「人々の暮らしを、テクノロジーで豊かにする」をミッションに、2020年に住宅関連メーカーやIT企業などの企業が業界横断で集まり、業界の垣根を超えてユーザーのより良い暮らしを実現すべく設立された一般社団法人LIVING TECH協会。『LIVING TECHカンファレンス』は、協会設立前の2017年から開催されているイベントでユーザー視点、社会課題の解決、スタートアップの視点を盛り込み、1つのテーマを異業種のパネリストが多角的に議論するスタイルが人気となっている。
第6回となる今回は、「業界横断の共創でつくる、環境にも人にもやさしい、well-beingな暮らし」をテーマに、日比谷三井タワーからリアルとオンラインのハイブリッドで開催された。ここでは『リビングテックがキャズムを越えるには?家事・整理収納と向き合うプロと探る、家族のニーズを満たすヒント』についてリポートする。
パネリスト&モデレーター(右から順に)
飯塚真希さん
ベネッセコーポレーション「サンキュ!」事業部 ビジネスプロデュース課 クリエイティブ・ディレクター
<パネリスト>青山順子さん
bittersweet home代表/整理収納アドバイザー
<モデレーター>永井真理子さん
くらしちゃん プロデューサー/Bynds 代表取締役
<パネリスト>村山龍太郎さん
プリファードロボティクス プロダクトマネージャー。人の指示通りに自動で動く自律搬送ロボット「kachaka(カチャカ)」を手掛ける「プリファードロボティクス」にてプロダクトマネジャー、商品企画を担当。
そもそもなぜキャズムは発生する?
「キャズム」とは、深い溝、超えられない壁などと言われ、ユーザーに新しい商品やサービスを浸透させる際に発生する大きな障害を指す。スマート家電の分野では、便利だとわかっていても使わない、または使いこなせない、ユーザーとメーカーのギャップをキャズムと表現することもある。キャズムはなぜ発生するか、パネリストが出したキーワードが以下だ。
「スペックを聞きたがる男性に対し、女性は『生活の何を楽にしてくれるの?』と具体例をいくつも挙げて、その中で納得することが無ければ、どんなに高性能な良い商品でも購入には至りません」(青山さん)
「子どもが飲み物をこぼして拭かなければという時にスペックを考えるヒマはありません。日々の生活の目の前にある課題を解決しなくてはいけない立場にあると、言葉を聞いて機能の詳細を把握することが必要になります。
メーカーは全体を俯瞰して製品開発すると思うので、スペックで入っていくと、生活の中で使いたい人たちの考え方と、メーカー側の考え方に差が生まれてきてしまうのではないかと感じています」(飯塚さん)
「ロボットの企画開発には女性がほとんどいないため、女性の声は、なかなか私たちの耳に入ってないっていうのが正直なところです。
カチャカのユーザーは名前を付けている方も多いですが、もともと名付け機能は優先度が高くない機能でした。声が出る機能が欲しいという要望など、男性ばかりのエンジニア集団だとなかなか出てこない意見も多い。メーカーと女性ユーザーとの距離が遠いのが困り事です」(村山さん)
高機能=家事が楽になるとメーカー側は考えるが、良かれと思って開発したハイスペックな家電ほど家事は楽にならないと永井さんは指摘。
オーブンレンジの多すぎる機能、作らないものが多いレシピ集など無駄だと感じる女性が多く、求めるのは日常の食事の支度を効率化ができることだと女性陣から意見が。
本当の悩みは“名もなき家事”
物を運ぶシンプルなロボットのカチャカが提供する価値は、洗濯や掃除、食事の支度といった名前のついている家事ではなく、日常よくあるが“名前のついていない家事”をサポートすることだという。
「物がどこにあるか家族がわからず、把握している人が物を取りに行く、こうした作業は家事として認識されていませんが、日々の生活ではこうした“ちりつも”なことが実は困り事でありストレスに感じている方も多いです。
三種の神器も、名前のついた家事を解決するからこそ分かりやすく価値を提供しており、我々の商品はこうした名もない家事を解決するにも関わらず、なかなかみなさんの課題感とマッチしていかない、認識しづらいということを日々感じています」(村山さん)
「スマート家電の使いこなし法を読者から募集した時に『自分が言いたくないことを言わせる』っていうのがありました。毎回夫にゴミを出してと言うことにイラッとしていたので、決まった曜日に言ってくれる、お皿を洗うタイミングでお知らせしてくれるなどスマートスピーカーが代弁してくれると助かると。
名前のついた家事を解決する手法はたくさんありますが、指示をするとか共有するとか、微妙なところをスマート家電でやってくれたらとてもいいと思います」(飯塚さん)
「不便」への鈍感さ
読者からの困り事や不満の声を多く聞いている飯塚さんは、今までこなしてきた家事は実はやらなくてもいいという発想に至らず、手間を省きたいと考えるよりも、目の前にある作業を機械的にこなしている人が多いと話す。
「数年前にトイレマットをなくそうという運動が誌面で盛り上がったことがありました。トイレは床を拭かなきゃいけないし、マットも洗わなきゃいけない。しかも他の洗濯物とはで別に洗いたいため手間がかかる。これを当たり前のようにやっていた。
