客観的であると信じ込む「ナイーブリアリズム」とは
研究チームは今回の研究からひとつ良いニュースがあったと述べており、それはA、Bの両グループの中で少ないながらも、後になってもう一方の側の主張を読んだ者もいたことだ。そうした参加者は、すべての情報を知った後に、自分の見解を変え得る可能性を否定しなかったという。
今回の研究結果は、「ナイーブリアリズム(naive realism)」と呼ばれる心理バイアスを補完するものであるという。
ナイーブリアリズムは、我々の現実認識は客観的であると信じ込む自己中心的な偏見である。そこには自分の見解とは異なる他者の見解は“あり得ない”と即座に否定する基本姿勢がある。
しかしこれは単なる情報不足に起因している側面もあり、じゅうぶんな情報が提示された場合、人々が同じ見解を共有する可能性があることもまた示されている。つまりじゅうぶんな情報の提供によって、自分の意思決定に対する自信が弱まるのである。
自信満々にからあげにレモン汁を振りかけていた者も、将来的にその自信が揺らぐこともあるのだろう。一説ではからあげにレモンを“かける派”と”かけない派”はほぼ拮抗しているともいわれている。そしてそもそも世の飲食店が提供するすべてのからあげに必ずレモンが添えられているわけでもない。
少し前に北関東某所の駅前で少し時間を潰す機会があり、近くにあったまさに“昭和然”とした古めかしく渋い喫茶店に入ってホットコーヒーを注文したことがある。
店主と思われる高齢男性がシュガーポットと共にテーブルに置いたコーヒーの皿には、コーヒーフレッシュが並々に入ったステンレス製の小さな容器が当然のように置かれていて、懐かしさと共に複雑な気持ちになったことがあった。
お店のお客の大半はおそらくは常連の高齢の方々で、ここのお客にとってコーヒーに砂糖とミルクを入れるのはある意味で当然のことであることが窺えた。
わざわざ添えてくれたコーヒーフレッシュを無下にするのは忍びないようにも思えたが、ブラック派としては残さざるを得なかった。プラスチック容器に入って封印されているコーヒーフレッシュであれば気兼ねなく放置できたのではあるが。
お店もお客もまさに昭和で時間が止まっているような場所であるだけに、今はコーヒーフレッシュを使わない客がわりといるという“情報不足”からくるナイーブリアリズムが働いているともいえるのだが、マスターも高齢であるしこれから若い客がつくこともあまりなさそうにも思えることから、そのままでいいようにも思えた。
このお店ではランチの時間帯にカレーライスや各種の定食なども提供しているようだが、もしもからあげ定食があるとすればそこにはレモンが添えられているのだろうか。残念ながらそれを確認する機会はたぶんもうなさそうだ。
※研究論文
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0310216
文/仲田しんじ
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