ロイ・リキテンスタイン ーコミックをアートに変えたアーティストー
ロイ・リキテンスタインは1923年にユダヤ系両親の元、ニューヨークで生まれました。ウォーホルが1928年生まれなので、ほぼ同時代を生きたことになります。幼少期からアートに興味を持ち、お金に困ることのない裕福な家庭で育ちます。物静かで知的で有名なリキテンスタインの性格は、当時から変わらない生まれ持った素養だったようです。
自宅に当たり前のようにあったインテリアや嗜好品にも早くから関心を抱く少年でした。リキテンスタインを語る上で欠かせないのが、世界恐慌(1929年)を体験したことと、1940年にオハイオ州立大学でファインアートを学ぶ途中で徴兵があり、第二次世界大戦に兵役をしていることでしょう。
若くして様々な体験をしたことで、大衆とは何かということと同時に群集心理についても実体験として学びました。兵役終了後も大学に復学して卒業もリキテンスタインはそのまま大学に残り、講師をしながら自身のアート作品の制作を続けていました。1951年にニューヨークのカールバックギャラリーで発表した初期の作品は抽象的な絵画が多く、そこからどのように変化していったのか、リキテンスタイン作品を通じた人生の変遷について、今回は詳しく見ていきましょう。
コミックとの運命的な出会い
1960年代に結婚して家庭を持ったリヒテンスタインでしたが、その当時はまだ無名で絵で生計を立てることはできず、大学の講師や設計図の仕事に就いていました。転機が訪れたのは意外なところからやってきました。
子どものためにミッキーマウスのコミックを描いていたところ、今までのアート表現よりもはるかにたくさんの表現ができることに気づいたのです。
いわば「コミック」というメディアはあらゆる表現の中で最も情報量を詰め込むことに向いている媒体なので、これこそ、リヒテンスタインが長年追い求めていた表現手法であることに気づいた歴史的な瞬間でもあったのです。
コミックを面白いだけでなく、そこに美しさを見つけたことこそ、リヒテンスタインがアートを前進させた革新的な出来事なのです。
とにかく分かりやすいコミックの手法を取り込んだ
絵画は歴史的な文脈においてメディアとしての機能を持っていました。
宗教画などは識字率の低い時代において、絵を見ることで理解を深めた教科書のような役割を持っていたのです。それはつまり作品を「読み解く」ということが前提なのが絵画のルールだったのです。それは現代アートの父とも呼ばれるマルセル・デュシャンも同じです。
デュシャンは網目的な絵画を否定し、「泉」など用途を意図的に外したことによる作用や哲学する観念の芸術を生み出しましたが、それも読み解く芸術なのです。
そういった絵画やアートの前提となるルールそのものをひっくり返したのが、リキテンスタインなのです。その作風はコミックの要素を多く含み、人物のコトバの吹き出しなどがそのまま描かれているのです。