よねさんに届けたいキム・ジヨン氏の33年間の軌跡
食事の配膳も弟のほうが優先され、お菓子が二つあれば弟が一個食べて姉妹が残りの一個を分け合う。
小学校に上がれば、出席番号は男子から先につき、学級委員選挙では女子が選ばれることがない。
中学校では、男子は制服を着崩してもいいのに、女子はスカート丈はおろか下着まで指導されてしまう。女子5人組が見事露出狂を派出所につき出すことに成功しても、謹慎処分を受けたうえ「学校の恥だぞ、恥」と叱られる。
女子校に進学すれば、男性教師によるセクハラが待ち構えている。ストーカー被害に遭っても、父親からは自分がしっかりしていないせいだと叱られてしまう。
大学で入ったサークルでは女の子だからとちやほやされるものの、会長や副会長といった重要な役割は決して任されない。
就活の時期になれば、女性採用率29・6パーセントという数字に打ちのめされる。やっとの思いで面接までたどりついても、〈皆さんが取引先とのミーティングに行ったとします。そうしたら取引先の目上の方が、まあ、その、やたらと身体的接触をしようとする(略)そんなときどうしますか?〉という愚劣な質問を振られ、相手の意に添った答えをしなければ落とされてしまう。
やっと就職できた広告代理店では、接待の場におけるセクハラやパワハラに悩まされ、社運をかけた企画チームには同期の中で評判がよかった女性2人ではなく、普段「出遅れている」とからかわれていた男性2人のほうが採用される。
結婚すれば、姑から早く子供をつくれとせっつかれる。娘を授かったのは幸せなことだけれど、結局仕事はやめざるをえない。家賃も物価も教育費も際限なく上がり続けている中、夫の給与だけでは不安なので、育児をしながらでも働けるところを見つけたいのだけれど、うまく事は運ばない。
割引サービスのコーヒーを買って、ベビーカーに乗せた娘と共に公園で休んでいたら、休憩中のサラリーマンから「俺も旦那の稼ぎでコーヒー飲んでぶらぶらしたいよなあ」と嫌味をぶつけられる。
どうです、よねさん? これが1982年に生まれたキム・ジヨン氏の33年間の軌跡です。
ついに精神の均衡を崩し、自分の母親や友人の人格が憑依したようにふるまって、その口を借り、これまで言えなかった本音を吐くようになったキム・ジヨン氏を連れ、精神科医のもとを訪れる夫のチョン・デヒョン氏。この小説は、精神科医が聴き取ったキム・ジヨン氏の33年間をカルテに起こしたというスタイルで進んでいくんです。
その過程で、生活力のない夫の代わりにキム・ジヨン氏の父親はじめ四人兄弟を育てあげた祖母や、何としても男の子を産まなければならないという重圧と政府による産児制限政策のせいで、キム・ジヨン氏の妹にあたる3人目の女の子を堕胎せざるをえなかった母親、過去2世代の女性のエピソードも挿入。
とりわけ強く印象に残るのは、母親オ・ミスク氏の半生です。上に兄が2人、姉が1人、下に弟が1人いて、兄弟を進学させるために、成績が良かったにもかかわらず、姉と2人、国民学校を卒業すると中学には行かず家事と農業を手伝い、14歳でソウルに出て紡績工場に就職。その後、一念発起して夜学に通い、弟が高校の先生になった年、高卒資格を手にします。結婚後も、末端公務員だった夫がIMF危機の影響で退職に追い込まれれば、商売を始めてちゃんと軌道に乗せと、その肝っ玉母ちゃんぶりは、読んでいてつらい場面が多々ある本作において、救いともいうべき「強い女性」賛歌になっています。
これを読んだ男性は言うかもしれません。「キム・ジヨン氏の夫チョン・デヒョン氏はとてもいい人じゃないか」と。そのとおりです。優しい夫だと、わたしも思います。でも、ね。いい人が善意から発した言葉だって、悲しいかな、相手をうっすらと傷つけることがあるというケースは、この作品の中で、はたからは良い夫に見えるチョン・デヒョン氏が妻にかける言葉の端々に示されています。
あるいは、こういう意見も出てくるかもしれません。「社会制度は女性に配慮したものに変わってきてるじゃないか」と。そのとおりです。『虎に翼』に描かれている時代、祖母や母親世代の女性が置かれていた状況と比べればずいぶんましになったと、わたしも思います。でも、ね。作中、戸主制度が廃止され夫婦別姓になっている韓国で、キム・ジヨン氏が、娘に父親の姓「チョン」を継がせることを決める場面で、こんな心の声が綴られているじゃありませんか。
〈世の中はほんとうに、大きく変化した。しかしその中のこまごまとした規則や約束や習慣は、大きく変わりはしない。だから結果として、世間は変わらなかった〉
この言葉に大きくうなずかない女性はいないでしょう。そう、大きな制度が変わっても、それを運用する社会や男性の意識が変わらなければ、世間の空気が変わらなければ、結局、制度改正は絵に描いた餅にすぎないんです。
日本国憲法が制定され、第十四条の文言に大きな歓びと安堵を覚えているよねさんや寅ちゃんも、これからだって「男性の意識の変わらなさ」「世間の空気」という壁にぶち当たっては傷つき悩み、立ち止まってはまた歩き出し、うつむいてはまた顔を上げを繰り返していくのだと思います。でも、21世紀の今ですら、寅ちゃんのように「はて?」と首をひねること多々であるわたしたちは、毎朝そんなあなたがたの姿を見て、励まされたり慰められたり勇気づけられたりしております。これからも、どうぞお身体大事に、よねさんらしさを曲げることなく戦後の新しい時代を生き抜いてください。
文/豊崎由美(書評家)