コロナ禍を機に、一気に加速した「DX」だが、行きつく先にはどんな未来が待っているのか。一昨年の都知事選にも立候補した小説家、沢しおんが2040年のTOKYOを舞台にIT技術の行く末と、テクノロジーによる社会・政治の変容を描く。
※本連載は雑誌「DIME」で掲載しているDX小説です。
【これまでのあらすじ】
二十年のうちにデジタル化が浸透した二〇四〇年の東京。都庁で近々役割を終える「デジタル推進課」の葦原は、現実社会と量子ネットワークの両方から消えた住民データの調査を進める中、自身の勤める分庁舎への疑問が頭から離れず――。
進入禁止エリア
櫛田と橘樹花が会っている頃、葦原は自宅からメタバースを通じて東京都公文書館のデジタルアーカイブ・情報検索システムにアクセスしていた。
課長の大黒の話では、木を切ったのは当時のデジタル推進課だというが、葦原はにわかに信じきれずにいた。だが、自分の勤めている分庁舎が、ご神木の切り株を覆うために作られたフェイクというなら、どういう経緯で何のために作られたのかを知りたかった。
勤務時間中に庁内の文書総合管理システムからの検索を試みてはいたが、分庁舎内にある大きな切り株についても、それを覆っている建屋についても、記した文書は検索できなかった。
葦原は考えを巡らせた。もちろん、調べ方や探し方が悪いということもあり得たが、キーワードを思いつかなければ検索できなかった時代とは違う。
現課での定められた文書保存期間は、長いもので三十年だ。歴史や文化に関するもの、土地や建物に関するものなら、廃棄されているということは考えづらい。二十年近く前なら紙で残しているかとも思ったが、デジタル推進課の数少ない文書保管箱にも見当たらなかった。
とすると十年かそれより短い期間、デジタル推進課で保存された後に、公文書館へ⇔すでに移管されたと考えて良い。
それで、休日に自宅からメタバース経由で公文書館を利用しようと思い立った。
装着している薄型ゴーグル内で展開されたバーチャルデスクトップでは、それがWeb上のページドキュメントなのか、ローカルアプリケーション用のファイルなのか、それともリアルの書類をメタバース内に取り込んだものなのか、区別はない。
古い時代のインターネットのようにウィンドウで検索サイトを開くという儀式も必要なく、ターゲットを公文書館のデータベースに絞ったところで、操作方法が変わるということもない。
何かを始めようとした時には、直近の行動や習慣から必要そうなドキュメントがさりげなく推薦されるし、音声入力にしたってスマートスピーカーに何度も「すみません、わかりません」と言わせることはほとんどない。
欲しい情報についてほんの少しのきっかけをAIに与えれば、人が記憶を辿るのと同じように情報と情報が連鎖して、世界中の記録に辿り着くことができる。
「東京都庁の分庁舎が建てられた経緯と、その周辺の土地の変遷を知りたい」
葦原の言葉に答えるように、自動的に一覧表が作成され、目の前に浮かび上がる。一つ一つ選んで確認するのは面倒だったので、葦原は普段のデスクトップから離れた位置に、大きな会議机を出現させ、全部のドキュメントを撒き散らすように展開した。どれが求める内容か、実際に目で見たほうが早い。
パッと見て違う文書を手で払う。払ったドキュメントは、そのまま机から滑り落ちてかき消えた。もしリアルでこんな雑な選別をしたら床が紙で埋まってしまうことだろう。
最終的に机上に残ったのは、いずれも「非公開文書」のタグがつけられた頭紙だけのものだった。
「……メタバースの書庫を直接あたってみるか」
そのまま非公開文書閲覧の利用請求をしてもよかったが、葦原は書庫で確認することを選択した。あくまで検索で出てきたものが非公開なだけで、書架の付近に関連した資料が見つかればそれでよいと考えたからだ。
眼前に広がっていた自室の風景が描き変わり、一瞬で公文書館のロビーへ移動が完了する。リアルだったら中央線に乗って西国分寺まで時間をかけていたところだ。メタバースに設置された公共施設は年中無休で、休日でも利用者のアバターが多く見られる。
二〇二〇年代から始まった積極的なデジタル化は、首都直下型地震による災害からの復興を経て、データの分散保存やメタバースでのデジタルツイン構築を急加速させた。リアル世界のいわば鏡像は、ハザードマップと重ねることで被災地への迅速な支援を助け、避難所で集団生活をする人々への感染症の拡大を防止し、崩壊した都市をより良い形で再構築するのに有効で、古き良き時代を思い出すのにも役立った。
