2023年から試験車が走る確認路でウォーキング&ランニングがスタート
健康を保つことは、人々の“ウェルビーイング”な状態につながる。しかし、定期的な運動や健康への取り組みを日常生活の中で意識し続けることはなかなか難しい。
自動車メーカーの株式会社SUBARUでは、2023年から従業員に運動や健康を意識してもらうための取り組みを行っている。なかでも、24年6月から9月の4か月間は、昼休み中に10分間だけフィットネスを行う『10分ランチフィットネス®』を導入。月に1回、第3火曜日を『10分ランチフィットネス®』実施日とし、自由に参加できるようにした。
フィットネスの動きそのものは簡単なもので、指をほぐしたりステップを踏んだり、ストレッチをしたりと、激しい息切れをすることなく10分間続けることができる。しかし、10分終わった後は、じんわりと身体が温まり、スッキリとした気分を味わえる。
今回、SUBARU・人事部健康支援室の保健師で産業カウンセラーの平河久美子さんと、一般社団法人『10分ランチフットネス協会』理事・教育トレーナーの讃井里佳子(さぬい・りかこ)さんに、『10分ランチフィットネス®』について話を伺った。
SUBARU・平河久美子さんと、『10分ランチフットネス®』教育トレーナーの讃井里佳子さん
DIME WELLBEING(以下、D):SUBARUで『10分ランチフィットネス®』を取り入れることになったきっかけを教えてください。
平河久美子さん(以下、平河):もともと弊社で行っている健康診断で、脂質異常や、肥満によるコレステロールや中性脂肪の数値が異常な方の割合が多いことが課題でした。太っているわけではないけれど、脂肪が多い。いわゆる隠れ肥満ですね。デスクワークや在宅勤務者も多いため運動不足からくるもので、そこを改善するために「少しでも動いてほしい」という思いから、運動不足解消のために何ができるかと考えていました。
D:従業員の運動不足や隠れ肥満という問題があったのですね。
平河:ただ「運動しましょう」と呼びかけるだけでは、なかなか難しい。運動ができる環境を作れば変化があるかと思い、まず23年からSUBARU所内にある確認路を使って、『SUBARUN!』をスタートしました。
確認路とは、車の試験をする道路のことです。1周800mあり、普段は試験車しか入ることができません。クルマの走行のない昼休みにその確認路を利用して、ウォーキングやランニングができる場所として月に1~2回開放するイベントを始めました。
D:試験車が走る場所を歩いたり走ったりできるのですか。面白そうです。
平河:イベントではのぼり旗を立てBGMをかけて、多くの人に集まってもらえるように工夫しました。その結果、多い時は休み時間に120人くらい集まるようになりました。実は『SUBARUN!』というネーミングも、従業員から募集したものです。
D:『SUBARUN!』のスタートで、運動するきっかけは提供できたのですね。
平河:ただ『SUBARUN!』は野外なのでどうしても夏場が暑く、熱中症になる恐れがあります。ウォーキングやランニングをすることで倒れてしまうといけないので、6月から9月の夏の期間だけ、『SUBARUN!』に代わるものができないかと思いました。室内でエアコンのきいたところでもできる取り組みを探し、その中で『10分ランチフィットネス®』を見つけました。
D:『SUBARUN!』に代わるものを探した中で、『10分ランチフィットネス®』に決めた理由を教えてください。
平河;お昼休みを使って、室内で、しかも10分間でできるところですね。特にネーミングに「ランチ」とついているところが大きかったです。他の運動も調べましたが、「1時間ならできます」「ヨガもできますが30分~1時間かかります」というものが多く、それでは昼休みが全て潰れてしまいますので、10分というのがちょうどいい時間で、ぴったりと思いました。
D:讃井さんは『10分ランチフィットネス®』の教育トレーナーをされていますが、考案のきっかけを教えてください。
讃井里佳子さん(以下、讃井):考案者は実は私の姉なのですが、福岡にある『スタディオ・パラディソ』というエアロビックダンスのスタジオの代表であり、一般社団法人10分ランチフィットネス協会代表理事の森山暎子が、2009年に考案しました。当時、九州大学大学院に入学し、福岡市とまちづくり団体、企業、大学の連携事業として「福岡市における勤労者の運動促進」について研究し、8000人の声を集めて、チームで『10分ランチフィットネス®』を生み出しました。
当時、福岡市市民局スポーツ振興課では勤労者の運動不足が課題でした。福岡市が勤労者の運動促進と健康増進に向けてアプローチしていこうと考え、気軽にできる体操として、まず時間がない人や苦手意識がある人も「10分」なら、そして街の公開空地なら身近にできるということで、提案したプロジェクトがスタートしました。
「10分間」にからだほぐしや有酸素運動と筋トレとストレッチで構成しました。まずは「体をほぐすこと」を重視しています。仕事している方は精神的にも緊張してデスクワークで固まっているので「まずほぐしましょう」ということで、自分自身の身体の状態をいいも悪いも決めつけずに、対話をすることから始めます。まさにマインドフルネスです。
