シャワーの最中や、コーヒーや紅茶などを準備している最中など、気分が良ければ自然に鼻歌が出てくることもあるだろう。思いがけず他人に歌を聞かれてしまったら恥ずかしい思いをするかもしれないが、そんな恥じらいは無用のようだ。あなたが口ずさんでいたその鼻歌は、なかなか立派な歌いっぷりなのだ――。
約7割の鼻歌は見事な歌いっぷり
どういうわけか脳内で同じ楽曲が延々と再生されてしまうケースがあり、その現象は「脳内ループ」とも呼ばれているが、英語ではこの現象を「イヤーワーム(耳の虫)」と呼んでいる。もし周囲に人がいなければ、この脳内でループする楽曲を何気なく口ずさんでしまうこともあるだろう。そしてこのイヤーワームは興味深い科学研究の対象になるかもしれない。
米カリフォルニア大学サンタクルーズ校の研究チームが2024年8月に「Attention, Perception, & Psychophysics」で発表した研究では、この謎が多いイヤーワームを探究している。
30人の実験参加者は、1週間にわたってイヤーワーム現象が起きた時にその曲を口ずさんだ鼻歌をスマホに録音することを求められた。
提出された音源はそれぞれのオリジナル楽曲と比較されたのだが、驚くべきことに、参加者の鼻歌のリズムやピッチなどの音程は、元の楽曲とほぼ完全に一致していることがわかったのだ。
具体的には、録音された鼻歌の44.7%は元楽曲とのピッチ誤差が半音0で、68.9%が半音1以内に収まっていたのである。約7割の鼻歌はなかなか見事な歌いっぷりであったのだ。
この研究結果から、研究チームは“絶対音感”を持つ者は考えられている以上に多く、優れた音感は人間の基礎能力ではないかと指摘している。我々は生まれながらにして優秀な歌手でありミュージシャンであるのかもしれない。
イヤーワームは無意識に起こる音楽記憶体験の一種であるが、今回の研究でイヤーワームにはある楽曲を意識的に思い出すのと変わらぬ正確な音程記憶があることが明らかになった。ということは音に関する記憶は無意識に任せてしまってもいいのかもしれない。
研究チームは真の“絶対音感”とは、基準音なしの最初の試みで特定の音を正確に発音または識別する能力であると定義している。その能力を持つ人はこれまで1万人に1人未満といわれており、そのリストにはたとえばベートーベン、エラ・フィッツジェラルド、マライア・キャリーなどの有名なミュージシャンが名を連ねている。しか今回の研究では、絶対音感に近い正確な音程記憶ははるかに一般的であることが示唆されることになったのだ。
ちなみに実験に参加して鼻歌を録音した者は誰一人ミュージシャンではなく、特に自分に歌の才能があるとは考えてはいない人々であったが、その多くは立派な歌唱力を発揮していたのである。
カラオケなどで人前で上手く歌おうとして画面の歌詞を目で追いながら思わず力んでしまい苦労するケースがあるかもしれないが、アカペラでも歌える曲をリラックスして口にすればたいてい上手くいきそうなことが、サイエンスの側からも示されることになった。人前で歌う機会がある時は、気楽に鼻歌を歌う気分で臨んでみてもよいのだろう。
“懐メロ”のポジティブな影響
鼻歌で口ずさむような曲は、ひと昔前なら同時代のヒットソングが多かったかもしれないが、現在は広く社会現象となるような流行歌はなかなか生まれにくい状況にある。映画やドラマの主題歌やテレビのCMソングからヒット曲が生まれるというビジネススキームも今ではあまり機能していないのだろう。
とすれば鼻歌に出てくる曲はやはり、自分にとっての懐かしのメロディーである“懐メロ”ということになるだろうか。特に思春期の多感な時期によく聴いていた曲は「脳内ループ」にもなりやすそうだ。
思春期や青春時代によく聴いた曲がよく思い出されるという傾向は、レミニセンスバンプ (reminiscence bump)としても知られている。
レミニセンスバンプは思春期や成人初期(10代と20代)に起こった出来事を、人生のほかの時期よりもよく思い出す傾向のことで、特に後年になってから顕著になるといわれている。
10代から20代によく聴いた楽曲は記憶に深く刻まれており、何かの機会で聴いた時にその時期の記憶がありありと呼び起こされることもある。特に高齢者にとってそうした“懐メロ”によって呼び起こされるノスタルジーは、若々しさや自信を取り戻す感覚をもたらすことがこれまでの心理学研究からも示唆されている。
何気なく入った飲食店のBGMが自分にとっての“懐メロ”であったりすることが個人的にもわりとよくあるのだが、若いお客や従業員さん、ましてや外国人店員さんにはまったく理解不能なのだろうと戸惑いつつも、決して悪い気はしないし、軽いノスタルジーを味わい気分が落ち着くことも確かだ。
ノスタルジーに浸ることは逃避的な行動ではあるものの、一時的な安らぎをもたらしてくれることが研究でも確かめられている。何かと忙しい日常の中で耳にした“懐メロ”が引き起こす郷愁に少しの間、没入してみればメンタルに好影響をもたらすだろう。そしてその時、状況が許せば自然に鼻歌が出てきてしまうかもしれない。
決して人に聞かせるわけではないその鼻歌だが、心地良さに浸って口ずさんでいるだけに、けっこう聞かせる歌いっぷりであっても何ら不思議はなさそうだ。
※研究論文
https://link.springer.com/article/10.3758/s13414-024-02936-0
※参考記事
https://news.ucsc.edu/2024/08/earworms-music-memory-perfect-pitch.html
文/仲田しんじ