「日本のテーマパーク史は明治末期の温泉地に端を発します」と指摘するのは、テーマパークの事業経営や歴史に詳しい明治大学経営学部講師の中島恵氏だ(以下「」内同じ)。
1911年(明治44年)、箕面有馬電気軌道(後の阪急電鉄)は兵庫県宝塚市に温泉や室内プールなど当時の最新娯楽施設を整えた日本初の遊園地『宝塚新温泉』を開設。翌12年には京阪電鉄も『ひらかたパーク』を開業。大正期には煉瓦工場跡地に『あらかわ遊園』が開設され、その後も順調に発展するかに見えたが、29年の世界恐慌から第2次世界大戦敗戦に至る40年代の間は遊園地新設が途絶えてしまう。
こうした暗い時代を経て、西武鉄道が『西武園ゆうえんち』を1950年に開園。以降、70年代にかけて、戦後復興と高度経済成長の下で全国各地に遊園地が誕生した。
80年代に入ると遊園地の規模や多様性はますます拡大。
「従来型の乗り物を集めただけの遊園地とは一線を画す、独自の世界観やテーマ性を持つ施設が次々にオープン。中でも『東京ディズニーランド』の開業は大きな転機となり、日本のテーマパーク文化に新たな風を吹き込みました」
その後、バブル期にはリゾート開発の一環としてテーマパークの新設ラッシュを迎える。しかし、平成に入って不況が長期化。当然、集客力を失ったテーマパークは苦境に追い込まれる一方、2001年には『USJ』と『ディズニーシー』が相次いで開業し、東西2強時代に突入していった。
「大手テーマパークは数十億円規模の新アトラクション導入を行なうなど、行くたびに飽きさせない仕掛けを作ってリピーターを獲得していく一方、追加設備投資に窮した旧来の遊園地やテーマパークは閉園に追い込まれるなど、二極化の時代でもありました」
中島氏は今後の業界展望をこう読み解く。
「時代に即したテーマパークの戦略として、特に中小施設ほどその土地の地域愛や独自性を強化したり、推し活文化との融合によるファンとの交流で新たな魅力を獲得することが、今後の成長と存続に不可欠になってくると思います」
日本のテーマパーク史は、常に時代の映し鏡でもあるのだ。
草創期
1911 宝塚新温泉
終着駅だった宝塚に遊覧施設を造ることで多くの旅客を確保。以降、鉄道会社による郊外への遊園地開業は、未開拓地の敷設開拓事業を進めるうえで重要な経営戦略の模範となった。
1912 ひらかたパーク
現在も継続して営業する遊園地としては日本最古。様々な趣向を凝らした菊の花で作られた人形が並び立つ「大菊人形展」は当時から好評を博していた(写真は開業当初の枚方菊人形会場)。
1922 あらかわ遊園
当初は自然豊かな私設遊園地で戦時下には陸軍に接収され閉園状態となるも、戦後の1950年に区営遊園地として再開。現在も観覧車などの定番アトラクションが世代を超えて愛されている。
1950 西武園ゆうえんち
戦後、西武鉄道による多摩湖周辺の観光開発で誕生。開業当初の名称は「東村山文化園」だった。2021年には1960年代の懐かしい世界をテーマにリニューアル開業し、幅広い世代で話題に。