金融経済アルキ帖「世界恐慌によって明暗が分かれる国の条件」
世界経済を振り返れば、これまで世界恐慌などの不況が度々やってきました。
そこには経済危機を乗り越えた国と乗り越えられなかった国がありますが、その要因について解説した資料はほとんどありません。
そこで今回の金融経済アルキ帖は「世界恐慌によって明暗が分かれる国の条件」について、過去の歴史を辿りながら解説していきたいと思います。
植民地を持つ国と持たない国
今から100年ほど前の1929年10月、ニューヨーク証券取引所での株価の暴落が引き金となり、世界恐慌がやってきました。これは欧米を中心に当時の列強諸国が全て巻き込まれたので、その後の第二次世界大戦の勃発に少なからず影響を与えていると言います。
この恐慌下、アメリカは国内の公共事業を拡大することで内需の活性化を促し、かろうじて大恐慌から持ち直しています。その後、軍需産業が拡大したことで米国は復活していったのです。
ところが、同時期の欧州は国によって明暗が分かれていきます。
その最大の理由は「植民地」にあります。
たとえば「植民地を持つ国」であるイギリスやフランスは、植民地を含めた経済ブロックを築くことで、インフレを可能な限り抑制することを可能としました。
その一方、「植民地を持たない国」であるドイツやイタリア、日本は植民地の獲得競争が遅れており、植民地があっても本国から離れて分散しているなど、強固なブロック経済を築くことができせんでした。
もちろん現在の感覚では植民地自体に問題がありますが、当時の世界情勢はこうした現実があったのです。
植民地を持たない国の行方
歴史を紐解けば、植民地を持たない(少ない)国は解決策のために、植民地を持つ列強から植民地を奪うか、植民地化されていない国を植民地にするために戦争をしたことが分かります。
当時の日本は台湾や朝鮮半島を植民地にしていたものの、それだけではブロック経済を築くことはできませんでした。こうした背景があり、日本は蒋介石(1887-1975)が君臨する中華民国統治下の万里の長城以南に進軍することへ繋がっていきます。同時期、ドイツはナチスの統治下にあり、オーストリアとチェコを併合しました。隣国イタリアはアフリカのリビアやエチオピアだけでなく、ギリシアにも進軍をしています。
こうして植民地を巡る立場の違いが、経済圏をめぐる違いを生み、戦争へと向かわせたとも言えるのです。