登場人物が吐く至言の威力
15歳で家を出てヤクザの見習いに→トラブルから、フィリピンに逃亡→拳銃の密輸にかかわるようになり、何度も殺されかけた挙げ句、29歳で帰国→通信講座「あなたも人気作曲家の仲間入り」を受講し、薄っぺらな教則本で必死に勉強→芸能界のツテを作るため、赤坂の高級クラブでボーイに→1年後、ひょんなことから大物プロデューサーの情婦である女性歌手のシングルレコードのB面を作曲→人気作曲家の仲間入り。
そんな昭和の匂いがぷんぷんする成功譚の主が、『ひっ』のタイトルヒーロー、ひっさんです。
物語は、ひっさんの26歳になる甥の〈おれ〉が、穴を掘りながらミミズのことを考えている場面から滑り出します。なぜ穴を掘っているかというと、ひっさんの遺品を燃やすため。これは、ひっさんという魅力的なろくでなしにまつわる思い出と、仕事にもつかずぶらぶらしているダメ男〈おれ〉の来し方から現在に至るまでを描いた物語なのです。
これまで5回も芥川賞の候補になっては落とされている戌井昭人の作風に高尚さは皆無です。まっとうな道からはずれた人間の、泥臭くて鈍くさい、地べたを這うがごとき不器用な生とあがきを描いて、どちらかといえば、くだらない。でも、愚者に聖性が宿るように、くだらなさの中に時に真実の灯りがぽっとともる瞬間もあるんです。
たとえば、こんな場面。
就職した会社をクビになった〈おれ〉は、ぐうたら酒を飲むばかりの生活をし、〈こんな生活を続けているくせに、おれはどこか清々しい気分でもあった。ひっさんの言っていた「テキトーに生きろ」という生き方を実践しているような気がしていた。このまま堕ちて、もっとなにも考えられなくなればいいと思っていた。脳味噌が邪魔だった〉と開き直ります。でも、そんな甥をひっさんはこう突き放すんです。
〈おれの言ってたのは、そういうテキトーじゃねえよ。生きるためのテキトーさだよ。お前のは、テキトーが死んでる〉
こんな、ごろっと手応えのある至言を吐けるのが戌井昭人という小説家の凄味と、わたしは思います。くだらないけど絶品。福田さんの『銭湯』もそんな作品だと、わたしは思っています。
〈生きるためのテキトーさ〉
つくづく、いい言葉です。
文/豊崎由美(書評家)