京王線。都心と西東京、そして神奈川県北部をつなぐ重要路線である。
この京王線、より正確に言えば京王電鉄の全駅で、2024年11月6日からクレジットカードのタッチ決済とQRコード決済による乗車の実証実験が始まった。交通系ICカード一本槍の状況から、実証実験段階とはいえ長足の進化を遂げるのだ。
ここで注目すべきは、やはりクレカである。タッチ決済で乗車できるようになると、京王線沿線の住民の生活がどのように変化するのだろうか。
外国人観光客にとっては便利なタッチ決済
クレカのタッチ決済は、日本国外ではパンデミックの数年前から普及している決済手段である。
たとえばアメリカでは、「キャッシュレス決済」といえばクレカもしくはデビットカードである。それしかない、というわけではないがアメリカは日本ほどキャッシュレス決済の種類が多様ではない。公共交通機関を利用するための決済カードで買い物、ということは一般的ではないのだ。
そうした背景があるからこそ、日本に観光へやって来たアメリカ人はキャッシュレス決済分野のカルチャーギャップに突き当たる。日本では、Suicaを代表する交通系ICカードのほうがタッチ決済対応クレカよりも普及している。それを知った外国人観光客が交通系ICカードを求めようとするが、半導体不足もあいまって入手困難……ということが実際に起きている。半導体不足については徐々に解消されつつあるが、それでも「日本でしか使えないカードを購入しなければならない」という手間が依然横たわる。
もしも日本国内の全ての公共交通機関がクレカタッチ決済に対応すれば、外国人観光客にとってはこの上なく便利な状況になるはずだ。
沿線住民にとっての利便性
しかし、公共交通機関とは一部の例外を除いて、本質的に「沿線住民のもの」である。外国人観光客にとっての利便性は、そのまま沿線住民にとっての利便性になるとは限らない。
とはいえ、京王線のタッチ決済対応については沿線住民の利便性を向上させるものと筆者は確信している。タッチ決済の導入によりそれまでの交通系ICカードが廃止されるというわけではまったくなく、要は「選択肢の増加」になっているからだ。
京王線を通勤・通学路線として使っている人には、此度の実証実験は正直関心の薄い話題だろう。PASMO定期券で事足りるからだ。しかし、「たまに京王線を利用する沿線住民」の立場で考えればどうだろうか。もしくは、「自宅近くにJR線の駅と京王線の駅があり、普段はJR線で通勤している」という人も想定できないだろうか。
そのような事情の人がたまに京王線を利用する場合、交通系ICカードではなくチャージの手間のないクレカで乗車する……ということも考えられるはずだ。
「決済手段の使い分け」が可能に!
実は、筆者は今でこそ静岡県在住だが、18歳までは神奈川県相模原市橋本で暮らしていた。
「相模原の橋本駅」といえば、JR橋本駅と京王線橋本駅のふたつである。この両駅は連絡通路で接続されているが、高校時代の筆者はJR橋本駅から町田駅を経由し、そこから小田急線に乗り換えて通学していた。一方で、京王線は筆者にとっては「プライベートでごくたまに使う路線」に過ぎなかった。
だが、橋本から新宿へ行くとしたら京王線を使ったほうが断然早い。では、かつての筆者のような事情を抱えた人がたまの休日に新宿へ遊びに出かけるとしたら、使うのは交通系ICカードか、それともクレカか?
もちろん、その選択は人によるだろう。しかし、「通勤・通学にかかる費用は交通系ICカード、プライベートにかかる費用はクレカ」という使い分けもできるはずで、決済手段の多様化はそうした細やかな合理化をもたらしてくれるのだ。
全国の私鉄でタッチ決済導入
さて、此度の京王線の実証実験は実質的に三井住友カードが主導している計画である。同社の公共交通機関向けソリューション『stera transit』を使ったタッチ決済・QRコード決済導入が、全国の交通事業者で全く同じ時期に実施されているのだ。
一例を挙げると、10月29日から阪急電鉄の全87駅で京王線と同様の取り組みが開始されている。首都圏だけでなく、関西圏の私鉄でも「タッチ決済の波」が及んでいるのだ。さらに書けば、名古屋鉄道の13駅でもstera transitを使った実証実験が行われている。
その流れを鑑みると、2024年はまさに「タッチ決済乗車元年」と言えるだろう。もちろん、それ以前にもタッチ決済を導入した交通事業者は存在した。だが、「大都市圏に住む人が生活の足として利用する公共交通機関」でタッチ決済が一斉導入されたという点で、2024年はやはり記念すべき年なのだ。
列島を驚愕させた「熊本ショック」
その上で、今年5月に発生した「熊本ショック」についても言及しなければならない。
これは熊本県内の交通事業者5社が、今年限りで交通系ICカードの取り扱いを停止すると発表した出来事である。代わりに導入されるのが、クレカタッチ決済だ。
「今回の決済手段変更に際しましては、小児・高齢者・障がい者割引や定期券としての利用など、 県民の皆様の利便性向上に資するくまモンのICカードシステムの優位性を発揮しつつ、TSMC進出による外国人労働者やインバウンドの増加に伴うキャッシュレス決済の多様化やスマホ決済の利用増等の昨今の状況を考慮し、より多くのお客様のニーズに応えられるよう、全国交通系ICカードの代わりにクレジットカード決済等が対応可能な読取機器導入を目指すことといたしました。また、費用についても既存の機器をそのまま更新することに比べ、約半分のコストで更新が可能であることから、経営の効率化を実現できると考えております」
(全国交通系ICカードのサービス停止とクレジットカード等の タッチ決済機器導入について-熊本交通5社共同発表PDFより)
機器の更新費用が大きなネックになっている背景があるようで、しかもタッチ決済を導入したほうが交通系ICカードよりもコストは半額で済むという。
もしもこのショックが全国に波及した場合、即ち全国の交通事業者が熊本の例に倣った場合、日本のキャッシュレス決済情勢に新たな地殻変動が訪れることは確実だ。
【参考】
「クレジットカードやデビットカード等のタッチ決済」「QRコード認証」を活用した乗車サービスの実証実験を全駅で開始します-PR TIMES
10月29日(火)から、阪急電鉄の全87駅でクレジットカード等のタッチ決済による乗車サービスを開始-PR TIMES
名古屋鉄道におけるクレジットカードやデビットカード等のタッチ決済による乗車の実証実験の対象駅を13駅に拡大いたします-PR TIMES
全国交通系ICカードのサービス停止とクレジットカード等の タッチ決済機器導入について-熊本交通5社共同発表PDFより
文/澤田真一
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