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エイズ合併症で亡くなったパブリックアートの先駆者、キース・ヘリングが残した最後のメッセージ

2024.06.12

アイデアノミカタ「キース・ヘリング 〜パブリックアートの先駆者〜」

キース・ヘリング(1958-1990)は1980年代に活躍したアメリカのアーティストです。ニューヨークの地下鉄構内で描いた作品はサブウェイ・ドローイングと呼ばれ、グラフィティ要素がありながらもシンプルでコミカルに躍動する作風はすぐに話題となり、瞬く間にアートシーンを駆け上りました。アートを大衆の身近なものにしたパブリックアートの先駆者であり、世界中で社会貢献活動も行い、作品を通じて様々な社会批評も展開していることも大きな特徴です。

そこで今回のアイデアノミカタは「キース・ヘリング」について解説していきます。

生い立ち

1958年、アメリカのペンシルバニア州で生まれたキース・ヘリング(以下キース)は、アート好きの父親の影響で幼い頃からアートに触れ、絵を描くことが大好きな少年として育ちました。当時、特にキースを夢中にさせたのがコミックとディズニーアニメでした。毎日のようにアニメやコミックを見て何度も模写を繰り返していたのです。アカデミックな教育よりもストリートカルチャーに興味を持ち、高校生の頃になるとアーティストとして成功することに自覚的になっていきます。そして高校卒業後の1978年になると、当時ポップアート全盛期を迎えていたニューヨークへと移住することを決断しました。

まずはじめに奨学生としてスクール・オブ・ビジュアルアーツに入学してアートを本格的に学びます。そこではペインティングだけでなく、写真や映像、演劇など様々な表現を学ぶことで、キース自身の作品の幅が拡大していきました。またアートに携わる人々との人脈も増やしていったのがこの時期でした。若き日のバスキアやマドンナがいて、アート界のトップにウォーホルがいた時代です。キースがどれだけの刺激を得られたのかと想像するだけで楽しくなります。

サブウェイ・ドローイング

キースの名前が飛躍的に広まったきっかけは、些細な日常の発見からでした。いつものように利用していたニューヨークの地下鉄構内に張り出されている掲示板に、黒い紙が貼られていることに注目したのです。キースはその紙の上にドローイングを描き、何日もあらゆる地下鉄構内に繰り返しドローイングしていきました。これが「サブウェイ・ドローイング」の生まれた瞬間でした。日々増殖していくキースの作品は次第に有名になっていきました。この当時からパッと見ると楽しいシンプルなスタイルのドローイングを描きながら、根底には社会を風刺した作品の特徴を見ることができます。

キース・ヘリングとパブリック・アート

キースにとってアートとはひらかれた社会性のあるものであるべきだ、という考え方を一貫して持っていました。誰もが見ることのできるパブリックな場所にアートがあることの意義やアートによって日常空間が異なる景色になることを大切にしていました。そういった意味では「サブウェイ・ドローイング」もパブリック・アートにカテゴライズされるでしょう。

キースは意図的に作品を美術館やギャラリーではなく地下鉄で発表することで、多くの大衆の支持を獲得することに成功したのです。それらの活動は1986年にニューヨークのソーホーで「ポップショップ」を開くことにつながり、このお店ではキースがデザインしたグッズを販売していました。キースという名前を知らなくても作品を見たことのある方は、それは偶然ではなくキースによるアート戦略の成果といえるのです。

ストリートとクラブカルチャー

1982年、キースは現代アートのギャラリーでも作品を発表することで、シーンの中心へと登っていくことが決定的となりました。個展のオープニングでは、ロバート・ラウシェンバーグやロイ・リキテンシュタインなど、多くの著名アーティストも足を運び、いかに注目の的であったのかがよく分かります。

日々、留まることを知らずに次々に作品を発表しながらも、クラブカルチャーにもはまっていたキースは「パラダイス・ガレージ」というクラブにも通い続け、そこで得た交友関係はキースの生涯にとってかけがえのないものとなっていきます。このクラブは独特な場所で、遊びに来る客層も黒人やヒスパニックが9割を占める場所で、ニューヨークにいるのに遠くの異国にいるようなクラブの雰囲気をキースは好み、まるでなにかに取り憑かれたかのように毎週通っていました。

【ロバート・ラウシェンバーグ】

アメリカを代表するネオダダの画家。アメリカのポップアートを前進させた重要人物。

【ロイ・リキテンシュタイン】

ウォーホルとともに活躍したポップアートの代表的な画家。

アンディ・ウォーホルと出会う

月日を重ねるごとに有名になっていくキースは、1983年にギャラリーで個展を発表した際に、憧れであったアンディ・ウォーホルが会場に立ち寄ります。有名になったとはいえキャリアも浅く若いキースにとって、ウォーホルは憧れのカリスマ的存在です。そのときの出会いをキースはこう語っています。

「ウォーホルを紹介されたとき、僕は緊張して話せなかった。けれどウォーホルがその緊張を解いてくれ、それ以来、本当に友人関係を築くことができた」 これをきっかけにキースはウォーホルが主宰するファクトリーへも頻繁に足を運ぶようになり、1986年になると、キースとウォーホルの共作「アンディ・マウス」というウォーホルとキースの大好きなミッキー・マウスを合わせたシルクスクリーン作品も発表しています。

クラブパーティーを主宰する

クラブで遊ぶことが大好きなキースは、ウォーホルと出会った1983年にクラブで当時大人気となったマドンナとも出会います。二人はすぐに仲良くなり、互いにパーティをひらきニューヨークのクラブシーンを盛り上げていきます。そして1984年のキースの誕生日には伝説的なパーティーとなった「パーティー・オブ・ライフ」をパラダイス・ガレージにて開催します。

出演者としてマドンナも参加して、マドンナの衣装やクラブ空間にはキースがドローイングをして盛り上げ、その他にもダイアナ・ロスなどのミュージシャンや有名人も多数詰めかける一大アートイベントとなり、今でも語り草となっています。人気、知名度において、もはやアートの世界では収まらず、キース本人も時代のアイコンとなっていったのです。

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