30歳で地元の政治家として再出発した「元宮本恒靖2世」
元日本代表キャプテン・長谷部誠、代表通算50ゴールをマークした岡崎慎司など、昨今はビッグネームの引退が相次いでいる。彼らのように知名度が高く、現役時代の収入も破格なら、引退後の選択肢も幅広いだろうが、全てのサッカー選手が同じというわけにはいかない。全く異なるフィールドで第2の人生を踏み出す人も少なくないのだ。
J3・カマタマーレ讃岐に在籍した2022年限りで現役選手のキャリアにピリオドを打ち、今年4月の茨木市市議会議員補欠選挙に当選した西野貴治さん(30)もその1人。政界入りしてまだ1カ月という駆け出し議員である。
93年生まれの西野さんはガンバ大阪のお膝元である茨木市育ち。小学校からサッカーを始め、中学校からガンバのジュニアユースへ。6年間アカデミーで過ごし、2012年にトップ昇格し、当時は「宮本恒靖(現JFA会長)2世」とも言われたほど期待値が高かった。
「『宮本2世』と言われた人は僕の前にも何人もいて、自分は5代目くらいです」と本人は苦笑するが、187センチの高さを誇るDFは当時、年代別日本代表にも選出されており、2016年リオデジャネイロ五輪の有力候補と目されていた。
実際、プロ1年目だった2012年こそ、公式戦1試合出場に終わったが、2年目の2013年に長谷川健太監督(現名古屋)が就任すると出番が急増。この年はガンバが初のJ2降格の憂き目に遭ったシーズンだったが、西野さんは29試合に出場。1年でのJ1復帰に原動力となった。
そして迎えた2014年。ガンバはJ1、ヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)、天皇杯の3冠を達成するという圧倒的な強さを見せる。西野さん自身も前半戦まではカップ戦中心に出場。リオ五輪を目指すU-21日本代表で挑んだ9月のアジア大会(仁川)にも参戦した。が、この大会で右膝内側半月板損傷の重傷を負ってしまう。これがキャリアを大きく変える契機になったのだ。
現日本代表キャプテン・遠藤航とともにリオ五輪候補として戦っていたが…。
「そこからは本当にケガ続きでした。この年は試合に戻れず、2015年のACL(AFCチャンピオンズリーグ)・ブリーラム戦(タイ)でようやくピッチに立てたと思いきや、開始5分で左足第5中足骨を骨折してしまった。『ポキっと折れた』とすぐ分かるほどのケガで、ショックが大きかったですね。
復帰後はコンディションがなかなか上がらず、2015年のJ1チャンピオンシップには使ってもらいましたが、浦和レッズとの1戦目でまたしてもケガ。足の筋肉の付着部の剥離で、 そこから1年近く棒に振り、2017年にはJ2のジェフユナイテッド千葉へのレンタル移籍に踏み切りました。結局、半年後にはガンバに戻ったんですが、2017年夏の復帰後、すぐに再び半月板を損傷。2018年までの在籍期間はほとんど試合に出られず終わりました」と本人も悔しさを吐露する。
そして、2019年には長年過ごしたガンバからJ3・カマタマーレ讃岐へ完全移籍。再起を賭けて未知なる土地へと赴いた。
「当時の上村健一監督から期待してもらい、僕自身も『讃岐をJ2に上げるんだ』と意気込んでいました。ところが、2試合目のブラウブリッツ秋田戦で右足アキレス腱を断裂。治りが悪く、再手術することになったので、結局、完全復帰はコロナ禍の2020年までズレこみました。
そこから2年半は試合に出て、2022年はキャプテンも任せてもらったけど、『本来の自分とは程遠いパフォーマンスしか出せていない』とどこかで感じていました、武器のヘディングで勝てなかったり、スピードも落ちて、『このままやっていてもチームに貢献できない』と痛感しましたね。
実はアキレス腱断裂した時点で、一度は引退を考えたんです。でも『応援してくれる人たちのためにピッチに立つ姿をもう1回見せたい』と気持ちを奮い立たせて復帰した。そこからの2年半だったので、自分の中ではある程度、やり切ったという感覚を持てた。29歳でしたが、潔くやめる決断をしました」と西野さんは苦しかった日々を振り返る。
10年間のJリーガー生活に納得しているという西野さん(筆者撮影)