でもマットをなくても床を拭けばいいと気づいた人がいて、そこで初めて面倒だったとみなが気づきムーブメントが起こりました。面倒だ、嫌だとは自分では言いづらい、そこに隠れた家事の手間が潜んでいると感じます」(飯塚さん)
「便利だと思って買ったけどセットアップが面倒で、箱さえ開けていない状態で相談されることもあります。メーカーさんは簡単だと言いますが、そういう現状があることをメーカーさんは知る機会がないのではないかなと感じています」(青山さん)
「今は環境が変わっているとは思いますが、2019年に初めてスマート家電の特集をやった時、『私に使いこなせる自信がない』『これに頼ってしまうと人間がダメになってしまうのでは?』という何かを怖れている反応がありました。分からないものを怖いと思うハードルに対しては仕掛けが要ると実感したことがあります」(飯塚さん)
「困り事」はなにか考えよう
キャズムが発生するキーワードを紐解いていくと、ユーザーの課題をメーカーが課題として認知してないことがそもそもの原点だと浮き彫りになった。キャズムの解決の前提として、生活の中で何が困り事かを知るために、パネリスト各自が以下のような実例を挙げた。
子どもがいる家庭での困り事は、毎日学校から持って帰ってくるプリント類。青山さんは2015年より書類や写真の片づけにPFUのスキャナー「ScanSnap」を使用した片付け方法を推奨している。紙で保存する必要があるものは紙で収納してファイリング、紙で保存しなくても良いものはスキャンしてデータ化することで、3分の1まで減らすことができるという。
「3者面談で会場となる教室など、直前に確認する細かな情報はスマートフォンのリマインダーを活用すると、タップひとつでわかりやすくすぐ確認できます。
また、片付けが苦手な方は、カテゴリーとか分類するのが苦手という場合もありますので、在庫の管理をスマート家電にやってもらうとすごく助かると思っています。
例えば冷蔵庫やクローゼットの中に何が入っているか在庫がわかれば、買い過ぎも防げますし、適正量を家電にサポートしてもらうと増え過ぎ防止にいいのではと思います」(青山さん)
「家事はやるよりも考えさせない方がありがたい。片付けもどこに何を置くべきかという判断が実は一番のキーポイントで、『ここに置くのがみんなにとって一番便利』ということを総合的に見て判断するのが、一番エネルギーを使う仕事ではないかと思います。エネルギーを使う部分をスマート家電が代替してくれるならうれしいのですが」(飯塚さん)
「最近はChatGPTのような生成AI技術が席巻していますが、カチャカもChatGPTのような機能を搭載して、ユーザーとコミュニケーションして、いろいろなことを覚えてサポートすることができるようになっています。例えばこの棚には爪切りを置いたよ、この棚には子どもの道具を置いているよと覚えさせれば、定型のボイスコマンドでなくても、『いつも使っているアレを持ってきて』と言うだけで、ある程度理解をして持ってくることができるようになっています。
人に考えさせるのではなくて、あれとかこれ、この間のやつみたいな、阿吽の呼吸で動く世界が、今後家電メーカー側からは出てくるようになると思います。今のみなさんの困り事は新しい技術がちょっとずつ解決し始めています」(村山さん)
キャズムを超えるには足し算より引き算
「“高機能≠家事が楽になるわけではない”に通じていますが、整理収納アドバイザーは物を減らすだけではなく、詰め替えるとか、兼用できるものを探すとか、少しずつ引き算をしていくことを大事にしています」(青山さん)
「テックではないですが、4~5年前、まだ今のように新NISAとかインフレが騒がれていないとき、FPの方が投資を提唱してくださり、誌面で取り上げたことがありました。
投資は怖いと実践する方が少なかった時代です。毎月3000円の投資信託から始めてみようと提案すると非常に大きな反響を呼びました。
ファーストステップを低くするため、どの投資を選んだら分からないと迷う方にまずは積み立ての投資信託と決めてあげる。必要な貯蓄を確保してから余剰金で投資と言われても、うちにとって余剰金っていくらなの?と考える方に、3000円ですと決めてあげる。決めて出したことがすごく取り掛かりやすかったのです。
スマート家電もたくさん機能を搭載して世に出ていますが、ここから試してみようという何かをひとつ決めてあげると取り掛かりやすく、キャズムを超えるための小さな一歩になるのかなと思います」(飯塚さん)
「足し算になると今までより負荷が高くなるとか、勝手にプレッシャーを感じやすくなりますが、引き算にしてあげると、がんばらなくてもいいので始められるかもと、その先にある高いハードルを超えられる精神的な余力が出て、次の一歩につながるのかもしれませんね」(永井さん)
当たり前のように日常に存在するスマート家電やロボットが出てきてほしい
もっと日常が楽になったり、暮らしが豊かになったりするなら、スマート家電や家事ロボットが欲しいと思っている人も多い。
この家電やロボットには何ができるのかシンプルに提示し、簡単ですぐに使えるもの、日常の目に見えない困り事にも対応できるスマート家電が欲しいとユーザー考えている。対するメーカー側はそうしたユーザーの声の斜め上を行くような、機能性を前面に押し出しており、日常でどう使われるのかまで想像が及んでいない。この両者のギャップがキャズムを生み出していると今回のセッションを通じて感じた。
取材・文/阿部純子