11月14日、スクウェア・エニックスよりHD-2D版『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』が発売された。
本作は言うまでもなく、1988年に発売されたドラゴンクエストシリーズ第三作目にあたる『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』のリメイク版となっている。36年前に発売されたタイトルのリメイク版が、なぜこれほどまでに注目をされているのだろか。
それは、本作がロト三部作の完結編でドラゴンクエストシリーズの中でも人気が高いからというだけではない。『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』は、日本のゲーム文化においても‶伝説的〟作品だからなのだ。
ゲームを「娯楽」から「産業」へと日本社会の認識を変えた『ドラクエIII』
1988年2月10日、ファミリーコンピュータ用ゲームソフトとして発売された『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』は、当時、日本社会にどのような影響を与え、どのような社会現象を巻き起こしたのか。その歴史を振り返ってみたい。
1. 発売当日の大行列と全国で起こった「ドラクエ休み」
1988年2月10日、「ドラクエIII」が発売されると、全国各地のゲームショップには早朝から長蛇の列ができました。特に都市部では、前日の夜から並び始める人も多く、数百人~数千人単位で行列ができた店舗もありました。東京・秋葉原や大阪・日本橋といった主要なゲーム販売エリアは多くの人であふれかえり、警察が出動して交通整理を行うほどの騒ぎでした。
中でも、東京・池袋のビックカメラは最も多くの人が集まったと言われており、真偽は定かではあませんが1万人以上の列ができたという話もあります。
当時、特に中高生がこぞって並んだため、「学校を休んでまでゲームを買う」という事態が問題視されました。
都内では2月10日、学校をサボった小中高生283人が補導されたというニュースが残るほど。
一部の学校では欠席者が相次いだため、教育機関や保護者からも懸念の声が上がり、後にエニックス(現在のスクウェア・エニックス)は社会的影響を鑑み、次回作以降の発売日を土曜日に変更する方針を発表することになりました。この「土曜日発売」は、後のゲーム業界全体に影響を与え、現在でも多くのゲームが週末に発売される慣習が残っています。
2. 転売と盗難の発生
「ドラクエIII」はあまりにも人気が高く、発売当日に手に入れることが難しかったため、転売目的で購入する人が多く現れました。定価は6000円ほどでしたが、品薄の影響で個人間で数万円で取引されるケースもありました。また、ゲーム店での盗難事件も発生し、一部の店舗では防犯のために警備を強化する措置がとられました。
当時の新聞には、中学生が買ったばかりの「ドラクエIII」を高校生のグループにカツアゲをされたというニュースもあるほどです。
3. メディアの注目と「RPGブーム」
「ドラクエIII」が社会現象化した背景には、RPG(ロールプレイングゲーム)の持つ新しい体験が若者に与えた強烈な魅力がありました。それまでのゲームは、短い時間で簡単に遊べるアクションゲームが主流でしたが、「ドラクエ」シリーズはファンタジーの世界で冒険し、自らの選択で物語を進めるという自由度があり、多くのプレイヤーが熱中しました。この「自分が物語の主人公になる」という体験が画期的で、86年に発売されたシリーズ第一作『ドラゴンクエスト』、87年に発売された『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』を経て、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』で一大ブームを巻き起こりました。
さらに、新聞やテレビなどのメディアも「ドラクエIII」の発売当日の混乱を大々的に報道し、ゲームが単なる娯楽を超えて「社会現象」として注目されることになりました。こうした報道は、日本社会において「ゲームは一過性の遊びではなく、文化や産業として確立された存在」であるという認識を広めることにもつながりました。
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「ドラクエIII」がもたらした社会現象は、ゲーム産業が日本の重要な文化産業へと成長する土壌を作りました。次世代の「ファイナルファンタジー」シリーズなど、数多くのRPGが登場し、日本のゲームが世界に誇るジャンルとして確立されていきました。また、ゲームを楽しむ若者たちの文化や消費行動は「オタク文化」や「サブカルチャー」として注目されるようになり、1990年代以降のアニメやマンガとともに、日本のカルチャーが世界に広がるきっかけを生んだ「伝説的な存在」として、今でも多くのファンの記憶に残り続けています。
だからこそ、HD-2D版『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』は、多くのファンにとって、名作のリメイクという以上の意味があるのかもしれない。
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文/DIME編集部