過酷な環境に晒されているビジネスパーソンの悩みは深い。だが、日々の課題の中にこそ人生を豊かにするためのヒントが詰まっている。異色の経歴を持つVTuberが、今回は悩める若者からのお悩みに答えます!
頑張りすぎへの処方箋
どうしても頑張りすぎてしまいます。一生懸命仕事しようとすると、週の半ばにはヘロヘロです。上司からも「もっと力を抜いたほうがいい仕事ができる」といわれる始末。でも、どうしてもうまく力が抜けません。
【結論】頑張っている姿を見せることを頑張っているから疲れてしまうのでは?
そもそも、頑張り屋さんは良いことなのだろうか?
最初にお伝えしたいのは、アナタのように頑張りすぎてしまってしんどくなっている状況の人は意外と多いので、自分だけの問題として深刻に受け止めすぎなくても大丈夫です。みんな同じような悩みを抱えているんだな〜くらいに肩の力を抜いて、この回答を読んでいただければと思います。
さて、ここで少し話を脱線させます。
なぜ「人は頑張るのか」という単純な問いを深く考えてみると「頑張った先にある最高の結果を生み出すため」という回答が頭に浮かぶと思います。つまり「頑張る」という行為は「結果を出すため」の手段でしかないわけです。
しかし、少し考えれば誰でもわかる話なのに、頑張っている姿を周囲に見せるために頑張ろうとする人が稀に存在します。周囲から見ると、真面目で、頑張り屋さんで、非常に優れた労働者に見えるでしょう。しかし、悲しいことに、このような人は目線を変更することではなく、頑張る方法や頑張っている姿の見せ方を変えるので当然結果は変わらず……やがて頑張る自分に固執していき、周囲からの評価は「頑張っているけど結果が出ない人=使えない人」になってしまい、「どうして俺は評価されないのか」と周囲を恨むようになるかも……。
まぁ、この例は極端な例ですが、このような人たちは悪気があるわけではなく、責任感が強い一方で自己肯定感が低い人であることが多いです。言葉を丸くすると、頑張りすぎてしまう人は他人に評価されたり、褒められたい願望が強いため、人より頑張ろうとします。中には、自身のコンプレックスを払拭するために、頑張りすぎてしまう人も。
頑張るなとは言いませんが、少なくとも頑張ることに主眼を置いて力を入れすぎるのは間違いだと思います。繰り返しますが、「頑張る」という行為は「結果を出す過程」以上の意味はありません。「もしかしたら自分は他人に頑張りを認めてもらいたいがために努力してしまっていないか?」と自問自答してみてください。もしそうだった場合は、ぜひ目指す先の目線を変えてほしいと思います。