3年前、優勝候補と言われながらも涙を呑んだクライマー・楢﨑智亜。彼は再度、五輪の切符をその手に掴み取った。2度目の五輪に向けた〝覚悟〟を口にする──。
スポーツクライマー
楢﨑智亜(ならさき ともあ)
1996年6月22日生まれ(28歳)、栃木県出身。2016年、世界選手権で日本人初の優勝を果たす。しなやかさや身体能力を生かしたダイナミックな登りをすることから「ニンジャ」の異名を持つ。
試合後にホテルでボロ泣きをした東京五輪の苦い思い出
パリ五輪を目前に控え、楢﨑智亜は東京五輪当時のことを振り返る。
──〝あの日〟のことは、全くいい思い出ではないですね
スポーツクライミングは2021年の東京五輪で初めて採用された。同大会ではボルダリング(※1)・リード・スピードの3種目の「複合」種目として行なわれた。
楢﨑は日本代表として出場し、決勝に進出するも結果は〝4位〟。惜しくも表彰台にあと一歩届かなかった。
2016年と2019年の世界選手権で優勝を果たし、国内大会でも数々の好成績を残している彼は金メダルの最有力候補とまで言われていただけに、誰よりも彼自身が一番ショックを受けたという。
「スポーツクライミングにとって初めてのオリンピック、そして日本での開催です。ここで僕が成功するかどうかが、クライミング界の今後に関わるかもしれないというプレッシャーがありました。
だからこそ4位で競技が終わってしまった後、悔しさとサポートしてくれた人たちに申し訳ないという気持ちで誰とも顔を合わせることができませんでした。ホテルに帰ってから一人泣き崩れてしまって、決勝が終わってからのことはほとんど記憶にありません。
当時、代表に内定してから、僕はずっとみんなの期待を背負いながら勝てる選手になりたかった。でも、気持ちの強さが足りていなかったと改めて思います」
パリ五輪ではスポーツクライミングは「ボルダー&リード」と「スピード」の2種目に分かれて行われる(※2)。
楢﨑はパリ五輪では「ボルダー&リード」種目で日本代表の座を掴み取り、2度目のオリンピックに挑む。
「東京で手にできなかった〝結果〟はパリで挽回をするつもりでこの3年間を過ごしてきました。
国内外の大会に出場をしていく中で気付いたのは『自分のために戦う』というスタイルが一番実力を発揮できるということでした。
10歳でクライミングを始めてから、僕はずっと自分のために登っていました。クライミングが楽しくて、課題に挑むことがワクワクするからずっとこの競技を続けてきたんです。
今回、パリではその原点に立ち帰って戦うつもりです」
楢﨑はスピード種目も得意としていた選手でもある。彼が生み出した「トモアスキップ」と呼ばれる技は多くのスピード選手が採用しているほどだ。
パリ五輪ではスピードが分かれ、複合がボルダーとリードになったことで彼は「勝ちづらくなった」と口にする。
「だからこそ今回、僕は〝挑む立場〟のつもりです。この3年間積み重ねてきたものが、どうなるのか自分でも楽しみにしています」
※1 「ボルダリング」の名称はIFSC(国際スポーツクライミング連盟)の使用名称に合わせる形で国内でも2023年4月から「ボルダー」に統一された。
※2 「ボルダー&リード」はボルダー競技とリード競技の複合種目。ボルダーは4〜5mの低い壁に4つの課題が用意され主に課題のクリア数に応じてポイントが加算、リードはロープをつけ12m以上の壁を登り高度に応じてポイントが加算され、総合得点で順位が決まる。「スピード」は決まったコースを登る速さを競う。