夢を諦めやすい時代だ。
筆者は今年で31歳になるが、ここ数年でたくさんの夢を諦めたように思う。つい最近だと、東京に戸建てを買うのを諦めた。そして数年前に、学生時代から夢だった漫画編集者になることも諦めた。
いろいろ要因はあるのだが、その一つに「成功が身の回りに溢れていること」がある。ひとたび「X」を起動すれば、「YouTube」を開けば、輝かしい“成功”を身に纏った人たちが目に飛び込んでくる。ビジネスで成功していたり、超一流のクリエイター、あるいはアスリートだったり、本当だったり嘘だったり、その形はさまざまだ。
筆者を含め、現在人の多くは、そんな自分とはほど遠い“成功”から目を背けにくくなっている。今日も、成功しているらしい同世代の起業家のポストがXのタイムラインに流れてきて、タール多めの劣等感をなんとか吸い込んだ。
妻がいるし、子供がいるし、決して自分の人生がどん底というわけではない。むしろしっかり幸せである。しかし、ついつい比較してしまう。そして、自分と輝いている人は別の世界にいるものだと、夢を簡単に諦めるようになった。
…と、後ろ向きな自分を時代のせいにしてみたが、似たようなことを持っている人は多いのではなかろうか。
『ありす、宇宙までも』は、そんな我々の心に効く。
<書籍情報>
「ありす、宇宙までも」
【作】売野機子
【出版】小学館
https://bigcomicbros.net/work/83391/
ありそうでなかったボーイ·ミーツ·ガールが、三十路の心にも火をつけた
『ありす宇宙までも』は、女子中学生・朝日田ありすが日本人初の女性宇宙飛行士になるまでの物語だ。ありすは容姿端麗で人気者。しかし、言葉が拙く、小学校の授業にもついていけないという悩みを抱えていた。「生まれ変わって、やり直せたら…」そこまで思い詰めたとき、同級生の神童・犬星類と出会う。
ありすは、自分の気持ちも“言葉”で表現することができない。友人たちからの評価とは裏腹に、生きづらさを感じていた。(『ありす、宇宙までも』1巻より)
犬星くんの発言により、実は「セミリンガル」だと発覚したありすは、自分を閉じ込めていた“バカ”の壁を壊し、「宇宙飛行士になる」という幼い頃からの夢を改めて目指しはじめる。
神童こと犬星類は、ありすに対し「“バカ”じゃなくて、セミリンガル」だと本人に伝える。(『ありす、宇宙までも』1巻より)
生きづらさを感じていても、ありすは夢を捨ててはいなかった。そして、現状では明らかに困難でも諦めない。1巻の段階ではまだその真意は掴めないが、犬星くんもサポートをやめない。
原動力が恋愛感情ではなく、心根の部分でギブ&ギブの関係にある新たなボーイ·ミーツ·ガールに、涙腺が緩みつつある三十路のハートはキャッチされた。
ありすは、小学校1年生の「こくご」ドリルから学習しはじめ、「明日すること」を書き出していく。その1つ1つはまさに「小さな一歩」だが、「偉大な一歩」だ。
二人の姿に、「夢を諦めなくてもいいかもしれない…」そんな気持ちが湧いてくる。こんな当たり前のことを文章にするのも気恥ずかしいが、「人は人」だ。筆者はポイと諦める前に、まずは資産計画を見直し、都内に戸建てを買うためのプランを練り直すべきだろう。
「セミリンガル」とは? 気づき、学び始めたありすの行く先は、まぶしいほど明るい
「セミリンガル」という言葉をサラッと流してしまったで、ここで整理しておきたい。別名「ダブル·リミテッド」ともいわれ、複数の言語を習得しているが、いずれも年相応の言語レベルに到達しておらず、抽象的な思考や論理的思考が難しく、生活に困難を抱えてしまう状態を指す。
ありすの場合、幼少期から日本語と英語のバイリンガル教育を受け、シンガポール、フィリピン、日本とさまざまな学校に通ってきた。そんな状況もあって言語の習得バランスが不安定な中、不幸にも両親が他界。言語の習得レベルの偏りを調整されることなく、すべてが中途半端な状態で小学校卒業を迎えてしまったのだ。
旧友に過剰に保護され、生きづらさを感じていたありすが、犬星との出会によって世界を広げていく様は心躍る。筆者の子どもは2歳に満たない幼児だが、その毎日の成長を見ているようだ。新しい扉を開けて笑顔を見せるありすが、息子のまだヨタつく歩みとおぼつかない発語とリンクし、キラキラと輝いて見える。少しずつ視力が低下し、かすみ目も気になる筆者からしてもだ。
犬星との学習とコミュニケーションによって前に進むありす。(『ありす、宇宙までも』1巻より)
話は逸れるが、以前、映画『ガタカ』を観たときに感じたのは(偶然にも宇宙飛行士を目指す話だ)、人間が困難な夢を追いかけ続けるには「成功体験」が必要だということだった。ありすに対しても同じことがいえる。そして、頼れるサポーターがいるという状況も同じだ。
作品の冒頭で描かれているため、ありすが宇宙飛行士になる、というゴールは確定した未来である。しかし、さまざまな困難がありすを待ち受けているのだろう。それを乗り越えるありすから勇気をもらい、今後描かれるであろう“サポーターでありながら主人公でもある”犬星くんの在り方から、父としての生き方を学びたいものだ。
宇宙飛行士となったありすが、変わらず“天然”として描かれていることは救いである。個性とセミリンガルという状態を混同してはいけない。(『ありす、宇宙までも』1巻より)
最後に余談。コミックスを机に置いておいたところ、妻が「ありす、うどちゅうこまでも…?」とボソボソつぶやいていた。これはあまり公に言わないほうが良さそうである。
文/関口大起(https://x.com/t_sekiguchi_)