皆さん、「キャンセルカルチャー」という言葉はご存じでしょうか。
「特定の人物・団体の発言や行動を問題視し、集中的な批判などで表舞台から排除する」というものです。ポイントは法的処罰対象にならない言動でも倫理的・政治的に正しくないという理由で排除するところ。
日本でも最近キャンセルされる人は多く、松本人志氏は言わずもがな、成田悠輔氏は高齢者に対する発言で、小山田圭吾氏はいじめ記事でキャンセルとなりました。どちらも法的処罰対象ではないですが世間の「許せない」という声が企業や五輪まで動かしました。この記事では彼らの是非を考えるものではなく、過去のキャンセルを振り返りながら現代の歪さに思いを馳せていきます。
まず私が思い出したのが石田純一さんの「不倫は文化」発言です。96年スポーツ紙に不倫交際についてゴルフ場でインタビューされた様子が載ったことが始まりなのですが、なんとご本人は「不倫は文化」というフレーズは一度も言ってないんですよね。不倫について咎められた石田氏が「不倫は歴史上にずっとある。それを全否定したら芸術も全否定になる」と発言。ふーむ。確かに要約したら「不倫は文化」ですね。にしても短くてわかりやすいフレーズがひとり歩きして渦のように報道が過熱、CMもニュース番組も降板となりました。自業自得な一方、よく考えたら他人である視聴者には何も迷惑をかけていないはずの家庭内問題がキャンセルにつながるのは奇妙ではあります。
同様にベッキーさんの不倫問題もキャンセルにつながりました。その際もキャッチーな「センテンススプリング」という文字が躍っていた印象があります。田原俊彦さんの会見での「俺くらいにビッグになると」も短くキャッチーでした。SNSのない時代にもかかわらずこうして広がるのには、人間が元来から持つ正義感由来だけでなく「こいつらを認めると自分の世界が崩落する」という恐怖心もあるのではないでしょうか。「不倫は文化」だと認めたら自分のパートナーが浮気する(している)ことを認めることになる。徹底的に叩きのめすことによって自分の生活圏に「誤った」思考を入国させないようにしているのでは、とすら思います。
切り取られた言葉が曲解されて〝千の風〟になる
さて。話を現代に戻しますが最近のキャンセルもやはり短いフレーズが目立ちます。SNSとの相性は抜群でキャッチーで見慣れない文字群は光の速度でトレンドになります。そして「誤った」思考を入国させぬよう袋叩きするその時には、すでに攻撃対象の芸能人や政治家の実像はなく、それぞれの生活の中にいる類似人物、例えば差別的な老人や浮気性のパートナー、昔いじめてきたクラスメートや年寄りを邪険にする家族などへの代理戦争なのではないかと感じます。「そこに私はいません」と『千の風になって』が聞こえてきそう。短く要約され切り取られた言葉は曲解され歪曲され〝千の風〟になる。
でね。誰しも多かれ少なかれ後ろ暗いと思うんです。当時の文脈だとOKで、相手がいるものだったら合意だったとしてもその部分だけ短く切り取ったら「異常」となるような経験、あるでしょ。しかもそれを脚色して尾鰭背鰭つけたら「極悪」ともなる。要するに誰しもキャンセルを食らう可能性はあると思います。芸能人云々かかわらず。弁明、否定しようがキャッチーなフレーズは〝千の風〟になってトレンド入りしてしまいます。もはや交通事故に遭うようなもん。もちろんその火種を作らないことはマストですが、「交通事故に遭わないために家から一歩も出ないでおこう」と同じくらい難しい話です。生きている限りキャンセルされるんです。かくいう私だって、いつどこでキャンセルされるかわかりません。近い未来、人類の8割がキャンセルされたりして。これを読んでいるあなたも他人事じゃないですよ。
文/ヒャダイン
ヒャダイン
音楽クリエイター。1980年大阪府生まれ。本名・前山田健一。3歳でピアノを始め、音楽キャリアをスタート。京都大学卒業後、本格的な作家活動を開始。様々なアーティストへ楽曲提供を行ない、自身もタレントとして活動。
※「ヒャダインの温故知新アナリティクス」は、雑誌「DIME」で好評連載中。本記事は、DIME7月号に掲載されたものです。