新たなムーブメントと捉えられやすい推し活だが、実は古くから社会や文化と深く根付いている。社会を大きく動かした事件や創作活動の原動力となった〝歴史の中の推し活〟を紹介する。
歴史エッセイスト
堀江宏樹さん
1977年生まれ、大阪府出身。早稲田大学第一文学部卒。日本文藝家協会正会員。史料調査に基づくユーモラスな歴史人物・史実の紹介で幅広いファンを持つ。『こじらせ文学史』(ABCアーク)など著書多数。
推し活とは、パトロンとは似て非なる〝無償の煩悩〟
歴史的文脈からみた〝推し活〟とは何か。例えば、推し活を〝金銭を含む第三者への支援活動〟として考えた時にまず思い浮かぶのが、ルネサンス期のメディチ家などの芸術家たちを、当時の大富豪が経済的に支援した〝パトロン〟の存在だろう。現在でも異性などへの経済的援助を行ない生活の面倒をみる人を俗に〝パトロン〟と称することがあるので、何となく意味は知っているという人も少なくないのではないか。古今東西の歴史人物のエピソード蒐集をライフワークにしている歴史エッセイストの堀江宏樹氏が解説する。
「メディチ家などのパトロン活動は、芸術家に金を出して自分のために働かせることで、自らの権威性や正統性を世間に示すことが真の目的でした。出資によって名声などの対価を得ている点では、投資活動に近いものとも言えます」
推し活も、推しに金や労力を際限なく注ぐのを良しとする側面があることを考えると、両者は似ているように思える。
しかし、堀江氏は「パトロン活動と推し活を同一視するのは難しい」という。
「今の推し活文化の特徴について私なりに考えると、パトロン活動のように推しから具体的な対価を求めて日々の推し活に励んでいるわけではないように思います。〝推しに活躍してもらいたい〟といった私欲を満たすことに重きを置いている人が多いのではないか」(堀江氏)
つまり、推しから見返りを求めるか否かが、旧来のパトロン活動と現代の推し活の大きな違いにあたるということだ。
パトロン活動との比較でみえてきた推し活の本質的側面を堀江氏はこう説く。
「自分がお金や様々な労力を使うことで推しを輝かせたいという〝無償の煩悩〟こそが、歴史的文脈からみた推し活の本質なのかもしれません」
次ページに、堀江氏のいう〝無償の煩悩〟が世界を動かしたケースを記載した。推しが人を動かす力があることは、歴史が証明しているのかもしれない。
銀行業などで財をなし、ルネサンス期の芸術家たちの「最大のパトロン」としてイタリアのフィレンツェに君臨したメディチ家の別荘。
平安時代からあった〝推し〟表現……「推して参る」が源流だった?
現存する史料をあたる限り、日本語における〝推し〟の起源は、少なくとも平安時代まで遡ることができる。
「もともと〝推す〟は、〝だれそれを適任だと推挙する〟という意味の古語としても存在しています。平安中期成立の日本最古の長編物語『うつほ物語』には、源実忠という人物の昇進人事にあたって、当時の重要ポストである中納言に叔父から推挙される場面が〝新中納言推したまふ〟と表現されています」
さらに堀江氏は「今の推し活により近い語源は、〝自ら推挙して押しかける〟という意味の推参、つまり〝推して参る〟にあるのでないか」と推察する。
「『平家物語』では、平清盛に追い返された祇女(遊女)が、〝あそび者の推参は常習でこそ候へ(=押しかけ営業は遊女にはよくあることだ)〟と言っています。自発的に勝手にプッシュして行くという意味での用例が現代的な意味の〝推し〟の源流にあたるのではないか」
悠久の時をこえて今も息づくのが〝推し〟という言葉なのだ。