アートと社会問題
キースはアートが社会問題に貢献できると考えていました。それは何よりもパブリックに力をいれたキースらしい活動なのです。例えば1986年には、当時のキースのアシスタントが覚せい剤中毒になったことを案じて、ハーレムに覚せい剤に屈しないメッセージを添えた「Crack is Wack」という壁画を制作しています。
また当時分断されていたベルリンの壁にも作品を制作しています。作品そのものはもちろんですが、キースが描くという行為を見せることで、どれだけ多くの人々が勇気を持ったでしょうか。自由の女神建立100周年の際は子供たち1000人とコラボした垂れ幕を展示して、今もニューヨーカーの多くの人々の記憶に残っているのです。アートは社会変革の力があることをキースは深く理解していました。
キース・ヘリングとファッション
キース作品のパブリックな作風と、もともとの素養であるストリートカルチャーの感性は、ファッション業界とも相性が抜群で、ファッションデザイナーもキースの虜になっていました。たとえばヴィヴィアン・ウエストウッドや数多くの映画の衣装を担当しているパトリシア・フィールドなどと積極的にコラボ作品を発表していきます。
それはキース亡き後も変わらずコラボしているので、作品がいかに普遍的でパブリックでありながら、アートとしてのメッセージ性を持っているかを証明しているともいえるでしょう。
ベイビーの誕生
物心ついたころから男性が好きであることに自覚的であったキースは、自身がセクシャル・マイノリティであることに誇りを持って生きていました。それはアート作品にも見て取れます。例えば1988年には、LGBT向上のための日である「ナショナル・カミング・デー」のポスターを制作しています。暗い部屋から明るく飛び出す絵は、ポジティブなメッセージとして世界中に伝播していきました。続いて1989年にはエイズ拡大に無警戒な政府に向けて「見ざる、聞かざる、言わざる」の猿をモチーフにした作品も発表しているのです。そして同年、キースは雑誌「ローリングストーン」誌のなかで、自身がエイズであることを公表しています。
最後までキースはアーティストであろうとして、希望を発信し続けました。エイズを発症して当時は現在のような薬もなく急速に衰弱していく中で描いた作品こそ「ベイビー」なのです。キース自身はこの作品についてこんな言葉を残しています。
「ベイビーを描いたのは、生まれたばかりの赤ん坊の頃が一番純粋でポジティブだから。だからこそ描いたんだよ。子どもたちこそ一番シンプルで幸せな形で人生を送っているんだ」 最後までシンプルな形で深い問題を伝えたキース作品は、現在も国や人種を超えたグローバルな形で広がっています。そして今後も色あせることなくメッセージを発信し続けているのです。
こうして1990年2月、キースはエイズ合併症のために息を引き取りました。
おわりに
キースがいま生きていたら、この世界はどのように映るのでしょうか。またどんな作品を描いていたでしょうか。
確かなことはわかりませんが、いつの時代になっても、キースの作品は時代の鏡として私たちを捉えて離しません。
これを読んで少しでもキースに興味をもって頂けたら幸いです。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
著者名/スズキリンタロウ