【古墳王子の早口コラム】
こんにちは、小学生の頃から古墳の魅力に目覚め、訪ねた古墳は3000基以上の高校生、古墳王子です。
このコラムでは皆さんにディープでマニアックな古墳の魅力が伝わるよう、僕が感じた感動や発見をオタク特有の早口でお伝えしていきます。
さて今回はちょっと変わりダネ。なぜか前方部が超短くなっちゃった、あの古墳の形に注目します!
まるで前方後円墳の赤ちゃん!? ホタテ貝みたいな形に激萌え間違いなし!
まずは何はともあれ航空写真で全体像を確認していただきたい。これはもう、まさに名前の通り誰がどう見てもホタテ貝の形以外思いつかないのではないでしょうか?
吉岡大塚古墳(静岡県掛川市)Google mapより
全国的に見てもそんなに数はないものの、見た目で円墳や前方後円墳と思われていたものが発掘調査で帆立貝式古墳とわかる例もあるなど、この愛らしい形から古墳ファンの間でも根強い人気を誇ります。
ちょっと頼りなさげな前方部、もう少し頑張って伸ばせば立派な前方後円墳になるだろうに、あえてこの長さでやめておく奥ゆかしさ。ちょっと可愛くデフォルメされたアニメのキャラみたいな0.5頭身な感じも愛嬌あるし、とにかく一目見ただけで、なんだかほっこり癒やされるのであります。
帆立貝式古墳というネーミングはどこから?発見と命名のはなし
日本で古墳の発掘調査が本格的かつ積極的に行われだしたのは明治時代から。政府が中心となって天皇陵の治定を急いだほか、全国各地でも考古学者を招聘して調査したり、一部の有識者が測量や遺物の表面採集を試みるなど、遺跡としての古墳の発見や、残念ながら破壊・消滅も相次ぎました。
そんな激動の時代のなか、古墳時代の政治の中心地である関西にも引けを取らない大型古墳が数多く築かれ、全体的に考古学に熱心な風土があった群馬県で昭和2年に国指定史跡となった太田市の女体山古墳(にょたいざんこふん)は、発掘調査こそ行われなかったものの測量して図面に形を起こしてみたら「これ、ホタテ貝っぽくね?」という感じの形だったことから『帆立貝式古墳』と表現し、そこからこの呼び名が型式として全国的に浸透していったといわれています。
しかしながら文献によっては『帆立貝形古墳』と書かれているものも多く、素人から見てどっちで呼ぶのが正しいのか悩みどころです。
ちなみに女体山古墳は現在みつかっている帆立貝式古墳のなかでは全国第2位の大きさ、そして関東では最大級となっております。実際に現地を訪れると草木が生い茂り、まるで森のような風貌ですが、よく観察すると前方部から後円部にかけて僕の大好きな『くびれ部』を確認することができニヤニヤが止まりません(ありがとうございます)。
女体山古墳(群馬県太田市)