ウガンダ選手団共同団長に指名されて
アフリカを一般化することは不適当だが、幾度とない侵略や差別を受けてきたアフリカの多くの地域では、西洋の価値観への抵抗感が現代も様々な形で存在している。これを恐らく、白人の子どもとしてウガンダで生まれ育ったノーブル選手自身も長年体感してきたであろうことは想像に容易い。ウガンダとアイルランド、2つの国籍を持つノーブル選手はウガンダではウガンダ人とは見なされなかったが、とは言え、アイルランドにいる際に誰かに出身地を尋ねられると「ウガンダ」と答えていたと回想している。
五輪の代表選手でありながら、国民からは「外人」を意味する「Muzungu」(ウガンダを含むアフリカ地域で広く使われる言葉)と呼ばれるに過ぎなかった東京大会以降、辛抱強くウガンダ代表としての活動を継続してきた彼女は今日、もう「that Muzungu(あの外人)」ではなくなっている。
当地主要紙によるノーブル選手への注目度合いはチェプテゲイ選手をも凌いでいる
ウガンダ五輪委員会がノーブル選手に共同団長を打診したのは、世間のノーブル選手に対する許容を象徴しているように思う。受諾した同選手はチェプテゲイ選手と肩を並べウガンダ代表団を率いることについて「私にとっても、私の家族にとって大変光栄なこと。永久に忘れることのない出来事」と語っている。
今大会を持って引退する旨決意を固めているノーブル選手の最終レースは現地時間8月2日の午前10:06に予定されている。是非注目いただきたい。
尚、日本勢がこれまでに五輪で獲得した同競技の累計メダル数は依然0となっており(2024年1月時点)、パリ五輪も厳しい闘いに臨むことになる。
文/村中 千廣
2024年よりウガンダ共和国在住。人道支援・開発援助分野でキャリアを構築しながら、赴任先での発見や観光情報を発信するフリーライター。北海道出身、30歳、訳書に『地下鉄で隣に黒人が座ったら』。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」会員