自分にとって当然のことであり、自分は多数派であると確信していても、実はそうでもなかったというケースに出くわすことがあるかもしれない――。
情報が不足しているほうが自信に溢れている!?
居酒屋での飲み会などで大皿に盛られたからあげが提供された際、ある種の“義侠心”からか添えられたレモンを絞って汁を振りまく者の姿は自信に満ち満ちているかもしれない。この自信はどこからくるのだろうか。
新たな研究では、そうしたケースにおけるその自信は情報不足に起因していることが示唆されている。幅広い意見や見解を知らず、限定された情報しか持っていない者ほど、自信を持って意思決定を行なっているというのである。
米ジョンズ・ホプキンス大学、スタンフォード大学、オハイオ州立大学の合同研究チームが今年10月に「Plos One」で発表した研究では、人々は意思決定したり自分の立場を正当化するために必要なすべての情報を持っていると自然に思い込んでいる傾向があることを報告している。
研究者らはこの傾向を「情報十分性の錯覚(illusion of information adequacy)」と呼んでいる。
研究チームによれば、一般的に人々はよりよい決定を下すのに役立つ情報がもっとあるかどうか立ち止まって考えない傾向があり、一見してもっともらしく見える情報がいくつか提供されるだけで、ほとんどの者はその正しさを認めて従ってしまうということだ。
1261人のアメリカ人がオンラインで参加した実験では、参加者は3つのグループに分けられ、水が不足している架空の学校に関する記事を読むことが求められた。
Aグループは、十分な水がある別の学校と合併すべき理由だけを述べた記事を読んだ。
Bグループが読んだ記事は、独立したままでいることの理由と他の解決策を期待することだけが言及されていた。
Cグループ(コントロールグループ)はA、Bのどちらの記事もすべて読んだ。
その後、参加者はそれぞれの見解を述べたのだが、その内容を分析したところ、Aグループ(合併賛成記事のみ)、Bグループ (合併反対記事のみ) は、適切な決定を下すのに十分な情報を持っていると強く信じている著しい傾向が見られたのだ。
A、Bの両グループはすべての情報を持っていなかったにもかかわらず、自分の見解が正しいと強く確信しており、しかも大多数は自分と同じ見解であると思い込んでいるのである。つまり自分の考えは“多数派”であると疑いのない自信を持っていたのだ。
率先してからあげにレモン汁をかける者は、ここにいる皆がそうしてほしいと思い込んでいるからこその、自信に溢れた行為ということになるのだろう。