DIME Business Trend Summit2024では推し活のプロ2人が、「推し活エコノミクスの正体」について対談した。推し活の心理と行動を定量的に調査・分析した「オシノミクスレポート」編集員の博報堂 ストラテジックプラニング局の鈴木美織さんと、アニメファンとクリエイターを繋ぐ”推し活支援サービス”である「YoKIRIN(よきりん)」を運営するキリンホールディングス ヘルスサイエンス事業局 新規事業グループの奥村雄実さんの二人が、「推し活エコノミクスの正体」をテーマにした対談を行った。
いまや市場規模8000億円ともいわれる「推し活」ビジネス。コンテンツを楽しむだけでなく、ファンとしての行動は、ネットでの資金応援など、さまざまな方面に広がっている。しかし、基本は自分が好きな人を応援する活動である。大好きな作者を応援したいという気持ちは、今も昔も変わらない。
自分が感動した作品をぜひ多くの人に知ってもらいたい、素晴らしい作者を世に広めたいと願うのは、江戸時代の家老も同じだった。推し活が高じて、尊い推しの本「戯作者考補遺」「国字小説通」を著したお殿様がいた。木村黙老(もくろう、本名亘わたる:別号は烏有山人1774~1856年)である。
江戸の推し活家老は財政再建を果たした経済人
木村黙老は江戸時代後期の高松藩家老である。幼い頃から天才と評判で、若くして江戸詰め家老として藩と幕府の懸け橋となって活躍していた。黙老の名を高めたのは高松藩の財政再建である。坂出塩田を開拓して塩の生産をスタートさせ、赤字だった高松藩の財政を一気に立て直した、実力派の経済人だった。
黙老は一流の経済人でありながら、自らも一流の文化人でもあった。絵を描き、詩を残し、芝居や小説に耽溺して、歌舞伎役者や戯作者とも交流を深めた。特に当時南総里見八犬伝で有名になった曲亭(滝沢)馬琴とは大の仲良しとなり、馬琴は黙老を「三親友」の一人と称している。
曲亭馬琴は黙老が来ると、新しい作品の構想を話したり、小説の書き方について討論したほか、たくさんの本を貸し借りした。黙老が讃岐高松に帰る時は、途中の和歌山に隠居していた殿村篠斎を紹介し、「木村黙老という、書籍をことのほか好む人をヨロシク」と紹介状に書いてくれた。
黙老はそんな馬琴が大好きで、作品について深掘りし、いろいろな人に紹介した。さらには「戯作者考補遺」をまとめて、たくさんのページを費やして馬琴について書き残した。その上、自ら筆を執って作者の姿を絵に描いたのである。幸せな推し活である。
江戸のユニークな推し本
木村黙老の推し本「戯作者考補遺」は江戸時代に活躍したたくさんの戯作者を紹介している。作品そのものに言及しているほか、作者の人物像についても書かれている。曲亭馬琴など特に好きな作家については、黙老がその姿を描いた。
黙老の慧眼が表れた人物像は、芝全交(司馬交:1750~1793年)に良く表れている。その姿は上を向いて大笑いしている。芝の作品は黄表紙と呼ばれる江戸の滑稽本で、庶民の日常生活を笑いと共に描いており、芝は執筆しながら自分も笑っている。そんな芝の姿を、黙老はとても好感をもって描いているのが伝わってくる。
「戯作者考補遺」は木村黙老が好きだった作品について、心を込めて書き残した。家老として忙しい合間を縫ってでも、描き、残したかったという熱意が伝わる江戸の「推し活本」である。明治政府は江戸の滑稽本などの発刊を嫌い、曲亭馬琴の名も、「滝沢」馬琴と表した。戯作本も多くが失われたが、黙老が推し本を残してくれたおかげで、私達は江戸時代の作品について知ることができる。その歴史的価値は高い。
今に残る黙老の「推し」の絵
2025年の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)」では平賀源内(1728~1780年)が登場するが、江戸家老たちの間でも平賀源内は人気者だった。田沼意次は特に目を掛けており、特命を託すなど可愛がっていた。
平賀源内は、日本で初めて考案された電気機器であるエレキテルの開発で有名だが、他にも燃えない布や万歩計を開発するなど、発明家としてユニークな才能を発揮した。木村黙老は特に平賀源内が書いた浄瑠璃作品に注目した。
戯作者推しの木村黙老は平賀源内の作品を高く評価し、さらに本草家や鉱山開発者としての平賀源内にも深く共感するようにもなった。平賀源内は晩年、殺傷事件を引き起こすが、その件に関しても黙老は随筆「聞まゝの記」に書き残している。
推しの素晴らしさを伝えるため、黙老は平賀源内の姿も描いた。現在、教科書に掲載されている、キセルを片手にした平賀源内の絵は、黙老が描いたものだ。
黙老の名は忘れられても黙老が描いた「推し」の絵は永遠に残され、その人物の魅力を余すことなく伝えてくれる。江戸の推し活が私達に残してくれた文化遺産である。大好きを貫き、大好きを絵に残してくれた木村黙老。自由闊達に書き表した「戯作者考補遺」は、令和の今でも色あせない「推し」の尊さを伝えている。
明治政府以降、私達は江戸時代の立派な家老について知ることが少なくなってしまったが、木村黙老の名は、経済人・文人かつ「推しの殿様」としても記憶に残しておきたい。
文/柿川鮎子