結果として、葦原はここでも分庁舎に関する資料に辿り着けなかった。メタバースの公文書館は、原本を傷つける恐れが皆無なため、可能な限りの文書が文字通り「手に取るように」閲覧できる。
だが、葦原がこの件に関連のありそうな棚に近づいた途端、『進入禁止』の表示に阻まれてしまったのだ。
***
明けて月曜。葦原は情報公開課の淡路を訪ねていた。
葦原の顔を見るなり、淡路は首をすくめて低い声で「何のご用ですか」と言った。
「そんなに身構えなくたっていいじゃないですか」
「また厄介事じゃないの。この前の高校生みたいに」
「違いますよ。あの件は警察のサイバー局の人がやってくれています。もちろんデータの復旧を目指してはいますが。今日お聞きしたいのは文書の探し方についてです」
「普通に文書管理システムで探したら。刊行物なら文書課に聞いたほうがいい」
淡路はつっけんどんな調子で眉根を寄せた。
「非公開文書やその関連文書を的確に探そうと思ったら、どうしたらいいですか?」
「非公開になっているのがわかってるということは、公文書館か」
「さすが、察しがいいですね」
葦原は、少しだけ淡路をおだてた。
「職員だったら現行文書のことは、現課に直接聞くはずだから」
「その主務課がデジタル推進課なので、自分のところなんですよ。それをうまく探したいんです」
「ちょっと待って、意味がわからない。デジタル推進課が作成した文書なのに探せないなんてことがあるのか」
淡路が身を乗り出してきた。厄介事を早々に済ませたいように見えて、好奇心が抑えられないのだろう。
「震災より少し前に、分庁舎のあたりで何かあったらしいんです。見た目に古い建物ですし、何か残ってないとおかしいですよね。ご神木を切り倒してその上に建てたならなおさらです」
「震災って令和関東大震災か。二〇二五年だろ、そんなに前のこと、何だそれ。ふざけてる」
仏頂面だったのに、鼻で笑いながらも耳ではしっかりと、早口でまくしたてる葦原の声を捉えていた。
「メタバース公文書館の入れないエリアにその棚があるようなんですが、進入禁止の表示に阻まれました」
「何度も使っているが、書庫で進入禁止なんて表示、出たことがない」
「表示が出たってことは、そういう仕様が最初からあるってことですよね」
「文書を非開示にする仕様がある以上、入れなくするなんてゲームみたいな表示は不要だ」
「システムを作った受託業者の遊び心ってことはあり得ます?」
「ないね。あるとしたら、ヌーメトロン様がそこへ誰も立ち入らせたくないか」
葦原は、淡路が「様」をつけて行政用AIの名を呼んだことをおもしろく感じた。
「ヌーメトロンが文書の公開権限を持っているってことですか?」
「そうだよ。公開範囲や公開が適切かどうかすら、もう職員での協議や判断なんかしていない。震災前ならいざ知らず、今それを判断しているのはヌーメトロンだ。黒塗りになった文書が出てきたとして、塗ったのが機械か人間かなんて誰も気にしないよ」
「知らなかったです。でも、情報公開課なのにそんなこと言うんですね」
「職員がやってるのは、人間向け万能インターフェイスだよ」
淡路の事勿れ主義はこの考えに根差していたのだと思うと、以前の橘樹花への態度のことにも納得がいった。対人間という点で、確かに人間は万能で最適だ。
(続く)
※この物語およびこの解説はフィクションです。
【用語・設定解説】
東京都公文書館:2020年に西国分寺へ移転された。付近には都立多摩図書館や国分寺市役所(2025年開庁)があり、武蔵野台地の強固な地盤に恵まれる。物語では2025年に発生した首都直下型地震の被害を免れ、震災直後は都の行政機能の一部がこの地域に仮設的に展開された。デジタルツイン構築の加速:物語ではハザードマップとの重ね合わせが挙げられているが、様々なリアル世界のデータをデジタルツインに連携することで、被災の想定だけでなく、平常時においても「街の移ろい」を行政の施策へとフィードバックする試みが続けられている。
沢しおん(Sion Sawa)
本名:澤 紫臣 作家、IT関連企業役員。現在は自治体でDX戦略の顧問も務めている。2020年東京都知事選にて9位(2万738票)で落選。
※本記事は、雑誌「DIME」で連載中の小説「TOKYO 2040」を転載したものです。