「勝ちたかった」――
2021年、東京パラリンピック男子テコンドー(61キロ級)に出場しながらも出場選手12人中、9位で最下位(※)だった田中光哉(たなか・みつや)選手は、試合後に悔しさをにじませてそう語っていた。
※棄権選手1名を除く、同列9位が3名
悔しさから3年、田中は再びパラリンピックの舞台に立つ。
田中光哉(たなか・みつや)さん
株式会社電通デジタル所属
1992年生まれ。福岡県久留米市出身。先天性両上肢尺側欠損障害。東京で障害者スポーツ関連の企業で勤務する中、自身も競技に興味を持ち2017年テコンドーを始める。2021年東京パラリンピック男子テコンドー(61キロ級)に出場。2024年パリパラリンピック男子テコンドー(58キロ級)の代表内定選手。
パリでは、一勝もできなかった東京を超える
今年1月、全日本テコンドー協会は田中が男子58キロ級の代表に内定したことを発表した。同協会が定める2024年1月時点での世界ランク6位以内の基準を満たしたためである。
――代表内定の率直な感想を聞かせてください
田中:飛び上がるほど嬉しいなという感じではなかったです。ほどほどに嬉しいなという感じ(笑)。
――意外と冷めているように感じますが、何か理由があるのですか
田中:やっぱり出場が目標じゃありませんから。東京パラリンピックでは1勝もすることができなかった。この3年間、そもそも競技を続けるのかも迷った時期もありました。それでも続ける中で、成長を感じられて結果も出すこと出来ている。
それでもパラリンピックで1勝するのが難しいのは前回の大会で痛感した通りです。いま、ようやくそのスタート地点に立てて安心しているくらいです。
――東京パラリンピックで1勝も挙げることができなかったことについて、今振り返ってみてどのように感じているのでしょうか
田中:東京大会では開催国枠があって、その枠で出場させてもらった。実力的には12人中12位だった。勝てなかったのは仕方なかったと思う反面、1年延期したことでトップ選手との差も縮めるために、最善を尽くしたつもりでした。それでもやっぱり届かなかった。
今回は世界ランクを5位まで高めることができている。だからこそ、次こそは当時果たせなかった「1勝」を目指したい。
東京大会の12位から再起を図る田中選手