気のスターやアイドルを熱心に応援するファンは当然だが昔から存在している。
そして“片思い”にも似たこのパラソーシャルな関係は、独占欲に駆られたファンがストーカー化して事件を起こしたりするなど、何かとネガティブな側面もつきまとうものでもある。
一方、時代は打って変わってSNS全盛の今日、ユーチューバーをはじめとするパラソーシャルな関係を築くことができる人物はそれこそ無数に存在する事態を迎えている。
パラソーシャルな関係になり得る人物が身近に多くいることで我々の意識に何か変化が訪れているのだろうか。
新たな研究では、ユーチューバーなどとのパラソーシャルな関係は、現実に身の回りにいる繋がりの弱い友人知人との会話よりも感情的に満足できることが示唆されていて興味深い。今日の我々はユーチューバーなどの表現者に考えられている以上に親近感を抱いているというのである。
英エセックス大学の研究チームが今年8月に「Scientific Reports」で発表した研究では、3つの調査を通じてイギリスとアメリカの平均年齢36歳の1080人以上の参加者が、パラソーシャルな関係をどのように認識しているかが探られた。
調査の結果、参加者の大多数にあたる52%が強いパラソーシャル関係を持っていると述べ、36%がユーチューバー一般に親近感を感じていると回答したのだ。
かつてのスターとファンの関係にはネガティブな側面も少なくなかったが、現在のSNSではパラソーシャルな関係はごく普通に起きている現象であるともいえ、特別なものではないぶんネガティブさは薄まり、好ましい側面のほうが目立っているのかもしれない。
パラソーシャル関係は「保証された安全な避難所」
今回の研究によれば、実際に会ったことのない人物との一方通行の関係は、知人などの弱い絆よりも感情的なニーズを満たすのにより効果的であると見なされる傾向があり、それがたとえ“片思い”であったとしても特に問題を感じずに許容され、活用され、そして心の支えにもなっていそうである。
もちろん恋人とのロマンチックな関係や、親友とのきわめて強い絆といった濃厚な双方向の関係は、感情的なニーズを満たすための最も優先される関係であることに変わりはないのだが、親しい関係であるからこそ傷つけあう可能性もあり、たとえば恋人との仲違いの経験を思い出した時など、パラソーシャルな関係の利点が見直されてくるのかもしれない。
少なくない人々においてセレブのYouTube動画や“インフルエンサー”の最新動画を視聴することがルーティンになっているのだが、研究チームのヴェロニカ・ラマルシュ氏はオンラインでセレブの動画を観ることが「視聴者にとって有効で安心感を与える」可能性があると解説する。
「これらのパラソーシャル関係は、保証された安全な避難所を提供します」と説明し、その最大の利点は都合の良い時間にいつでも視聴できる点であるという。
現実の恋人や友人知人は会うためにお互いのスケジュールを調整したり、場合によっては呼び出されたりもするが、パラソーシャルな関係にはそれが一切ないことが最大の利点である。
インフルエンサーとフォロワーがコメントのやり取りなどを通して交流することはあるのだろうが、ラマルシュ氏はそれは双方向の人間関係と呼べるものではないと指摘する。そこには強制性はなく、インフルエンサーは基本的にフォロワーを呼び出したりアポを取ったりすることはなく、その意味ではやはり一方通行のパラソーシャルな関係なのである。
しかしパラソーシャルな関係には依然として懸念されるべき点もある。それは現実逃避と非社交性に繋がる側面だ。
人々が現実生活で誰かと話すよりもYouTubeを見る方が快適に感じる理由の1つがまさに一方通行だからであり、動画の人物が何を感じているのか深く考える必要もなければ、自分がどう見られているのか気にする必要もない。YouTubeを視聴している時、自分はいわば“透明人間”なのである。こうしたことが習い性になってしまえば社交性を著しく損なう可能性もあるだろう。
SNSの普及でより身近になったパラソーシャルな関係だが、もちろん双方向の人間関係とはまったく違うものであることを、現実を見誤らないためにも今一度確認しておきたい。
※研究論文
https://www.nature.com/articles/s41598-024-58069-9
※参考記事
https://www.bbc.com/news/articles/cp003n1ldr0o
文/仲田しんじ
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