Web媒体で記事を執筆するライターが、数年単位に渡ってひとつの話題を追いかけるということはあまりないはずだ。
しかし、筆者澤田真一はそのような話題を抱えている。「マーティの腕時計」だ。
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(以下BTTF)の主人公マーティ・マクフライがつけているカシオ・カリキュレーターシリーズの腕時計は、3,000円程度で購入できる安価なガジェットだが、耐久性は申し分ない。そして、筆者は「耐久性は申し分ない」と言い切れるだけの根拠を持っている。
バイクのハンドルにこの腕時計を装着し、4年以上そのままにしてあるのだ。
設置から4年経過
筆者のカリキュレーターは『CA-53W-1Z』という型番である。これはBTTFでマイケル・J・フォックスが演じたマーティ・マクフライ愛用の腕時計『CA-50』のマイナーチェンジモデルだ。
まだ新品だったこの腕時計を、筆者の愛車スズキSV400Sのセパレートハンドルに設置したのが2020年8月。@DIMEでこのレビュー記事を配信した直後のことである。
それから3年後の2023年7月、「あれから例の腕時計はどうなったのか?」という内容の記事を配信した。SVを停めている駐輪場は屋根がついているとはいえ、カバーはかけていないから実質「野ざらし」である。これは、カバーをかけて長期間そのままにするよりもこまめに乗ったほうがマシンのためになるという筆者のポリシーによるもの。そういう意味で、筆者はSVをスーパーカブのように使っているという自負がある。
しかし、セパハンのカリキュレーターにとっては過酷な環境に違いない。
ベルトはカビだらけだが……
野ざらし開始から4年、最も心配なのはウレタン製のベルトである。正直、無精がたたっているせいでセパハンの裏側に回っている部分はカビが生えている。うへぇ、汚い!
これは劣化が進んでもはや切れる寸前……かと思いきや、手で触れてみるとまだまだ使えそうだぞ!? ほっ、本当に大丈夫かっ!?
時刻のズレにも注目する必要がある。実はこのカリキュレーター、4年間一度も時刻の修正をしていなければ、電池交換もしていない。にもかかわらず、僅か1分30秒程度のズレが生じているのみで、今も元気に稼働している!
この堅牢さ、確実性は21世紀のガジェットにはなかなかない要素ではないか?
CA-53W-1Zの欠点をひとつ挙げれば、文字盤にバックライトがない点である。従って、夜間は数字を確認することが難しい。しかし、日中はまだしも夜間バイクを運転している最中に腕時計を見るなど、そもそも危険な行為である。このあたりはきっぱり「そういうものだ」と割り切ることができる。
ついにベルトが!
というわけで、今回の記事はこれで書き終えた。あとは編集部に入稿するだけ……と思ったところで、大事件が発生。
何と、カリキュレーターのベルトが千切れてしまったではないか!
少し手で触れただけでは、具体的な劣化具合を察知できなかったようだ。いやー、見事なまでにボロボロに!それにしても、よく4年も持ったよなぁ。大したもんだよ。
だが、ダメになったのはあくまでもベルトのみ。上述の通り、本体部分はまったく問題ない。つまり、ベルトさえ交換すればまだまだ使えるのだ。
若者のための腕時計
それにしても、80年代のガジェットとはなぜここまで堅牢性に極振りしているのか……と思うことがしばしばある。
実際、80年代の若者は日本メーカーのガジェットが持つ耐久力に関心と憧れの目を向けていた。
この時代より前の腕時計とは、戦場で兵士が身につける場合は例外として、平和な環境で暮らしを営む民間人にとっては「フォーマルな場で身につける装飾品」だった。若者が遊びの場へ赴くための腕時計というものは、あまりなかった。安価にもかかわらず荒っぽい使い方にも耐えることができるカシオのカリキュレーターシリーズは、当時の若者のニーズにピッタリ適合していたのだ。
BTTFにも、そうしたことがはっきりと描写されている。
若者文化が文明を再構築した!
マーティはタイムマシンに改造したデロリアンに乗って1955年にタイムスリップするが、この時代は「若者に特化した文化」というものがまだなかった。いや、若者独自の文化が白眼視されていたと表現するべきか。
マーロン・ブランド主演の映画『乱暴者(あばれもの)』の公開が1953年、ジェームズ・ディーン主演の『理由なき反抗』の公開がちょうど1955年だが、ジーンズにブーツ、革ジャン、ポンパドールの髪型は大人たちからは「不良の象徴」と見なされていたのだ。
それから30年を経て、若者が自発的に発信する文化(と、それを形成するための活動)は市民権を確立した。80年代になると、大人の意向に縛られないティーンエイジャー独自の文化創生は「異常現象」ではなく「自然現象」と思われるようになった。BTTFに登場する高校教師ストリックランド先生のように、若者文化に目くじらを立てる大人は「頭の固いおじさん」と陰口を叩かれてしまう。それは大きなジェネレーションギャップももたらしたが、文明に対して豊かな多様性を付け加えることに成功した。
80年代、自由を求める若者の列の先頭にカシオのカリキュレーターシリーズが陣取っていた。そのような時代があったのだ。
そして2024年の今も、マーティの腕時計は多くのファンから愛され、彼らの暮らしを支えている。
文/澤田真一