“他人の目”が必要な自意識過剰の“落し穴”
美容やファッションに前向きに取り組むことは社会的にも褒められることになりそうなのだが、そこには潜在的な“落し穴”もありそうだ。
1つの実験では参加者に対し、自然保護団体への寄付は匿名で行なわれると説明したのだが、この設定において自己の魅力を高めたグループの寄付行為は減り、コントロールグループと同じ寄付率になったのである。
つまり“イケてる”ことを自認する者の気前の良さは“他人の目”がある状況でのみ発揮されるということになる。誰かが見ているからこそ気前良く振る舞えているのだ。
外見の向上に取り組んでいるということは、多くの場合はやはりそれなりに“他人の目”が気になっているということでもあり、この“他人の目”がない状況では言動が変わり得るとすればちょっとした“腹黒さ”を感じてしまうかもしれない。
駅前などでは折に触れて各種の募金が呼びかけられていたりするのだが、その中でも“赤い羽根”の募金は寄付した者はその日1日、胸元の羽が“他人の目”に晒されることになり、その意味では、気前の良さを披瀝することができるため、“イケてる”人々にとってはほかの募金よりも強く動機づけられても不思議ではない。
外見に気を配ることで向社会的になることは社会的にも望ましいことかもしれないが、“他人の目”を気にして過ぎて自意識過剰になってしまう愚は避けたいものだ。
他者が自分の行動をどう見ているのかと、自分が他者にどう見られているいるのかとの間のギャップのことは、一説では「誇張された意味合い効果(Overblown Implications Effect)」と呼ばれている。
人は良い方向にも悪い方向にも、自分の行動の影響を過大評価する傾向があり、その結果、過剰な自信を持ちすぎたり、過度の不安に襲われたりと情緒の振れ幅が広がり、メンタルへ悪影響が及ぶリスクがある。
「誇張された意味合い効果」を回避するには、とにもかくにも“他人の目”を気にし過ぎないことで、自分が思っているよりも自分は注目されてはいないという単純な“事実”を受け入れることに尽きる。
その意味では美容やファッションへの取り組みはある程度“自己満足”でもいいといえるのだろう。人目を過度に気にすることなくこれからの“ファッションの秋”を楽しみたいものである。
※研究論文
https://link.springer.com/article/10.1007/s11002-024-09735-5
※参考記事
https://www.psypost.org/does-feeling-attractive-make-us-more-generous/
文/仲田しんじ