実は厚生労働省は国民向けのガイドライン「アクティブガイド」で、「今より10分多く体を動かそう」という「+10(プラステン)」をエビデンスベースドに、2013年から伝え始めました。偶然にも直感で生み出した『10分ランチフィットネス®』はその方針にも合っています。
さらにWHOや厚生労働省は、成人、特に高齢者には、有酸素運動と筋トレにバランス運動も加えた「マルチコンポーネント運動」を推奨しています。ストレッチだけ、ヨガだけ、筋トレだけのように1つの種類をするのでなく、「いろんな運動をしましょう」というものです。『10分ランチフィットネス®』は、そこにもぴったりな取り組みです。
D:讃井さんの他に、実技指導者はいるのですか。
讃井:『10分ランチフィットネス指導者養成講座』がありますので、そこで受講して試験に合格すれば指導者になれます。エアロビックダンスのインストラクターがそのままトレーナーになるパターンもありますが、健康経営を推進したい企業の産業保健師や、障がい児クラスを担当の小学校の教員、また、突然難病になり、歩けるのもままならなかったキャリアコンサルタントの方が、「このプログラムで元気になったから」と資格取得し、同じ病気で悩む方々の学習会等で実技指導をなさっているなど、運動指導のプロでない方も大勢おられます。福岡の筑後地区老人福祉施設協議会では、加盟施設の健康経営の促進や、ご利用者へのサービス提供、新規事業へのアプローチ等を目的に行う職員対象のライセンス取得講座などがスタートしました。
D:運動ビギナーの方でも取得できるのですね。
一般社団法人『10分ランチフットネス協会』理事・教育トレーナーを務める
讃井:とにかく、「運動に対するハードルを下げたい」のです。社員さんがトレーナーをやることで、同じ社員の中でもトレーナー側として運動に関わる人が出てくるので、盛り上がります。地域の町のおばあちゃんがトレーナーになっている、介護士の方がやっているなど、多岐にわたっています。「誰でも気軽にトレーナーになれる」というのが魅力です。そのために、ライセンス取得後のフォロー講座や更新研修会は必須としています。指導者養成講座の教材や指導案は、楽しく・安全・効果的なものであるようチームで話し合い更新しています。
体組成計の設置や体力測定の実施で従業員にアプローチ
D:SUBARUでは6月からスタートして、何人くらいの方が参加しましたか?
平河:6月から9月の4か月、第3火曜日に月1回開催しました。昼休みの間の、11時50分、12時10分、12時30分、12時45分の計4回行います。昼休みが50分間なのと、昼休みに入る時間が従業員によって違うため、一斉スタートではなく4回に分けました。
参加者は、集団で5~6人来る時もあれば、一番多くて35人の日もありました。だいたい全体で20人くらいの参加です。弊社は男性社員が9割ですが、参加者には女性の方も多かったです。若手からシニアまで幅広く参加してくれました。
最初は会議室でやっていたので、「ひっそりとどこかでやっている」というイメージだったのか、あまり参加者がいませんでした。そこで、「オープンな場で何かやっている」「覗いてみたら面白そうだから入ってみよう」と思ってもらえるように、7月からは社内の売店横のオープンスペースを使い、人通りが多い場所でやることにしました。
D:参加者の反応はいかがでしたか?
平河:「楽しかった」「疲れた」「さっぱりした」など、いろいろな声がありました。でも、フィットネスの輪に入ること自体を、ハードルが高いと感じる人もいます。何をやっているのか覗きに来るけれど、参加はしないという方もいたので、参加施策は今後も工夫していきたいです。
D:これまではどのように呼びかけていましたか?
平河:従業員は社内パソコンを1人1台持って作業しているので、ポップアップで通知して伝えたり、社内メールでまわしたりしていました。また社内ではデジタルサイネージが各職場にあるため、実施1週間前に情報を出してもらい、サイネージの前や横を通り過ぎると映るようにしていました。
D:健康支援室として、他に取り組んでいることはありますか?
平河:ジムや病院にしか設置されていない、全ての筋肉量を計測できる『InBody(インボディ)』という体組成計を社内に導入しています。「タンパク質の量が足りていない」など、体重だけでは分からない細かな結果が出ます。トレーニングや運動の成果や健康状態を把握できるよう、使っていただいています。毎月定期的に測っている人もいます。
また23年から、垂直跳びや柔軟性を測る体力測定も行っています。学校で行う体力測定の大人バージョンで、3日間限定で開催しました。「腕立て伏せができない」「握力が全国平均と比べてどうか」など、健康診断だけでは分からない「平均値と比べた自分の位置」や「体力年齢」を自覚してもらえます。
ウォーキングや『10分ランチフィットネス®』は、「運動してみよう」と思わせるきっかけでしかないと思っています。会社でちょっと動いてみて、「よかったから、家に帰ってからもトレーニングしてみよう」と思えるように、運動につながるきっかけをまず作ってあげることを意識しています。それが、総合的に健康診断の結果にもつながればいいなと。
強制ではなく「最終的に楽しく続けられること」が大事
D:夏場が終わり、秋からはまた『SUBARUN!』に戻るそうですが、今後はどういうことを取り入れていきたいですか?
平河:これから社内で、『10分ランチフィットネス®』を4か月実施したアンケートを取るので、その反応も見て今後の内容もまた考えていく予定です。そして、『SUBARUN!』も進化していかないと飽きられて常連メンバーだけになってしまいます。讃井先生は『スロージョギング🄬』も行っているので、コラボしてもいいのかなと思います。
D:『スロージョギング®』とはどういったものですか?
讃井:『10分ランチフィットネス®』と同じ『ニコニコペースの運動理論』に基づいた有酸素運動で、福岡大学名誉教授の故・田中宏暁教授が考案されたジョギングです。有酸素運動の中でも中低強度で、きつくない運動なのですが、(1)体力がつく。(2)ウォーキングよりもエネルギー消費は約2倍なので、減量効果がある。(3)生活習慣病の予防、改善。(4)脳機能の改善も認められています。『ニコニコペースの運動理論』は福岡大学スポーツ科学部と医学部との協働研究によって立証され、WHO・国際高血圧学会合同のガイドラインとなり世界中に広まっています。「自分の体力に合わせて、ニコニコ笑っていられる程度で運動しましょう」というものです。
やはり年齢を重ねると、ハードに運動すると心臓や血圧に負担がかかります。『スロージョギング®』はハードにやらなくても十分効果があり、むしろその方が脂肪もたくさん燃えるというエビデンスもあります。
平河:ウォーキングやジョギングにこだわりたい人もいれば、何から始めたらいいのか、また歩き方すら分からない人もいます。『SUBARUN!』でただ「歩いてください」「走ってください」と呼びかけるだけよりは、効果的な歩き方や走り方を教えていただいた方が、「試してみたい」と思えるのではないかと思います。
讃井:実際に、ただ「歩いているだけ」だと、残念ながらあまり効果がないです。運動としては強度が足りなさすぎるので、意識しないといけないポイントがあります。
平河:保健指導でも、「歩いていているけど痩せない」という悩みが多く相談されるので、そこをアドバイスしていただけるといいのかもしれません。自己流でダラダラと歩くよりも、せっかく運動するなら体に効果的な歩き方の方がいいですからね。
D:こうしたコラボレーションも、運動や健康へ意識を向ける「きっかけ」につながるといいですね。
讃井:SUBARUさんは、その「きっかけ」を作られているのがすごいと思います。そこが一番大事なのです。『10分ランチフィットネス®』も、この運動を皆さんにマスターしてもらおうと思っているのではなく、きっかけ作りです。参加してない方も、他の社員さんが運動しているのを見て、運動が視覚にも意識にも入って来る。それだけでも、「いつもより歩いてみようかな」と意識が変わってきます。これは10分ランチフィットネス協会のエビデンスにもあり、産業医科大学と共同で研究している結果が出ています。やらなくても、意識を変えることには寄与しています。
また、この研究での、コミュニケーション・生産性・活力が上がるというエビデンスは、アメリカの産業医学誌にも掲載されています。上司や同僚、友人や家族からの支援が得られたというおもしろい結果もあります。睡眠の質の向上や、今話題の座りっぱなしの不健康問題に対し、不活動量が減ったという結果など、生活習慣を変える様々なきっかけにもつながっています。九州労働金庫では、年に1回1300人が実施していますが、健康リーダー制を作っており、リーダーの育成にもつながっていると専務が喜んでくださっています。
平河:イベントを強制することで参加率は高くなると思いますが、最終的に「楽しく続けられる」というところが大事だと思っています。「見ていて、楽しそうだからついでにやってみよう」と参加したい気持ちになり、「楽しいから続いた」というところにもっていきたいです。
行動経済学でいう「ナッジ(※望ましい行動をとれるよう人を後押しするアプローチ。人が意思決定する際の環境をデザインし自発的な行動変容を促す)」のように、「楽しいものに巻き込まれて、ついついやってしまう」というような施策ができればいいなと思っています。例えば、マラソン大会や運動会のようなイベントを企画して、「勝つために自分からトレーニング始めた」、「綱引きをやるからトレーニングやってみた」と自発的に思えるように。
1人でやる筋トレよりも、「みんなで楽しくやること」が会社のつながり、仲間づくり、組織づくりになっていけると思いますし、結局それがコミュニケ―ションになります。今後も、楽しいイベントをどんどん増やしていきたいです。
企業側から「きっかけ」を提供し、運動に対するハードルを下げることは、従業員のウェルビーイング向上に貢献するための重要な第一歩なのかもしれない。
取材・文/コティマム 撮影/横田紋子